今日をつないで生きる人々を描く朝倉かすみ『棺桶も花もいらない』
文=久田かおり
いせひでこの絵本『ルリユールおじさん』で「ルリユール」という言葉を知った人も多いのではないだろうか。それはフランス語で手製本すること、あるいはその職人を表す言葉とのこと。3月に発売された坂本葵『その本はまだルリユールされていない』(平凡社)は紙の本を愛する者にとって、そして捨てられない夢を抱えて生きる者にとってきっと宝物となる一冊だ。父親と同じ司法書士になる夢をあきらめた一人の女性まふみが、古いシェアハウスに住み、母校の図書館司書として働き始めるところから物語は始まる。大家の瀧子親方は世界的に有名な製本家。隣接する工房で家から外に出られない孫の天才職人由良子と共に製本業に就いている。と、ここまでの設定だけで身体の中を流れる本好きの血が期待にあおられふつふつと沸いてくる。そしてその期待を超えて優しくて温かくて愛おしい物語だった。何度も手に取りページをめくり読み込んでボロボロになっても捨てられない本、そんな大切な一冊が職人の手によって新しく美しく生まれ変わるなんて、まるで夢のようだ。けれど、本書にはそんな優しい夢だけではなく、叶わなかったり、壊れてしまった夢の置き場所も描かれる。夢を諦めることは、とても勇気のいることだ。まふみにとって使い込んで崩れそうになっている六法全書はその勇気を護る楯なのだろう。壊れたものや失くしたものを直してきちんとしまっていく過程、ルリユールとは心のリハビリだ。思うように生きられない人、夢をあきらめた人、ひとりぼっちで世界の片隅で膝を抱えている人、そんな人たちに、そっと贈りたい一冊だ。
朝倉かすみ『棺桶も花もいらない』(U-NEXT)は思わず二度見。土葬だとしても棺桶はいるからまさかの鳥葬か? 『平場の月』『にぎやかな落日』『よむよむかたる』と人生のあがりに向けての悩みやとまどいを描き重ねてきた朝倉かすみがとうとう棺桶小説にたどり着いたのか? いや、でも表紙の絵は可愛いし、なんだなんだ? 第一話「令和枯れすすき」はタイトルからして切ない。貧しさに負け、世間にも負ける話なのか、と覚悟を決めて読み始めると、これが切実で希望のカケラもない話なのに、妙に心が凪いでいく。妊活のためパート勤務に変更したのに、夫の不貞で離婚。不安定な生活の中で年を重ね、日雇い派遣で日々「今日」だけをつないで生きている「わたし」が「あの人」から受け継いだ「つっとのおうち」のバトン。この「つっとのおうち」のシステムが明かされたときの衝撃よ。荒唐無稽で壮大な計画は、孤独に生きる者にとっての究極の死に支度。なるほどまちがいなく「つっとのおうち」だ。これ、もうどこかで稼働しているんじゃないかと妄想。こういう希望のない高齢者が向き合う「死」の問題が続く短編集なのかと思いきや主人公たちは少しずつ若い世代へと移っていく。昨日より今日が、今日より明日がいい日になるなんて思えないのは、年寄りでも子どもでも変わらない。「今」を生きるのに精いっぱいで、明日を夢見ることさえ忘れている。それでも今日から続く明日のために一日ずつ扉を閉じて生きていくあなたとわたしの物語たち。
『君が眠りにつくまえに』(新潮社)は水沢秋生の描く最低で最高な人生譚だ。ある日、たまたま同じコンビニに居合わせた何の関係もない3人の、それぞれの3日間の軌跡の交差。事故で妻を喪い、絶望の中みずからも死を選ぼうとしている会社員、双子の弟との差に人生をあきらめている大学生、母の看病のためにデリヘルでお金を稼いでいた女性、3人にとっての今日は永遠に続く暗闇。そんな3人の運命がある日大きく動く。そことそこがそこでつながるっ!?の連続技。最低の人生は、それ以上堕ちることはない。堕ちたらあとは上がるだけ。そう、あきらめないで、マジメガイチバン。
伊坂幸太郎の『終末のフール』、凪良ゆうの『滅びの前のシャングリラ』......小惑星終末小説はとにかく面白い。そのジャンルに『#真相をお話しします』の映像化で話題の結城真一郎が参戦! 『どうせ世界は終わるけど』(小学館)はカウントダウンが100年と長いのが特徴。そんな先のことなんて知らんがな、どうせ死んでるし、でももしかすると子どもたちは遭遇するかもしれない、という微妙なライン。時の流れの中で少しずつ重なる物語。小学生の、高校生の、世捨て人のちいさな希望のカケラが少し動くことで大きな力となっていく。どうせいつかは終わる世界。だったら一生懸命生きた者勝ちじゃないか? 人と人の手によってつながる希望に賭けたくなる。
今年の大河「べらぼう」で注目される貸本屋といえば高瀬乃一の『往来絵巻 貸本屋おせん』(文藝春秋)だろう。2020年にオール讀物新人賞を受賞した「をりをり よみ耽り」を含むデビュー作『貸本屋おせん』の待望の続編だ。文化年間の浅草を舞台にしたいわゆる「ビブリオ人情捕物帖」だが、主人公のおせんのキャラクターがとにかくいい。不幸な生い立ちながら転んでもただでは起きない強かさと、困っている人を放っておけない情の深さ、そしてなにより本と出版業界への愛を総動員して謎解きに自ら巻き込まれていく。自死した父親の死の真相や、親しい絵師の最期など今作はちょっとビターなお話が多いのだが、衝撃的なのは第四話「みつぞろえ」だろう。ぜひとも「えぇ~、なんだかちょっとなぁ」と引き気味で読んでいただきたい(ニヤニヤ)。ちなみに前作『貸本屋おせん』が文庫になったので先にそちらからどうぞ。公私混同恐縮ですが文庫の解説を書かせていただいておりますので、ぜひに(平伏)。
(本の雑誌 2025年7月号)
- ●書評担当者● 久田かおり
名古屋のふちっこ書店で働く時間的書店員。『迷う門には福来る』(本の雑誌社)上梓時にいただいたたくさんの応援コメントが一生の宝物。本だけ読んで生きていたい人種。最後の晩餐はマシュマロ希望。地図を見るのは好きだけど読むことはできないので「着いたところが目的地」がモットー。生きるのは最高だっ!ハッハハーン。
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