絵本作家・漫画家・詩人のやなせたかしの生涯
文=東えりか
幼児に大人気の絵本の『あんぱんまん』(フレーベル館1973年初版/2022年復刻版)を初めて読んだ。もちろんアンパンマンとは、あんぱんの顔を空腹で困っている人に食べさせる、ことは知っていた。だが頭のあんぱんを全部食べられてしまっても、新しく焼いたあんぱんに挿げ替えると元に戻るというシュールさには驚かされた。
現在放映されているNHK朝ドラ「あんぱん」は『あんぱんまん』の原作者、やなせたかしの妻のぶがモデルだ。
子どもの居ない私にとっての「やなせたかし」は「手のひらを太陽に」の作詞者で雑誌「詩とメルヘン」の編集長として認識されていた。
だがいま、カタカナになった「アンパンマン」のキャラクターは世界6位、7兆円の巨大ビジネスになっているという。
「やなせたかし」とはどんな人でアンパンマンビジネスはどうなっているのか2冊の本から知ることにしよう。
梯久美子『やなせたかしの生涯 アンパンマンとぼく』(文春文庫)は硫黄島指揮官の栗林忠道や島尾敏雄の妻、ミホなど評伝を多くてがけるノンフィクション作家が、かつての上司を描いていく。梯さんは「詩とメルヘン」の編集者だったのだ。
大正八年に高知に生まれ、両親と離れて暮らさなくてはならなかった嵩少年の幼年期から晩年までを経時的に書き起こす。創作である朝ドラとは違い、いつもどこか寂しそうにみえるやなせたかしの心象風景と戦争の影響、大器晩成の天才と呼ばれる所以などを繙く。詩に仮託した心の読み解き方はさすがだ。
梯さんにはジュニア向けノンフィクション『勇気の花がひらくとき やなせたかしとアンパンマンの物語』(フレーベル館2015年)がある。こちらはぜひ親子で読んでほしい。
柳瀬博一『アンパンマンと日本人』(新潮新書)はやなせたかしの魅力の背景とともに、ビジネスとしてのキャラクター、アンパンマンを分析する。
著者は教鞭をとる東京科学大学のメディア論の2024年の授業で18歳から21歳の学生にアンケートを取った。すると9割近くがアンパンマンの消費者で、触れ始めたのは0歳から2歳、卒業したのは4歳から6歳という結果が出た。丸い顔が乳幼児に受けるようだ。
さらに現在の親世代はアンパンマンで育っている。一度は通った道で親は子に安心して観せられるキャラクターなのだ。
やなせたかしは圧倒的に漫画家として認識されていると思うが、私くらいの年齢だとロマンチックな詩人のイメージが強い。第一詩集『愛する歌』を出し「詩とメルヘン」でも版元になったのは「山梨シルクセンター」という謎の会社。この会社が、いまやあの「サンリオ」である。
紹介した二冊に共通しているのはやなせたかしの「困った人を助ける」という思想の原点を探っていくこと。亡くなって12年。さらにアンパンマンは人助けに奔走していくのだろう。
アンパンマンのあとは「まことちゃん」の楳図かずお。『わたしは楳図かずお マンガから芸術へ』(中央公論新社)は最初で最後の本格的自伝として、自らの一生を語っていく。最後の取材から一か月ほど経った後、病気で亡くなってしまったというのも、どこか楳図さんらしい。
思い返せば、私は初めて買ってもらった「少女フレンド」に載っていたマンガ『ママがこわい』があまりに恐ろしくてお風呂の焚きつけにしてもらったのだった。しばらくはあのおどろおどろしい画風が苦手だったのだが『漂流教室』で嵌った。
本書を読むと、その時々で強い主張があり、唯我独尊に仕事をしていたことがよくわかる。編集部との諍いなど、真実かどうかはともかく、楳図かずおという漫画家のキャラクターが良く分かるエピソードだと思う。
日本には手塚治虫だけでなく、唯一無二の漫画家がたくさんいる。やなせたかしも楳図かずおもそうなのだ。口絵のデビュー前に描かれたという漫画「森の一夜」を読むだけでも、本書を手に取る価値がある。
後藤正治『文品 藤沢周平への旅』(中央公論新社)をノンフィクションというのは語弊があるかもしれない。著者は押しも押されもしないノンフィクションの大家だが、本書は藤沢作品の文芸批評なのだ。
主に作品の発表順、さらに細かいジャンルを分けて19作を後藤正治流の解釈で読み解き、さらに藤沢自身が書いたエッセイや娘の遠藤展子『藤沢周平 遺された手帳』『父・藤沢周平との暮し』などを照らし合わせて、その作品を書いた時の心境や状況、さらに藤沢の有する人間観、人生観、世界観を共有していく。
私の大好きな世話物の連作『橋ものがたり』など、丁寧な読み解きに再読したい欲求を抑えられず新潮文庫を買い直してしまった。
亡くなって25年以上経つが、藤沢周平人気は衰えない。その一つの証拠として、新人賞の応募作に、藤沢作品の影響を受けたと思われる作品が多いのだ。
著者も担当編集者も藤沢の作品だけでなく、ひととなりを語る。一人の小説家の作品論を作るためには本人が書いたエッセイが欠かせないと強く感じた。
物故した歴史小説家の回顧録をもう一冊紹介する。
中川洋子・火坂雅志『夫・火坂雅志との約束 いつか、また逢う日のために』(青春出版社)は没後10年経って、ようやく妻が書くことのできた思い出の記録と未収録作品集。
お酒が好きで食道楽で故郷をこよなく愛した作家の作品はいまでも読み継がれている。未発表作『墓盗人―骨董屋征次郎 真贋帖』はファンなら必読。「お帰りなさい」と言いたくなった。
(本の雑誌 2025年6月号)
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- ●書評担当者● 東えりか
1958年、千葉県生まれ。 信州大学農学部卒。1985年より北方謙三氏の秘書を務め 2008年に書評家として独立。連載は「週刊新潮」「日本経済新聞」「婦人公論」など。小説をはじめ、 学術書から時事もの、サブカルチャー、タレント本まで何でも読む。現在「エンター テインメント・ノンフィクション(エンタメ・ノンフ)」の面白さを布教中。 新刊ノンフィクション紹介サイト「HONZ」副代表(2024年7月15日クローズ)。
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