独裁制と洗脳から飛び出す『宙の復讐者』
文=大森望
今年のヒューゴー賞長編小説部門は劉慈欣『三体』以来10年ぶりに男性が受賞したが(ロバート・ジャクソン・ベネットのThe Tainted Cup)、エミリー・テッシュ『宙の復讐者』(金子浩訳/早川書房)★★★★½は昨年の同賞受賞作。早川書房の翻訳SFには珍しく、四六判のソフトカバーで刊行。542ページで税込4180円の値段に驚くが、文庫なら上下巻で合計3000円を越えるだろうから、まあそんなもんか。著者はロンドン出身。ケンブリッジ大とシカゴ大で学び、『NARUTO』や『ウテナ』の二次創作歴もあるとか。
時は遥かな未来。異星種族連合体マジョダと接触した人類は、それを管理する超AI〈叡智〉により140億の住民もろとも地球を破壊され、わずかに数百万が残るだけ。主人公のキアは、戦士たるべく遺伝子強化された17歳の地球人少女。復讐を誓う独裁者のもと、人類の極右勢力が集う小惑星要塞〈ガイア・ステーション〉のスパロー寮で、候補生として苛酷な訓練(と思想教育)を受けている。ファシズムや北朝鮮に関する研究書が参考文献に挙げられている通り、独裁制と洗脳がテーマのひとつ(ウィリス「わが愛しき娘たちよ」的な家父長制と性的搾取の問題まで浮上する)。第1部ではキアの狂信的な軍国少女ぶりがみっちり描かれるが、双子の兄を追って(兄の友人である天才ハッカーの協力のもと)ガイアを出てからは、「えっ、そっち?」という方向に転針する。『エンダーのゲーム』の現代的アップデートでもあり、現在の世界情勢を映した宇宙SFでもある。最後はエンタメに寄り過ぎた気もするが、2020年代の冒険SFの模範解答の一つかも。
リア・ライリー『高慢と偏見とタイムトラベル』(さとう史緒訳/mirabooks)★★は、同じマッシュアップでも『高慢と偏見とゾンビ』とは違って、(オースティンが『高慢と偏見』を出す直前の)現実の1812年に現代人がタイムスリップする。しかも、時間旅行者のタックはNHLのスターGKで超絶ハンサム男。病気休暇中に英国を訪れた彼は自動車事故で沼に転落し、オースティンの友人のリジー(エリザベス・ベネットのモデルという設定)に助けられる。未亡人という自由な立場に憧れるリジーは、利害が一致したタックと契約結婚に踏み切るが......。ベタなロマンスなのでSF度もオースティン度も低め(コメディ度と官能度は割と高め)。すぐ読めるから話のタネにはいいかも。
笹原千波のデビュー単行本となる『風になるにはまだ』(創元日本SF叢書)★★★½は、人格の不可逆的アップロードが一般化した未来を描く全6編の連作集。当初は不老長寿が実現すると脚光を浴びたが、情報人格は数年から数十年で散逸する(=風になる)とわかり、今は高齢者など体に問題のある人々が主に〝移住〟している。第13回創元SF短編賞受賞の表題作は、情報人格の女性が、学生時代の仲間との集いに参加するため、生身の人間に間借りする話。手ざわりや匂いなど、従来のこの手の作品ではあまり重視されていなかった感覚やディテールにスポットが当たる。後半の3編(全体の約半分)は書き下ろし。
6月に出た高田漣のデビュー作『街の彼方の空遠く』(河出書房新社)★★★★は、吉祥寺はじめJR中央線沿線を主舞台に、自伝的要素と改変歴史SF要素を大胆にミックスし、エリクソン『黒い時計の旅』的な小説の大伽藍を構築する。冒頭、アニメ版『キャプテンフューチャー』主題歌が流れたと思ったら、W杯アメリカ大会開催中の1994年(の東京・田無)に飛び、サンプリング音源を収めた3・5インチFD(ラベルには『44/45』の手書き文字)の読み取りエラーから、リヒャルト・リーベツァイト皇帝が統べる奇怪なディストピアの歴史と現状が、三鷹台に住む〝ぼく〟の学生生活──ビースティ・ボーイズ、佐藤良明、三鷹オスカー、高円寺・稲生座etc.──と並行して語られる。縦横無尽のサンプリングで混じり合う幾つもの時代と幾つもの世界。吉祥寺駅北口サンロードの地下にある店で突然ヒルトップ・ストリングス・バンドが「ヴァーボン・ストリート・ブルース」を演奏し始めたりするような反則技(著者は高田渡の長男)も冴え渡る。奥泉光『ビビビ・ビ・バップ』が好きな人は必読。
宮澤伊織『ウは宇宙ヤバイのウ!2』(ハヤカワ文庫JA)★★★½は、『銀河ヒッチハイク・ガイド』にオマージュを捧げるドタバタ百合SF、11年ぶりの第2弾。高度18000mでうっかりヒッチハイカーをはねてしまったばかりに、主役コンビが再び人類文明を壊滅させることに。注視力集中線射出装置(任意のターゲットに強制的に視線を集め、量子状態を崩壊させる)などの新ガジェットも登場し、ますます快調。
東山彰良『三毒狩り』(毎日新聞出版上下)★★★★½は、毎日新聞連載をまとめた壮大な歴史空想活劇。時は1964年10月16日、毛沢東肝煎りの核実験のおかげで地獄に大穴が開き、亡者ともども〝三毒〟(貪瞋痴=貪欲と怒りと無知の化身である鶏・蛇・豚)のうちの貪と瞋が人間界に逃げ出してしまう。それを連れ戻すべく、閻魔大王の許可を得て地上に舞い戻ったのは、山東省の吹牛村で養父に拾われ、めちゃくちゃ強い義姉の李平や気のいい猛犬・皮蛋とともに育った少年、雨龍だった──という話が始まるのは下巻からだが、父親の代から語り起こされる(雨龍が地獄に落ちるまでの)年代記もめちゃくちゃ面白いので心配なく。後半はゾンビ小説的なテイストもありつつ、前代未聞の甦り喜劇&活劇が語られる。親子二代で登場する犬が最高なので犬好きはお見逃しなく。
(本の雑誌 2025年10月号)
- ●書評担当者● 大森望
書評家、翻訳家。責任編集の『NOVA』全10巻と、共編の『年刊日本SF傑作選』で、第34回と第40回の日本SF大賞特別賞受賞。著書に『21世紀SF1000』『同 PART2』『新編 SF訳講座』『50代からのアイドル入門』など。訳書に劉慈欣『三体』(共訳)、テッド・チャン『息吹』など。ゲンロン大森望SF創作講座」主任講師。
http://twitter.com/nzm- 大森望 記事一覧 »