有力新人・伊吹亜門の『刀と傘』を一押しだ!

文=千街晶之

  • 昨日がなければ明日もない
  • 『昨日がなければ明日もない』
    みゆき, 宮部
    文藝春秋
    1,815円(税込)
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  • 聖母の共犯者 警視庁53教場 (角川文庫)
  • 『聖母の共犯者 警視庁53教場 (角川文庫)』
    吉川 英梨
    KADOKAWA
    792円(税込)
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  • 刀と傘 (明治京洛推理帖) (ミステリ・フロンティア)
  • 『刀と傘 (明治京洛推理帖) (ミステリ・フロンティア)』
    伊吹 亜門
    東京創元社
    1,870円(税込)
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 宮部みゆき『昨日がなければ明日もない』(文藝春秋)は、『誰か Somebody』に始まる杉村三郎シリーズの第五作。前作『希望荘』で杉村は私立探偵を開業したが、その彼のもとにいよいよ舞い込んできた三つの出来事を描いた中篇集である。

 娘が自殺未遂をしたが、婿からは毒親扱いされて会わせてもらえない......という女性からの依頼を引き受けた杉村が真実を探る「絶対零度」、杉村が結婚式場でのトラブルに巻き込まれる「華燭」、そして自分の息子が遭った交通事故は殺人未遂に違いないと言い張るシングルマザーが依頼人の表題作......という三篇から成っている。「絶対零度」の依頼人のように冷静な人物がいる一方、表題作の依頼人・朽田美姫は自己中心的極まる女性で、杉村ならずとも苛々させられることは必定。『名もなき毒』の原田いずみもそうだったが、著者はこういう「身近にいたら絶対嫌だな」と感じさせるキャラクターを描くのが抜群に巧い。

 杉村はとりわけ名探偵というほどの頭脳の冴えを見せるわけではないし、ハードボイルドの探偵に必須のタフさとも無縁だが、その誠実な姿勢は救いを感じさせる。ひとつひとつの事件は一見ささやかながら、美しい花畑でも地中には虫が蠢いているように、人間模様の裏側にはぞっとするような悪意が潜んでいる。特に「絶対零度」の読後感と、表題作のやるせない終わり方は、杉村ばかりか読者も立ち直れなくなりそうだ。本書から登場した立科警部補はちょっと気になるキャラクターで、杉村と今後どういう関わりを持つのかに注目である。

 吉川英梨『聖母の共犯者 警視庁53教場』(角川文庫)は、警察学校を舞台にした「警視庁53教場」シリーズの第三弾。実子への過失致死で府中刑務所に服役していた女囚・赤倉紘子が巧妙な手段で脱走した。あと三年で出所できるのに、何故彼女は脱走という危険な賭けに出たのか。しかも手口から考えて、彼女に知恵を授けた共犯がいることは明らかだ。そして翌日、卒業式の最中の警察学校でとんでもない事件が起こった......。

 教官の五味京介や、彼に想いを寄せる巡査部長・瀬山綾乃らレギュラーをめぐる人間模様の描写は、正直ちょっとどうかと思うほど軽いのだが、卒業式の最中に大事件が起きてからは一転して緊迫した展開の連続。事件のあいだ、助教官の高杉哲也がどこで何をしているかが伏せられているため、五味たちのみならず読者も不安に駆られる構成も巧い。過去の事件の真相が改めて検討された果て、あまりにも皮肉な結末に至るまでの展開は、マイクル・コナリーかジェフリー・ディーヴァーかといいたくなるほどのツイストで読者を翻弄してみせる。

 松井今朝子『芙蓉の干城』(集英社)は、『壺中の回廊』で描かれた事件の三年後にあたる昭和八年を背景にした続篇。前作で探偵役を務めた大学講師・桜木治郎をはじめ、その妻の従妹の澪子、築地署の笹岡警部と部下の薗部らが引き続き登場している。

 歌舞伎の殿堂・木挽座の近くで右翼結社の幹部とその愛人の他殺死体が発見された。その前日、澪子は木挽座で観劇の最中、死んだ二人が真向かいの桟敷席にいるのを目撃していた。この事件と歌舞伎の世界に関連はあるのか?

 前々年には満州事変、前年には五・一五事件が起こるという不穏な世相の中、一方では右翼や軍部のきな臭い人間関係、一方では梨園の浮世離れした愛憎の世界が繰り広げられ、そこに接点が生じたことから惨劇が続発する。歌舞伎の芸という大の虫を生かすために小の虫の犠牲はどこまで許されるのか......というのは、江戸後期を舞台にした『非道、行ずべからず』とも共通する問いだが、ねじくれた動機により次々とひとを殺めてゆく犯人の屈折ぶりもさることながら、『非道〜』に登場した北町奉行所同心・笹岡平左衛門の子孫にあたる笹岡警部が、祖先と似た選択を迫られた時に下した決断の非情さには慄然とさせられる。

 今月の一押しは、伊吹亜門のデビュー作『刀と傘 明治京洛推理帖』(東京創元社)だ。明治政府の初代司法卿・江藤新平と元尾張藩士の鹿野師光が、その日に処刑される予定の囚人が何者かに毒殺された謎に挑む「監獄舎の殺人」(ミステリーズ!新人賞受賞作)を含む連作だが、ありがちなパターンと異なるのは、この受賞作を連作の冒頭に置くのではなく、全五篇のうち真ん中の第三作に据えて、そこから先の出来事だけでなく過去へも話を拡げている点である。

 国事に奔走していた浪士がめった斬りにされた事件を扱った巻頭の「佐賀から来た男」で、江藤と師光の出会いが描かれる。しかし、この時点で、両者の関係が通常のミステリにおけるホームズとワトソンのそれとは大きく異なっているのは明らかだ。頭脳明晰だが野心家の江藤に対して師光が覚えた違和感は、連作が進むに連れてどんどん大きくなり、やがて二人はそれぞれが奉じる正義故に訣別せざるを得ない。もちろん歴史に関心のある読者なら江藤の末路はあらかじめ知っているわけで、それがラストに向けての緊迫感を強めている。

 著者は連城三紀彦の影響を受けていると推察され、「佐賀から来た男」からは特に連城的な発想が窺える。また、連作中唯一の倒叙ミステリ「桜」の、江藤が犯人を怪しんだきっかけとなる推理のロジカルさも印象的。最終話のぶっきらぼうな終わり方がかえって余韻を感じさせる点も見事だ。一九九一年生まれという若さからは想像もつかない老成した境地も漂わせた有力新人の登場である。

(本の雑誌 2019年2月号掲載)

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●書評担当者● 千街晶之

1970年生まれ。ミステリ評論家。編著書に『幻視者のリアル』『読み出し
たら止まらない! 国内ミステリー マストリード100』『原作と映像の交叉光線』
『21世紀本格ミステリ映像大全』など。

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