久永実木彦『雨音』が描く残酷な世界への抵抗
文=梅原いずみ
久永実木彦『雨音』(KADOKAWA)。「黒い安息の日々」で第七八回日本推理作家協会賞短編部門を受賞した著者初の長編である。五月のある日、穏やかな奥石大学のキャンパスを正体不明の銃撃犯が襲った。死者三二名、負傷者三〇名以上。ネット上で〈痩せ烏〉と呼ばれる、身元不明の銃撃犯の死亡で幕を閉じたこの惨劇は、後に奥石大学銃乱射事件として語られる。
語り手のスミヒコも事件当日、大学にいたひとり。打ち合わせをしていた映画研究会〈幻燈〉のメンバーの中で自分だけが無事に生き残ってしまったという罪悪感から、スミヒコは事件のドキュメンタリー映画の製作を始める。「絶望にたいする感覚を鈍化させ」ている、下半身麻痺になったスミヒコの親友。SNSで英雄扱いされる女子大生の苦悩。銃撃で亡くなった息子の生も死も無意味だったのではと絶望する父親。関係者へのインタヴューから浮かび上がるのは、事件の真相ではない。身元も動機も不明の殺戮者に突如、大切な者の命や幸福を理不尽に奪われた人たちの"その後"だ。「この映画は、だれかを救うことになるのだろうか?」上述した父親の問いは、そのまま物語の主題に重なる。
本作にはもうひとり、「ベニ」という重要人物が登場する。彼女の存在はより、この問いに対する安易な答えを許さず、人を想うことや救うことの難しさを突き付ける。それでも、涙が枯れるほど傷つき、立ち上がれないほど打ちのめされた時に、差し出される手があるかないかでは決定的な違いがある。誰かの優しさによって、ほんの一瞬でも、"その先"に続く自分の生を肯定することができたなら。それこそが厳しく残酷な世界への抵抗になるのではないだろうか。
犬丸幸平『最後の皇帝と謎解きを』(宝島社)は、第二四回「このミステリーがすごい!」大賞受賞作。中国・清朝最後の皇帝にして後の満州国皇帝となる愛新覚羅溥儀。清朝が滅亡し、廃帝となった溥儀がまだ紫禁城に住んでいた一九二〇年代が舞台の連作短編集である。清朝の復権を虎視眈々と狙う溥儀はある目論見のため、日本人絵師の一条剛を水墨画の師として城に雇い入れる。物語は一条視点で進み、宦官の密室殺人、先帝が描いた龍の絵にいつの間にか描きこまれた眼の謎など、城内で発生した不可解な事件を溥儀と一条は解き明かしていく。どの事件もこの時代この舞台設定ゆえに起きたもので、全四章を貫く謎が用意されている点も評価したい。
事件や一条との交流を通じ、齢一五の廃帝の傍若無人な振る舞いには、次第に変化が訪れる。特に第三話、溥儀が変装して城外の街に出かけるシーン。宦官と案内役の一条の胃痛はさておき、紫禁城に幽閉されたも同然の環境で育った溥儀にとっては、その後の人生の支えとなるような楽しい思い出となったに違いない。当時の中国の暮らしや文化が鮮やかに描かれているため、情景も浮かんできやすい。確かな筆力を持つ新人の誕生である。
怪談作家・呻木叫子シリーズも四作目である。大島清昭『冷蔵庫婆の怪談』(東京創元社)。四話が収録された、伏線回収の妙技を味わえる連作短編集だ。全話で鍵を握るのは〈冷蔵庫婆の怪談〉──背中に冷蔵庫を背負い、出会った子どもを閉じ込める怪異──だ。これがどう各話に関係してくるかは言えないけれど、表題作の第三話では怪談を模倣するかのような連続殺人が発生する。
呻木はもちろん全話レギュラー出演だが、今作は五人組のオカルト系アイドルグループ「ギャラクシー・ファントム」がかなり魅力的。それぞれがUFO、心霊、超能力など専門的な知識を持つアイドルで、オオサンショウウオ男の祟りが伝わる地で起きた首なし殺人を描く第一話は、未確認生物を専門にするリーダーが語り手。そのため、怪異とUMAの違いに対するこだわりが伺えてよい。見取り図から始まる館ものの第四話も連作の最終話として素晴らしいが、マイベストは第二話。二五歳になると必ず娘が自殺する蘆野家の神の祟りを扱う一編で、ホラーと本格の反転が大変鮮やかだ。
恒川光太郎『幽民奇聞』(KADOKAWA)は、鬼とも妖怪とも語られる謎の集団「キ」の痕跡を民俗学者・鶯谷が追う連作集。鶯谷は各地を訪れながら、日本に古くから棲み、明治の文明開化とともに歴史の闇の中へと姿を消していった「キ」の伝承を集めていく。幕末の戦乱によりすべてを失った少年が出会った、ある能力を持つ老婆。人語を理解する狒々が書いたという日記をめぐる虚と実。「最後のキ」が語る激動の半生。人々の回想が重なるごとに、「キ」の実体が浮かんでは消える。連作として三話+エピローグを読むと、最後の「キ」の次世代を見据えた思いと覚悟に胸が熱くなる。
最後に、『芥子はミツバチを抱き』『天使と石ころ』などで注目されている藍内友紀によるホラー掌編集『不動産奇譚 神憑み之函』(マイナビ出版)。Web小説サイト「カクヨム」発表作を加筆修正した全一五話が収録されている。
高校生の「わたし」は、不動産屋でバイトする腐れ縁の恵に誘われ、いろんな"家"を訪れる。住人が失踪した家に残された、目玉のないぬいぐるみ。誰もいないはずの部屋から聞こえる騒音。時計ばかりの部屋に、箱が詰まった家と金盃。奇妙なようで、「わたし」がドライかつ結構物理的な手段を選ぶので、やっぱり「こわいことは、なにも、おこって」いない......のかもしれない。あちらとこちら。境界を隔てる函に集められた情念は何を生み出すか。う~ん、これぞ"怪談"である。
(本の雑誌 2026年4月号)
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- ●書評担当者● 梅原いずみ
ライター、ミステリ書評家。
リアルサウンドブック「道玄坂上ミステリ監視塔」、『ミステリマガジン』国内ブックレビューを担当。1997年生。- 梅原いずみ 記事一覧 »





