天皇家に忍び寄った「魔女」を追う意欲作
文=東えりか
二〇二五年は、昭和にすると百年、終戦から八十年という節目の年だからか、この八月はいつにも増して第二次世界大戦の戦前戦後を語る映画やドキュメンタリ、小説、ノンフィクションを多く目にした気がする。
『天皇を覚醒させよ 魔女たちと宮中工作』(講談社)は、もと新潮45の編集長、若杉良作のデビュー作。いまだに不可侵領域である天皇家、および宮中に忍び寄った新興宗教に切り込んだ意欲作である。
序章では昭和九年に海軍エリートが設立した「神政龍神会」が天皇の霊的覚醒を促した事件が紹介される。宮中の女官たちを籠絡、共鳴させ、彼らの主義主張である「神政復古」を唱える一冊の本を献上したという。
三十年近く前に上梓された松本清張の絶筆小説『神々の乱心』(文春文庫)を思い出す。
だが本書に詳細に書かれているのは、戦後に起こった「宮中魔女追放事件」。これを知る者は少ないのではないか。タイトルの「魔女」とは昭和四十六年に宮中から追放された(自主退職とされる)ひとりの女官と影響を受けた女性皇族や教育者たちのこと。昭和天皇の后、香淳皇后を誑かし、宮中祭祀に介入したとして、天皇側近の入江侍従から排斥されたという。
「魔女」は何を画策し、宮中では何が起こっていたのか。そして新しい皇室を標榜する者たちにとってなぜ疎ましい存在だったのか。
本書では女官の出自から彼女を利用しようとする様々な者たち、および宮中祭祀の詳細と戦後の変遷など、庶民には想像もつかない世界の出来事を綴っていく。宮中祭祀の新旧勢力の戦いでもあり、天皇制に関する知識の解説書でもある。
オウム真理教事件を目の当たりにした時、目に見えない力や「神」の存在を信じることが不思議で不気味だった。日本という国の底に流れる「何か」が知りたい。『神々の乱心』を読み返したくなった。
とはいえ毎朝のワイドショウの星占いは気になる。神仏を信じているわけではないといいながら、初詣もお盆のお墓参りも欠かさない。
友清哲『ルポ"霊能者"に会いに行く 「本物」は存在するのか』(PHP研究所)は三月発売ながら、どこかで紹介したいと思っていた一冊。ユリ・ゲラーやら霊視での迷宮事件捜査などのテレビ番組を食い入るように観ていた世代なら、多分共感してもらえるだろう。
著者はある雑誌の占いコーナーのゴーストライターの経験があるフリーライター。そんな記事でも信じる人がいたことの贖罪と世の中に数多存在する自称・霊能力者を調査すべく四半世紀にもわたって東奔西走した末、邂逅した十九人の霊能者を取材した一冊。
信じる者は救われるのか、それとも裏切られたと恨むのか。
ルールは三つ。「占い師」ではなく「霊能者」をターゲットとすること。鑑定料を値切らないこと。そして本当に悩んでいる時は霊能者に会わないこと。
質問をぶれさせないことで、霊能者の対応を比較する意味で尋ねることも決めている。仕事・健康・結婚だ。
いちばん知りたかった鑑定料が明記されているのも嬉しい。相場は一時間で二万円前後。うーん、高い。だがそれで人生が拓けるなら安いものかも。
著者も驚くコスプレ霊能者から、秋田名物イタコさん、美少女霊能力者は天使の使いを名乗ったり、ゲイのカップルで霊能者だったり。
しかしなかには、なんとなく本物らしい人もいる。訪れた霊能者の何人かは、著者の前世を「ヨーロッパのパン職人」だと断言した。だからどうだ、というわけではないが、人生に迷ったときに見てもらう「霊能者」選びには役立ちそうである。
私にはまったく霊感がない。春先の花粉ですらわからない鈍感さだ。だから人生で「幽霊」を見たことがない。亡くなった夫に出てきてほしいと祈っても、夢にさえ登場しない。ならばなんとか見える方法はないものか。
『幽霊の脳科学』(ハヤカワ新書)は脳神経内科医の古谷博和医師によって幽霊や怪談を見るメカニズムが明かされる。統合失調症やパーキンソン病など精神科分野の疾患では幻視や幻覚を見ることは有名だが、脳科学、とくに睡眠分野の研究進歩によって、今まで明かされなかった「幽霊」が何かがわかってきたのだ。
幽霊を視る、怪奇現象に会ったという患者の話をまとめ(その中には椎名誠さんの話も含まれている)、古今東西の怪談話を分析することで、脳科学的な分類ができるようになり、七−八割がたは科学で説明できることには驚かされた。霊現象で苦しんでいる人にとってこのような医師が存在することはどれだけ心強いだろう。
とはいえそれがすべてではないところがミソ。幽霊が居なくなることは無さそうだ。
『自分は「底辺の人間」です 京都アニメーション放火殺人事件』(講談社)は、一番怖いのは人間だと思い知らされた。二〇二四年度新聞協会賞を受賞した京都新聞取材班の総力取材による一冊だ。
二〇一九年七月、京都アニメーション第1スタジオで起こった放火殺人事件では三十六人死亡、三十二人が重軽傷を負った。逮捕されたのは自身も大やけどを負った青葉真司。単独犯だった。自分が応募したアニメの原作が盗用されたと恨みこの犯行に及んだとされる。
アニメ制作会社「京アニ」は世界的に評価が高い。亡くなった人には著名な監督も将来を嘱望される新人もいた。その命が一瞬にして失われたのだ。
犯人は極悪人だ。だがこの犯罪の背景には何があったのか。調査報道のお手本ともいえる本書を読めば、どんな怪談より背筋が寒くなるだろう。
(本の雑誌 2025年10月号)
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- ●書評担当者● 東えりか
1958年、千葉県生まれ。 信州大学農学部卒。1985年より北方謙三氏の秘書を務め 2008年に書評家として独立。連載は「週刊新潮」「日本経済新聞」「婦人公論」など。小説をはじめ、 学術書から時事もの、サブカルチャー、タレント本まで何でも読む。現在「エンター テインメント・ノンフィクション(エンタメ・ノンフ)」の面白さを布教中。 新刊ノンフィクション紹介サイト「HONZ」副代表(2024年7月15日クローズ)。
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