未知の世界の楽しさが詰まった『歌舞伎座の怪紳士』

文=千街晶之

  • 仮名手本殺人事件 (ミステリー・リーグ)
  • 『仮名手本殺人事件 (ミステリー・リーグ)』
    稲羽 白菟
    原書房
    1,980円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 錬金術師の密室 (ハヤカワ文庫JA)
  • 『錬金術師の密室 (ハヤカワ文庫JA)』
    紺野 天龍,桑島 黎音
    早川書房
    858円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 幽霊たちの不在証明 (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)
  • 『幽霊たちの不在証明 (宝島社文庫 『このミス』大賞シリーズ)』
    朝永 理人
    宝島社
    858円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

 この原稿を執筆しているのは三月半ばなので、本号が店頭に並ぶ頃にどうなっているかは全く予想がつかないけれども、現在、新型コロナウイルスが社会に及ぼした負の影響はとどまるところを知らず、小説方面の授賞式は軒並み中止・延期になっているし、イヴェントの類もほぼ中止。大勢の人が集まる舞台やコンサートへのダメージは多大であり、歌舞伎などの伝統芸能も例外ではない。かくなる上は、外出できない人にせめて紙上で観劇気分を楽しんでいただきたい......という意図で、歌舞伎の世界を扱ったミステリを二冊紹介することにする。

 一冊目は近藤史恵『歌舞伎座の怪紳士』(徳間書店)。主人公の岩居久澄は、わけあって仕事を辞め、実家で家事手伝いをしている。そんな彼女に、祖母から自分の代わりに芝居を観て、その感想を伝えてほしいというバイトが舞い込んだ。まず指定されたのは歌舞伎の観劇。彼女はそこで観客の奇妙な振る舞いを目撃し、その場で知り合った六十代くらいの親切な紳士に相談する。

 最初は全く知識がなかった歌舞伎の世界に恐る恐る踏み込むも、やがてその面白さに魅了されてゆく(ネットの世界の用語で言えば「沼にはまる」状態である)久澄のときめきは、歌舞伎に限らず、未知の世界の楽しさに開眼した人間なら誰でも共感できるだろう。長篇ではあるが幾つもの謎が数珠つなぎになった連作短篇集に近い構成で、いつ劇場に行っても顔を合わせる老紳士の正体をめぐる謎が全体の経糸となっている。主人公をはじめ、それぞれに生きづらさを抱えた登場人物たちへの優しい眼差しが印象的だ。

 二冊目は稲羽白菟『仮名手本殺人事件』(原書房)。『合邦の密室』で第九回ばらのまち福山ミステリー文学新人賞準優秀賞を受賞した著者の第二作だ。「仮名手本忠臣蔵」の四段目が上演されている最中、舞台上の役者が変死した。四段目は客席への出入りがタブーとなっており、いわば劇場自体が巨大な密室だった。

『歌舞伎座の怪紳士』が現在の歌舞伎座を描いているのに対し、こちらは改装前の旧歌舞伎座が舞台。歌舞伎の世界に通暁した著者だけに、梨園の人間関係の描写にはきめ細かさが感じられるし、知ってるつもりで意外と知らない「仮名手本忠臣蔵」の蘊蓄に触れる楽しみもある。芸道ミステリとしては栗本薫『絃の聖域』くらいの熱量がほしいところではあるが、横溝正史を想起させるような古風な血の系譜のドラマを、伝統芸能の世界を背景にすることで説得力を持たせている。

 水生大海『宝の山』(光文社)の舞台は、岐阜県の山中にある宝幢村。主人公の佐竹希子は十六年前に村を襲った地震で家族を失い、伯父夫婦と暮らしている。ある日、村おこしのために雇われたブロガーが失踪し、希子がその代役を引き受けることになった。

 プライヴァシーもへったくれもない住人同士の距離感、自分たちの都合で呼び寄せた筈の移住者への警戒感、希子の婚約者で村の旧家に連なる山之内竜哉の鼻持ちならないプライドの高さと一見先進的な言動の裏から滲み出る保守性......等々、希子の周囲は「ムラ社会あるある」で溢れているけれども、そんな村で生まれ育ったため、最初のうちは希子自身もさほど違和感を抱かず環境に馴染んでいる。そこに変化を齎すのが、移住者である長谷川家の高校生の息子・耀だ。異様な言動が目立つ変人だが、希子に村の外部の価値観を教えてくれる存在でもある。一連の騒動を潜り抜けた希子の成長と、タイトルに秘められた皮肉な含意が印象的だ。

 紺野天龍『錬金術師の密室』(ハヤカワ文庫JA)は、最近流行中の特殊設定ミステリだ。アスタルト王国の軍人エミリアは、軍務省錬金術対策室室長で自らも錬金術師のテレサに従って水上蒸気都市トリスメギストスに赴く。偉大な錬金術師フェルディナント三世が前人未到の不老不死を実現したというのだ。だが公開式の前夜に三重の密室の中で惨劇が起き、そんな犯行が可能なのは錬金術師しかいないということでテレサに嫌疑がかかる。

 傍若無人を極めるテレサと実直なワトソン役エミリアのコンビが、最初は互いに反感を抱きつつも協力して事件解決に挑むプロセスがお約束ながらも楽しい。肝心の密室トリックはあまりに有名な前例を意識しすぎという感もあるけれども、それだけにとどまらないどんでん返しが用意されていて楽しめる(主人公が男なのにエミリアという女名前なのは最初戸惑ったが、これにも必然性がある)。

 朝永理人『幽霊たちの不在証明』(宝島社文庫)は第十八回『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞受賞作。高校の文化祭の最中、二年二組のお化け屋敷で、首吊り幽霊に扮していたクラス委員・旭川明日葉が絞殺死体となって発見された。彼女に想いを寄せていた閑寺尚は、名探偵志願の甲森瑠璃子に誘われて真相解明に乗り出すが、関係者には全員アリバイがあった。

 お化け屋敷の殺人というと江戸川乱歩の『悪魔の紋章』を思い出すが、乱歩作品のようなおどろおどろしさは微塵もない、軽快でコミカルなタッチの学園ミステリである。率直に言ってキャラクターの描き分けが最大の弱点で、巻頭の登場人物一覧を何度も見直しながら読み進めた。だが、読者への挑戦状のあとの八〇ページにも及ぶ解決篇は、それまでに鏤めておいたさりげない伏線をすべて回収した上、明日葉の殺害時刻を何時何分までロジカルに絞り込むという難度の高い技を披露していて圧巻。苦みを帯びた余韻が残るラストもいい。小説が上達すればとんでもない大器に化ける可能性がある新人だ。

(本の雑誌 2020年5月号掲載)

« 前のページ | 次のページ »

●書評担当者● 千街晶之

1970年生まれ。ミステリ評論家。編著書に『幻視者のリアル』『読み出し
たら止まらない! 国内ミステリー マストリード100』『原作と映像の交叉光線』
『21世紀本格ミステリ映像大全』など。

千街晶之 記事一覧 »