芥川賞作家の理想の家探しにワクワク!
文=東えりか
毎日の生活を機嫌よく過ごすために、住環境はとても重要なファクターだと思っている。
とはいえ大それた欲望があるわけではない。静かで、まあまあ便利で、それほど手狭ではないこと。それくらいだろうか。三十年住んでいるいまの住居はほぼ希望を叶えてくれている。
『羽田圭介、家を買う。』(集英社)は人気小説家の羽田圭介が理想の家に巡り合うまでの不動産遍歴である。
二〇一九年、著者が三十四歳のときに初出の連載が始まった。高校在学中にデビューしたので作家のキャリアは十分。二〇一五年には芥川賞を受賞しベストセラー作家となった。メディアへの露出も厭わず、バラエティ番組の出演も多い。
この時の住まいは家賃二十四万の都内高層マンションだった。高層階の夜景に感動し独身の都会生活を謳歌するつもりが、一か月でその感動も冷める。書斎で籠って執筆する場合、夜景はいらない。むしろ入りすぎる日光が邪魔だ。
ならば別荘を持つか、それとも本当に理想の家を建てるためにお金を貯めるか。
都内で思い通りの家を建てるなら五億円は必要だ。作家の収入ですぐに望めないなら、不動産投資を始めるか?
様々なアイディアが湧き、ちょっと手を出しては引っ込める。車とバイクへの愛情は変わらないが、そのためだけに家を考えるのもどうなのか。逡巡は続く。
いざ購入、と決意しても物件探しから始まって銀行からの融資やら家具の選定やら、やるべきことは山積みだ。
その上、意外なことに結婚してしまう。自分の理想だけではなくなって、この家探しはどうなってしまうのだろうとワクワクしながら読み進む。
羽田圭介は果たして満足できる家を手に入れたのか。最終ページの間取りを見て、あなたはどう思うだろうか。
もうひとり、理想の住まいを手に入れた作家、小川糸。『いとしきもの 森、山小屋、暮らしの道具』(文春文庫)。
ベルリンに住んでいた著者は、コロナ禍や家族との別離を経験し、帰国を選択した。だが自然が多く自由で活気のあったベルリンのような場所を探して巡りあったのが八ヶ岳山麓だった。
必要なのは森と湖、そしてカフェ。そして愛犬がゆっくり過ごせる場所。
見せてもらった中古の集合住宅や古い別荘は大規模なリフォームが必要だ。ならば土地を買って家を建てよう。運転免許を取り理想の建築家に出会い、資金繰りの目途もついた。わかるなあ、と思うのはキッチンに関するこだわりだ。うんうんと頷きながら読みすすむ。
家を一から建てるとなると、思いもかけない障害が発生する。それもまた楽しみと割り切って、新しい喜びを見出せるのも才能だろう。小川さんは文才だけでなく、その場その場に自分を溶け込ませ合わせる才能にも恵まれているようだ。
家が完成したら、あとは気に入った家財を集める楽しみが待っている。お気に入りの写真がたくさん掲載されているのだが、よくこれを見つけてきたなあと驚かされた。
実は私、紹介されている松本箒が欲しいと思ったのだが、ネット上は売り切れている。うーん、どうしよう。
ある日ふと、自分の家系図を検索していたハリウッドの映画プロデューサー、ポップウッド・ディプリーはイギリス北部マンチェスター郊外のミドルトンという町に「ポップウッド邸」という城があることを知る。祖父から一族が七世代か八世代前まで遡れ、一七〇〇年代にアメリカにやってきたことは聞いていたが、まさか自分たちのルーツはまだ残っているのか?
少し前に亡くなった父の追悼と散骨のため、ヨーロッパ旅行を計画していたポップウッド一家は、この場所を見に行くことにした。まさかそれが彼の人生を大きく変えることになるとは思いもせずに。
三月に発売された『ハリウッドのプロデューサー、英国の城をセルフリノベする』(村井理子訳/亜紀書房)は「人生は何があるかわからない」を地で行くノンフィクションだ。だって自分の先祖がイギリスの貴族で、大邸宅どころか街の名前にまでなっており、その城がボロボロなので修復をどうすればいいか、検討している渦中に飛び込んでしまう、なんて思いもしなかっただろう。さらに「この城を甦えらせることを決意」してしまうとは。
家を一軒建てるのでさえ人生の大事業であるのに、ショパンが演奏し、バイロンが暖炉を寄贈したこの場所を自分がセルフリノベするなんて、誰が想像しただろうか。
街には歴史を研究し、継続して修繕し続ける職人がいるし、この場所に思いを持つ者がたくさんいる。無知なアメリカ男がどこまでやるか見てるのだ。
さらに英国人と米国人は英語を話す同士とはいえ、一つの単語の意味もニュアンスも、国民性もあまりに違いすぎる。意思の疎通も難しい。
紆余曲折ありながら、出会いから八年、少しずつ進んではいるものの城の修復は残念ながらまだ完成には至っていない。
図書館に住みたい、または図書館みたいな家を建てたい、そんな夢を見る活字中毒者は多い。橋本麻里 山本貴光『図書館を建てる、図書館で暮らす 本のための家づくり』(新潮社)は昨年十二月に発売されたあと意外なベストセラーになり現在四刷。美術評論家とゲーム作家のふたりは仕事柄、蔵書が膨大だ。それをおさめる家を建てるため建築家に設計してもらい、九州大学で廃棄される予定だった書架を入れた。まさに本のための家で人間はそこに住まわせてもらっている。本と暮らす覚悟をした人間がここにいる。
(本の雑誌 2025年8月号)
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- ●書評担当者● 東えりか
1958年、千葉県生まれ。 信州大学農学部卒。1985年より北方謙三氏の秘書を務め 2008年に書評家として独立。連載は「週刊新潮」「日本経済新聞」「婦人公論」など。小説をはじめ、 学術書から時事もの、サブカルチャー、タレント本まで何でも読む。現在「エンター テインメント・ノンフィクション(エンタメ・ノンフ)」の面白さを布教中。 新刊ノンフィクション紹介サイト「HONZ」副代表(2024年7月15日クローズ)。
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