世界がひっくり返る下村敦史『絶声』がすごい!

文=千街晶之

  • オタクと家電はつかいよう ミヤタ電器店の事件簿 (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)
  • 『オタクと家電はつかいよう ミヤタ電器店の事件簿 (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)』
    田中 静人
    宝島社
    803円(税込)
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  • ヴァンパイア探偵 --禁断の運命の血-- (小学館文庫キャラブン!)
  • 『ヴァンパイア探偵 --禁断の運命の血-- (小学館文庫キャラブン!)』
    喜久, 喜多
    小学館
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 文字通り、世界が引っくり返る感覚を味わえるミステリが、下村敦史『絶声』(集英社)だ。

 昭和の大物相場師と呼ばれた堂島太平が行方不明になって七年が経った。いよいよ失踪宣告が成立し、遺産が手に入るというので、長男の貴彦、長女の美智香、彼らの異母弟にあたる次男の正好は色めき立つ。彼らにはそれぞれ、すぐにでも大金がほしい事情があったのだ。ところが直前になって、死んだ筈の太平のブログが更新されはじめる。太平は生きているのか、そして巨額の財産の行方は?

 三兄弟は互いに仲が悪く、特に母親とともに堂島家から追放された正好と異母兄姉との間柄は最悪だが、父が生きているかも知れないという思わぬ事態を前に、やむを得ず手を結ぶことになる。とはいえ、三人とも他の二人を出し抜こうと独自に策を練るので油断がならない。かくして、抜きつ抜かれつのブラックな遺産闘争が展開されるのだが、その着地に至る仕掛けには「そういうことか!」と思わず膝を叩いた。この結末の鮮烈さは、著者のデビュー作にして江戸川乱歩賞史上屈指の傑作でもあった『闇に香る嘘』に匹敵する。

 海堂尊のデビュー作で、『このミステリーがすごい!』大賞史上屈指のベストセラーとなった『チーム・バチスタの栄光』に始まる「バチスタ」シリーズ。そこから、シリーズや版元の壁を超えて壮大な物語へと発展した「桜宮サーガ」が、新刊『氷獄』(KADOKAWA)から再スタートした。「桜宮サーガ」の旧作群でお馴染みの人物たちが登場する四つの中短篇から成っているが、最も読み応えがあるのは分量的にも最長の表題作。二○○八年、新人弁護士の日高正義は、二年前に東城大学医学部付属病院で起きた心臓外科手術術中死事件、通称バチスタ事件の犯人の国選弁護人を引き受けたが、犯人が何を考えているのかは謎だらけ。そこで日高は厚生労働省の技官・白鳥圭輔ら、事件関係者たちに接触を図る。

 完全に『チーム・バチスタの栄光』の続篇として書かれており、バチスタ事件の真犯人も明かされているので、いきなり本書から読むのはお薦めできないが、懐かしい面々が次々と登場するので、シリーズのファンにとってはこれほど心躍る物語もないだろう。日高や白鳥ら、登場人物それぞれの正義の交錯は、海堂作品らしい個性的なキャラクターたちのディスカッションによって表現される。司法の歪みに斬り込んだ構想も著者ならでは。社会派的テーマを圧倒的な面白さで語るエンターテイナーとしての著者の実力が発揮された一冊である。

『オタクと家電はつかいよう ミヤタ電器店の事件簿』(宝島社文庫)は、第十五回『このミステリーがすごい!』大賞で最終候補に残り、後に「超隠し玉」枠で刊行された『陽気な死体は、ぼくの知らない空を見ていた』でデビューした田中静人の第二作だ。転職を考えていた森野美優は、「うちの社長は笑いません。ですが、お客さまの笑顔のために努力しています」という不思議な求人広告に興味を持ち、ミヤタ電器店に就職する。社長の宮田はその広告通り、全く笑顔を見せない人物だが、顧客から相談されたトラブルには鋭い洞察力を発揮するのだった。

 基本的には「日常の謎」の連作短篇集で、家電絡みの謎を宮田が専門知識を活かして解明してゆくのだが、人間心理がわからない宮田には動機の部分は解き明かせないため、美優が担当する......というダブル探偵役システムが特色だ。また、美優につきまとうストーカーの存在が途中から暗示され、物語後半になるとその謎が前面に押し出されるが、このあたりは著者のデビュー作とも共通する人間心理の掘り下げが堪能できる。

 喜多喜久も『このミステリーがすごい!』大賞出身作家である。『ヴァンパイア探偵 禁断の運命の血』(小学館文庫)は、タイトルと、舞台である紅森市がやたら凶悪犯罪が多いという設定から、てっきりホラー度が高い作風なのかと思ったけれども、血液研究の専門家・天羽静也(見るからにヴァンパイアのような出で立ちだが本人はそう呼ばれることを嫌っている)がその幼馴染みの刑事・桃田遊馬の相談を受け、血液絡みの難事件を解決してゆく謎解き重視の連作ミステリだ。被害者の服に付着していた血痕は本物か偽装か、巡査刺殺事件の現場に残されていた血液は逃走中の殺人犯のものなのか......といった謎を、静也が科学的に分析し、意外な真相を導き出してみせる過程が読みどころだ。

 いつまでも若々しい作風のせいでヴェテランというイメージはあまりない西尾維新だが、振り返ればデビューは二○○二年だから意外と年月が経っているし、著作も『ヴェールドマン仮説』(講談社)でなんと百冊目。主人公の吹奏野真雲は、祖父母が推理作家と法医学者、両親が検事と弁護士、兄が刑事で姉がミステリマニアのニュースキャスターで弟が探偵役で人気の俳優で妹がゲーム内の犯罪者を取り締まる電脳探偵......という華々しい一家に生まれたが、彼自身は無職で家事担当に徹している。ところがある日、少女が首吊り姿で発見された事件を機に、自ら真相に迫ることに......。

 確かに登場しているのに死角に隠れている真犯人、戦慄的な動機など、ミステリとして読みどころが多く、幕間の犯人の独白から滲むおぞましさもいかにも著者らしい味わいだ。多才な家族たちに別段コンプレックスがある様子でもない主人公の造型も面白いけれども、吹奏野家の面々は個性的な設定のわりに意外と見せ場が少ないので、続篇またはスピンオフ的な物語を期待したくなる。

(本の雑誌 2019年10月号掲載)

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●書評担当者● 千街晶之

1970年生まれ。ミステリ評論家。編著書に『幻視者のリアル』『読み出し
たら止まらない! 国内ミステリー マストリード100』『原作と映像の交叉光線』
『21世紀本格ミステリ映像大全』など。

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