男尊女卑の地獄に風穴を開けるシスターフッド小説『誓願』

文=藤ふくろう

  • 誓願
  • 『誓願』
    マーガレット・アトウッド,鴻巣友季子
    早川書房
    3,190円(税込)
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  • 突囲表演 (河出文庫)
  • 『突囲表演 (河出文庫)』
    残雪,近藤直子
    河出書房新社
    1,650円(税込)
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  • 地下―ある逃亡
  • 『地下―ある逃亡』
    トーマス・ベルンハルト,今井 敦
    松籟社
    1,870円(税込)
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  • バグダードのフランケンシュタイン
  • 『バグダードのフランケンシュタイン』
    アフマド・サアダーウィー,柳谷 あゆみ
    集英社
    2,615円(税込)
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  • 心は孤独な狩人
  • 『心は孤独な狩人』
    カーソン・マッカラーズ,村上 春樹
    新潮社
    2,750円(税込)
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 2016年アメリカ大統領選挙で話題になったディストピア小説『侍女の物語』の続編、マーガレット・アトウッド『誓願』(鴻巣友季子訳/早川書房)が、2020年アメリカ大統領選挙の時期に刊行された。"超保守・キリスト教原理主義国"ギレアデ共和国(元アメリカ)で、女性は読書と文字を禁じられ、「女は弱く罪深い生き物」だから、よい花嫁となって子供をうんで男性に支配されるよう、教育を受けている。

 読む者の心をえぐる筆致はあいかわらずだが、『侍女の物語』と雰囲気はかなり違う。前作が、侍女がひとり不透明で不穏な現実にもがく「精神的・絶海の孤島系サバイバル」だったのに対して、『誓願』は3人の語り手がいて、互いに話し協力する「共闘サバイバル」だ。前作にえぐられた身としては、女友達がいるだけで救われた気持ちになる。また『誓願』では「本を読んで記録を残すこと」が、重要な役割を担っている。女性はもはや服従しているだけの存在ではなく、本を読んで知識を得て、お互いに身の上を語り、一緒に戦う存在である。これは、地獄に風穴を開けようとするシスターフッド小説だ。前作でつらい気持ちになった人にこそ読んでほしい。

 息苦しい社会の包囲を突破しようとする女性の小説をもう1冊、紹介する。中国人作家、残雪による『突囲表演』(近藤直子訳/河出文庫)が文庫で復刊した(元版は文藝春秋、1997年に出版)。私はこの復刊を10年、待っていたから、復刊の知らせを聞いた時は「復刊めでたい踊り」を踊った。

『突囲表演』は、五香街に勃発した不倫騒動にまつわる、ぶっ飛んだうわさ話の混沌だ。いつの世でも不倫やスキャンダルは噂の種だが、残雪の世界ではレベルが違う。互いが顔見知りのはずなのに、笑えるぐらい証言が一致しない。不倫騒動の渦中にいるX女史の年齢は22歳から50代とブレブレ、外見も「オレンジ色の目がひとつしか見えない」など、人間かどうかすら怪しい始末。さらに彼女は不倫相手の男を「絶対に目で見ない」らしく、不倫が可能なのか、もはやわからなくなってくる。狂乱の噂話に皆が翻弄される中、ど真ん中にいるX女史だけが颯爽とわが道を生きている。周囲の噂や圧力にとらわれずに突破する姿が格好いい。2018年に復刊した激烈異臭小説『黄泥街』に続き、残雪のすばらしき異形の世界が手に取りやすくなって喜ばしい限りだ。

「家族の愚痴を言わせたら右に出る者はいないオーストリア人作家」ことトーマス・ベルンハルトによる『地下 ある逃亡』(今井敦訳/松籟社)は、自伝的「初アルバイト小説」だ。音楽の都ザルツブルクに住む語り手の少年は、エリート教育機関のギムナジウムを中退し、ギムナジウムとは「反対方向」にあるという理由から、誰もが目を背ける貧困地帯の団地で働くことを選ぶ。

 ベルンハルトの小説を読む楽しみは、息継ぎなく真顔で繰り出されるディスり芸にある。ギムナジウムへ向かう道を「恐怖の中へと向かっていく道」「突然の死を迎えることになりかねない道」、継父を「後見人」と呼ぶなど(『消去』では義弟を「ワインボトル用コルク栓製造業者」と呼び続けた)、ベルンハルト節は健在だ。『地下』では罵倒だけではなく、祖父、仕事、音楽への愛も惜しみなく開陳されている。さらに「私は完璧に店を回せる」と自賛するベルンハルト、「私は誰にでも心を開いている」とツッコミ待ちを疑うレベルの自己像を開陳するベルンハルトなど、呪詛と喜びとユーモアが混沌と入り混じった、多彩なベルンハルトを堪能できる。『地下』は自伝的5部作の2作目で、『原因』『ある子供』が既刊。5部作のストーリーは連続しているが、それぞれ単独でも読める。

 アフマド・サアダーウィー『バグダードのフランケンシュタイン』(柳谷あゆみ訳/集英社)は、21世紀イラクがうんだ異形小説だ。イラクの首都バグダードで、古物商が、自爆テロで吹き飛んだ遺体の断片をつなぎあわせて「一人分の遺体」をつくる。この遺体に自我が芽生え、腐り落ちる体のパーツを入れ替えながら、自分たちを殺した者を処刑していく。多様なバグダード市民たちが、神出鬼没の怪物を気にかけながら、不安定な日常を生きる姿が描かれる。異形の存在は確かに強烈だが、町を歩いていたら自爆テロにぶち当たる日常も凄まじい。「あの角を歩いていたら死んでいた」といったことが頻繁に起こる世界は、空想でもホラ話でもない「イラク人の日常」だ。バグダードでなければ、これほど異様なのに現実味がある小説はうまれないだろう。奇想ともSFとも安易に言い切ってはいけない凄みがある。「俺こそが最初のイラク国民だ」と怪物は語る。21世紀イラク・バグダードを凝縮しきった小説だ。

 最後に、8月刊行ではあるが、「復刊めでたい踊り」を踊った新訳小説を紹介したい。カーソン・マッカラーズ『心は孤独な狩人』(村上春樹訳/新潮社)は、アメリカ南部小説の古典だ。マッカラーズが描くのは、「心から理解してくれる人が欲しい」という誰でも持つ願いと、その叶わなさだ。聴覚障害者の白人のもとに、人種も立場も違う4人が頻繁に訪ねてくる。訪問者たちは、笑顔で静かにうなずき、何時間でも話を聞いてくれるこの人こそが「唯一の自分の理解者」と期待する。しかし、それは幻にすぎない。人間は孤独にたたずむ星のようなもので、明滅して互いにシグナルを送ることはできるけれど、心をわかちあうことはできない。それでも人は、「理想の理解者像」を他者に投影して期待する。人間である以上は逃れられない、根源的な孤独と寂しさを描いた名作。

(本の雑誌 2021年1月号掲載)

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●書評担当者● 藤ふくろう

海外文学の感想ブログ「ボヘミアの海岸線」を書いている。IT系メディアの編集者、外資マーケティングと、いろいろ越境しながら仕事している。たまに、分厚い海外文学を読む「ガイブン読書会 鈍器部」を主催。夢は、灯台かハウスボート(水上の家)に住むこと。

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