石川智健『エレガンス』の気迫と覚悟を見よ!

文=梅原いずみ

  • エレガンス
  • 『エレガンス』
    石川 智健
    河出書房新社
    2,178円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS
  • 粒と棘
  • 『粒と棘』
    新野 剛志
    東京創元社
    2,310円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS
  • アミュレット・ワンダーランド
  • 『アミュレット・ワンダーランド』
    方丈貴恵
    光文社
    1,980円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS
  • 七つの大罪
  • 『七つの大罪』
    岡崎 琢磨,カモシダせぶん,川瀬 七緒,中山 七里,七尾 与史,三上幸四郎,若竹七海
    宝島社
    1,870円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HMV&BOOKS

 今年太平洋戦争の終戦から八〇年。記憶の継承が大きな課題となっている。

 石川智健『エレガンス』(河出書房新社)は、空襲が激化する一九四五年の東京を舞台に、警視庁写真室所属の石川光陽と、内務省防犯課の吉川澄一が連続不審死を追う長編。ともに実在の人物で、石川は戦禍の街並みを撮影した写真家、吉川は「吉川線」を考案した鑑識官だ。

 一九四五年一月。都内では、洋装姿で首を吊る"釣鐘草の衝動"と呼ばれる事件が相次いでいた。当初は自殺と処理されていたが、吉川は他殺の可能性を疑う。

"釣鐘草の衝動"の謎が物語を牽引する一方、本作が浮かび上がらせるのは、戦時下を生きる人々の切実な姿だ。たとえば語り手である石川は、死がすぐそこにある世界で苦悩している。昼夜問わず空襲警報が響き、毎日のように人が死ぬ状況で、自殺か他殺かはっきりしない事件を捜査する意味はあるのか、と。それでも、吉川は言う。「犯罪を見逃すのは、罪を許容することと同義です。空から爆弾を落として罪なき人々を殺している行為を容認することと同じなんです」。

 また、もう一人の語り手である若葉千世や彼女の周囲の女性たちは、周囲から厳しい目を向けられ、時に攻撃されようと洋装を貫いている。ただ、美しくあるために。世界によって、自分が変えられないために。彼女たちの抵抗が美しいほど、それを逆手に取った"釣鐘草の衝動"の残酷さが克明となる。

 石川たちが事件の真相に迫るとともに、時も進む。一月から二月、そして三月一〇日──東京大空襲の日へ。石川と千世が目の当たりにするのは、呼吸すら許さない圧倒的な暴力と死だ。それを描く気迫の籠った筆致に著者の強い覚悟がにじむ。

 戦中を生きなければならなかった人がいるように、戦争の"後"を生きなければならなかった人もいる。新野剛志『粒と棘』(東京創元社)は、戦後の東京の街で必死に生き抜く六人の物語を収めた短編集。闇物資の担ぎ屋をしている元飛行士や、上野の浮浪児を地方の農家に斡旋する少年など、彼/彼女たちは時に犯罪に手を染めたり巻き込まれたりしながら、戦後の"日常"を生き延びようともがく。

 復興期という時代背景は六話で共通だが、敗戦直後から占領期、高度成長期に入るまでと時期はさまざま。誰もが時代に翻弄されていて、特に左翼系の紙芝居出版社で働く編集者・佳惠が主人公の「軍人の娘」ではそれが顕著だ。彼女の父親は敗戦を知り、自決した軍人だった。「多くの命が犠牲になった戦争を遂行しておいて、最後は責任を取らずにあっさり命を絶った」"父"がいなくなった世界で、ある事件に巻き込まれた佳惠は、自由や役割について想いを巡らせる。

 独立短編集ではあるものの、同一人物や同じ場所が別の話で再登場することもあり、基本的には収録順に読むのがオススメ。GHQの末端組織で手紙の検閲を行う元士族が主人公の「手紙」、連合国軍が接収した洋館で働く料理人と、館に監禁されている捕虜が交流を重ねる「幸運な男」などは、単体でもミステリ要素が強い。さらに全六話を通して読むことで、点と点がゆるやかに繫がる快感を味わえる。

 方丈貴恵『アミュレット・ワンダーランド』(光文社)は、最近文庫化された『アミュレット・ホテル』シリーズの第二弾。犯罪者御用達のホテルが舞台の連作短編集である。ホテルに損害を与えない。ホテル内で傷害・殺人事件を起こさない。たった二つのルールさえ守れば、アミュレット・ホテルでは非合法なサービスでも受けられる。ただし、違反した場合は専属のホテル探偵・桐生のロジカルな推理によって、犯罪計画も犯罪者の正体も即時に暴かれるのでご注意を。

 今回、ホテルの掟を破って起きた事件は四つ。いわくつきの部屋でライブ配信中に起きた殺人、バーに届けられた落とし物を巡る犯罪者たちの争奪戦、フロント係の水田を標的にした殺し屋たちの熾烈なコンペ(という名のバトルロイヤル)、結婚式会場に爆弾を仕掛けた爆弾魔との心理戦である。〈竜泉家の一族〉シリーズをはじめ、著者の本格ミステリへのこだわりには毎回圧倒させられるのだが、今作も犯罪者のためのホテルという舞台設定をこれでもかと活かした展開と謎解きが素晴らしい。ホテル関係者や悪党たちも前作よりパワーアップしていて、この世界の裏社会事情が気になるところ。第三話の水田は相当にカッコイイぞ!

 アンソロジーは、『七つの大罪』(宝島社)が秀逸だった。中山七里、岡崎琢磨、川瀬七緒、七尾与史、三上幸四郎、カモシダせぶん、若竹七海という七に関係のある執筆陣(岡崎は七月七日が誕生日とのこと)が、キリスト教における七つの大罪──傲慢、嫉妬、憤怒、怠惰、強欲、暴食、色欲──にまつわる短編を寄せている。息子を亡くした夫婦につきまとう老婆の真意に震える川瀬七緒「移住クライシス」、夏目漱石『こころ』の謎解きが思わぬ方向に転がる七尾与史「オセロシンドローム」、不運な探偵・葉村晶が登場する若竹七海「最初で最高のひとくち」などなど、どれも満足度が高い。

 特に唸ったのは、カモシダせぶん「父親は持ってるエロ本を子どもに見つからないようにしろ」。息子が読んでいたのは自分(父親)が隠していたエロ本だった!という地獄のようなシチュエーションからは想像できない、冴えわたる息子の推理とエロ本に隠された秘密に思わず胸が熱くなる。各作品が大罪をどう描いているか、読了後に改めて考えるのも楽しい。

(本の雑誌 2025年10月号)

« 前のページ | 次のページ »

●書評担当者● 梅原いずみ

ライター、ミステリ書評家。
リアルサウンドブック「道玄坂上ミステリ監視塔」、『ミステリマガジン』国内ブックレビューを担当。1997年生。

梅原いずみ 記事一覧 »