『マイ・ディア・キッチン』の変わってゆく主人公に喝采!
文=久田かおり
「人には二種類いる。自分を変えることのできる人間と、自分を変えることのできない人間だ」と誰かが言ったとか言わなかったとか。今までの人生を捨てて、新しい一歩を踏み出すにはとても勇気がいる。しかもそこには「生活」という現実もある。結婚して家庭に入っていた女性が一人で生きていくためには武器があった方がいい。大木亜希子『マイ・ディア・キッチン』(文藝春秋)の主人公の葉の武器は料理だ。
葉がモラハラささみ夫(読んだら絶対そう呼びたくなる!)の勝手な理想という枠のがんじがらめの檻から脱出し、押さえつけられていた自分本来の姿を見つけ出していく過程に心が沸き立っていく。家を飛び出した彼女はひょんなことで知り合った男性二人組の店で料理人として働き始める。単なる手伝いではなく一本の柱として店を支えることでこなごなになっていたプライドを、自尊心を取り戻していく。また葉の変化と共に彼らも、そして周りの女性たちも変わっていく。自分で自分を変えていける女たちと、自分で変わろうとしない男たちの対比もおもしろい。「人は変われる、自分のためにこそ」そのメッセージをしかと受け止めたい。
朝比奈あすか『普通の子』(KADOKAWA)はシビアにリアルにいじめ問題を描き出す。小学五年生の晴翔が教室のベランダから転落して足を骨折した。母親の美保はいじめを疑うが、フルタイムで働く美保にはクラスでの様子を聞くべきママ友も知り合いもいない。学校側の対応は責任逃れの事なかれ主義に見える。ケガをしたのは息子なのになぜ誰も親身になってくれないのか。しかも息子本人はかたくなに口を閉ざして何も語ろうとしないし、夫も頼りにならない。空回りし行き詰った美保から彼女自身の体験が語られる。ターゲットから傍観者となりいじめから逃れた過去。なぜ人は近くにいる誰かをいじめ続けるのか。なぜ他の人は助けようとしないのか。丁寧に執拗にいじめの実態が描き出される。これがいじめの構造なのか、といろいろ腑に落ちる。自分が、あるいは自分の家族がこの小説の登場人物でないことに胸をなでおろすかも知れない。けれど朝比奈あすかは静かに冷たく問いかける。美保や晴翔はいつかのあなたじゃないですか、と。覚悟して欲しい。ラスト10ページで最大級の衝撃に襲われるだろう。
髙田郁『星の教室』(角川春樹事務所)に泣かされた。
潤間さやか、二十歳。中学二年生の時の同級生たちから受けた暴力による大けが、そこからの不登校で卒業証書を受け取らないまま中学校を終了。つまり彼女は中学校を卒業していない(現在は形式卒業者という扱いになるらしい)のだ。同級生たちから、ご近所から、隠れるようにバイトで暮らす日々。そんなさやかが出会った学びの場が夜間中学だ。そこで出会った人たちとともに少しずつ変化し、成長していく姿が描かれる。
現代でも様々な理由で義務教育を終えていないままの人がたくさんいるのだという。学ぶ機会を奪われてきた人たち、文字を読めないために馬鹿にされ騙され搾取されてきた人たちにとって夜間中学という場所は希望の教室なのだ。文字を書きたい、読みたい、という切実な祈り。食べ物屋さんで好きなものが頼めるようになる、その小さいけれど大きな目標に向かって学ぶ人たち。教育を受けることは、その人の人生に希望の灯を点すことであり、学ぶということは、誰にも奪われないものを自分の中に蓄える、ということなのだ。《髙田郁》と書いて「きぼう」と読みたくなる、そんな一冊だ。
惜しくも第172回芥川龍之介賞を逃した『二十四五』(講談社)は乗代雄介のデビュー作『十七八より』から連なる阿佐美家サーガ最新作だ。主人公景子は二歳年下の弟の結婚式のため仙台へと向かう。義妹やその家族との会食、式、そして行きの新幹線の中で出会った就活生の夏葵との遠足までの三日間の物語。
景子と、五年前に亡くなった伯母ゆき江の間にあった何か。景子にとってゆき江とはどんな存在だったのか、なぜ景子はゆき江にとらわれ続けているのか。多くを語られないまま物語は進んでいく。ベストセラーとなった『旅する練習』(講談社文庫)でも思ったのだけど乗代小説は風景描写とそこにいる人間の心情のマッチングの心地よさがハンパない。その心地よさの中から涙のツボを的確に刺してくる。亡くなった大切な人への想いを昇華できずに抱え込んでいる人に、その想いはずっと持ち続けていてもいいものなんだ、と優しく語り掛けてくれる。
丸山正樹の『デフ・ヴォイス』(創元推理文庫)シリーズや一色さゆりの『音のない理髪店』(講談社)など聾者を描く作品には名作が多い。村崎なぎこ『オリオンは静かに詠う』(小学館)もその仲間入りか。生まれたときから耳の聞こえない聴覚障害者である咲季。両親が聴覚障害者であるコーダのカナ。二人の少女が百人一首を通して成長していく。「耳が聞こえないのに百人一首? どうやって取るの?」と思うだろう。上の句一文字で、もっと言えば一文字を発する直前の息の始まりで札をはじくというその瞬間を、どうやって戦うのか。聞こえない咲季、聞こえるカナ。カナの伯母であり二人の百人一首の師匠であるママン、咲季の担任の映美。それぞれの家族との関係、希望や絶望、そしてそれを乗り越えていくための葛藤。知っているようで知らない百人一首という競技を、そして知っている気になっていた聴覚障害という困難を、彼女たちと共にまっすぐに受け止めていこうと思える一冊。
(本の雑誌 2025年3月号)
- ●書評担当者● 久田かおり
名古屋のふちっこ書店で働く時間的書店員。『迷う門には福来る』(本の雑誌社)上梓時にいただいたたくさんの応援コメントが一生の宝物。本だけ読んで生きていたい人種。最後の晩餐はマシュマロ希望。地図を見るのは好きだけど読むことはできないので「着いたところが目的地」がモットー。生きるのは最高だっ!ハッハハーン。
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