キング『眠れる美女たち』の圧倒的筆力に溺れる!
文=吉野仁
今月は、質、量ともにキングの月。スティーヴン・キング、オーウェン・キング『眠れる美女たち』(白石朗訳/文藝春秋)上下二段組み九〇〇頁をこえる大長編だ。
女子刑務所のある町ドゥーリングで、異常な事件が発生した。麻薬密売所だったトレーラーハウスが謎の女イーヴィに襲われたのだ。ふたりの男が惨殺され、火が放たれた。イーヴィは、かけつけた警察署長ライラにつかまり、刑務所に拘置された。そのころ、女性だけがかかる奇妙な疫病が世界的に蔓延しはじめていた。病に冒された女たちは、繭のようなものに覆われ、長い眠りにつき目覚めない。やがて残された男たちは、魔女のごときイーヴィを狩ろうと暴徒化していく。
キング親子コンビによる本作は、キング作品でおなじみ、小さな田舎町が舞台のパニックホラー群像劇。奇病、異常な能力をもつ女、もうひとつの世界など、大胆な虚構をふんだんに取りこみつつ、まるで現実のことであるかのように感じさせる圧倒的な筆力で物語られていく。とくに事件に大きくかかわる、精神科医クリントと彼の妻ライラというふたりの行動から目が離せない。ただでさえ町が大混乱となり、人類滅亡の可能性すらむかえているとき、なんと夫婦の危機にも直面するのだ。
本作では、男女や夫妻のみならず、世界で深まる対立や分断を感じさせられる関係や苦いエピソードにあふれている。女子刑務所が大きな舞台になっているのも重要な点だ。だれしも完璧な正義や人生を貫くことは難しく、ときに罪を犯してしまう。ここに強い現代性を感じた。
ちょうど本作のまえに、スティーヴン・キングの短編集二巻『マイル81 わるい夢たちのバザールⅠ』(風間賢二・白石朗訳/文春文庫)、『夏の雷鳴 わるい夢たちのバザールⅡ』(風間賢二訳/同九七〇円)が出た。収録作全部にキングによる自作解説がついており、ちょっとしたアイデアをもとにつぎつぎ傑作をつくりあげていく才能には驚くばかり。
なかでは『マイル81』収録の「UR」がお気に入りだ。ある男が電子書籍リーダー、キンドルを手にいれたところ、異世界と混線したのか、すでに亡くなった偏愛作家による、未知の作品をダウンロードできるようになったというお話。たとえば、自殺した太宰治や三島由紀夫が何かの偶然で死なずにすんだ世界軸があり、それ以降に発表した彼らの小説が、いま自分だけキンドルで読めるとしたら、あなた、どうしますか。
そのキングが絶賛する英国作家、C・J・チューダーの第二作『アニーはどこにいった』(中谷友紀子訳/文藝春秋)は、かつて炭鉱で栄えていた故郷の町に戻り、学校教師をつとめはじめた男ジョーが主人公である。彼が子供のころ、妹アニーが行方不明になるという事件があり、最近になって「同じことが起きようとしている」という怪しい文面のメールを受けとった。いったいアニーの身になにが起きたのか、これからなにが起こるのか。過去と現在が交互に語られ、次第に恐怖とサスペンスが盛りあがっていくという、いわば王道スタイルによるホラーミステリで、悪ガキたちによる廃坑探検など、キングの名作を思い起こさせる場面もある。しかし粗筋だけではわからない良さを感じるのは、人物の細やかな感情が伝わってくる筆致にあるのかもしれない。意外な真相が最後にしっかりと待ち構えているあたりも含め、読みごたえは十分だ。
こちらも過去と現在を行き来する物語で、ガード・スヴェン『最後の巡礼者』(田口俊樹訳/竹書房文庫)は、ノルウェー発の警察小説。政界の大物カール・オスカー・クローグがオスロの自宅で全身めった刺しにされ、眼もえぐられ殺されていた。凶器はナチスの鉤十字が刻まれたナイフだった。オスロ警察本部の刑事トミー・バーグマンは、森の中で発見された三体の白骨死体の身元を調査していく過程で、ふたつの事件のつながりを見つけた。 二〇〇三年の現在と第二次大戦中の過去が、短い章立てで交互にテンポよく描かれており、一気にページをめくらせる。とくに英国情報部所属のノルウェー人女性スパイ、アグネスの運命をたどる展開がスリリングだ。
ウィリアム・リンゼイ・グレシャム『ナイトメア・アリー 悪夢小路』(矢口誠訳/扶桑社ミステリー)は、ギレルモ・デル・トロ監督による映画化で話題の古典ノワールである。一九三〇年代半ばのアメリカで、見世物小屋を仕事場とする奇術師スタントンが主人公をつとめ、動物に食らいつく獣人や感電しない美女といったフリークたちが登場するカルトな物語。詐欺を重ねるスタントンは、タロットカードが示す運命から逃れられない。個人的には、聖書の引用、賢い黒人、三人の女の登場など、ジム・トンプスン『ポップ1280』と通じる要素が多く驚かされた。
最後は今月いちばんの痛快な小説だ。ジョン・グリシャム『「グレート・ギャツビー」を追え』(村上春樹訳/中央公論新社)。プリンストン大学の図書館に厳重な形で保管されていたフィッツジェラルドのオリジナル直筆原稿が強奪された。行方を追う調査会社が目をつけたのは、フロリダにある独立系書店の店主ブルースだった。真相を暴くため、新進女性作家のマーサーがその書店のある島へ送り込まれた。作家や稀覯本蒐集などをめぐる業界内幕話が満載の潜入スパイものサスペンス。真の主役といえるブルースは、心から小説を愛し、書店主として成功をおさめ、異性をひきつける、まるで文芸界のジェームズ・ボンドのごときスマートさと大人の魅力を発揮している。小説好きの趣味と理想にあふれるミステリなのだ。
(本の雑誌 2021年1月号掲載)
- ●書評担当者● 吉野仁
1958年東京生まれ。書評家。おもにミステリを中心とした小説や本の書評、文庫解説などを執筆。
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