絶望から希望へ向かう朝宮夕『アフターブルー』に涙!
文=久田かおり
時々「本屋としてこれを売らずになんとする!」という焦燥に似た衝動に駆られることがある。朝宮夕『アフターブルー』(講談社)はそんな一冊だ。この小説の舞台、株式会社C・F・Cは特殊な業務を請け負う葬祭会社だ。その中でも二課は特に状態の良くない遺体を扱う部署で、その過酷さに万年人手不足となっている。そんな二課に入社した東雲くんと社員4人の物語。それぞれに夕暮れ時から夜明けまでの空を表す名字を持つ5人は心の傷なんて言葉では言い表せないほど深く大きな個人的問題を抱えている。そしてそれぞれ何かを求めて、あるいは何かを探してこの会社にやってきた。遺族が生前のおもかげに寄り添えるよう施術を請け負うことで、人間の最期の尊厳を取り戻す手伝いをすることで、彼らは自分の抱える問題と向き合っていく。見ないふりをしていたこと、飲み込むことも吐き出すこともできずに口の中で転がし続けていた何か、それらをきちんと自分の中で消化していく姿に読みながら何度も涙がこぼれた。光が見えない暗闇にあるのは絶望だけではない。それは陽が昇るまえの準備期間であり、朝が来る希望の予感でもあるのだ。
小川洋子の6年ぶりの新刊『サイレントシンガー』(文藝春秋)は冷たく透き通ったガラスのような小説だ。内気な人たちが集まるアカシアの野辺。口から放たれる言葉ではなく、十本の指を使って最小限の言葉で会話する人たちが住んでいる。外の世界から離れ静かに慎ましく暮らす彼らの世界に、少しだけ開いた窓が「門番小屋」という物品販売所だ。そこで働く祖母とリリカが彼らと外の世界を繋いでいる。沈黙の中でリリカの歌声が流れる。誰にも知られない、誰の記憶にも残らない、それでも誰かに届く歌が。あまりにも美しいこの世界。けれどそこに混じる不完全さ。小川洋子の沈黙する文字が美しく歌う。この冷たく濃密な物語の中にずっといたい。静かにひそやかに穏やかに、そしてひめやかに。
「今から十年くらいあとの話」という一文で始まる未来の話が過去形で語られる柴崎友香『帰れない探偵』(講談社)は波に浮かぶマットの上で昼寝をしているような不安定な心地よさに包まれる。ある日突然「わたし」は新しい街で開いた探偵事務所兼住居に帰れなくなる。坂の途中にあるはずの事務所に通じる路地が見つからなくなったのだ。なぜ?どういうこと?これはSF?ファンタジー?ミステリ?いろんな疑問が浮かぶのだが、読んでいるうちにそんなハテナはどうでもよくなってしまう。帰れない探偵は世界探偵委員会連盟からの指示で世界中の街で依頼をこなす。どこかの街でなにかの事件があり、その事件に関わった人の言葉を集めていく。社会的な問題、政治的動乱、異常気象、陰謀論...いま、私たちの周りで起こっている問題とつながっている世界で「わたし」はいつか帰れるのだろうか。明日が昨日になる今日の、物語たち。
出版社のサイトに《社会派ミステリの名手によるクライム巨編 後味最凶の作家デビュー20周年記念作品!》とある。そうか薬丸岳さん、デビュー20周年なのか、おめでとうございます。その記念すべき『こうふくろう』(小学館)は著者曰く「今までで一番ダークな作品になったかもしれません」とのこと。いやいやいやいや、今までもかなりダークなもの書いてはりましたが、さらにですか?マジでっか?とおののきながら読んだ。「罪」と「家族」が薬丸小説の二大テーマだと思うのだけど、この二つを織り交ぜて救いのないダークな小説を解き放ってきましたよ。しかも幸せと知恵の象徴「ふくろう」を掛け合わせたのにそのカケラもないとは容赦ない。中池袋公園にあるふくろうの像「いけふくろう」、見たことはないのだけど実在するらしい。2020年、コロナで生活が一変し、家族を捨てあるいは捨てられ、職場や学校に居場所もなく未来に希望のカケラも持てない者たちがその像の周りに集まっていた。そこにいけば誰かがいるから。本名も経歴も知らない誰かと、ただそこに一緒にいる、その安心感と心地よさを求めて。ひとりの女性がそんな仲間たちと立ち上げた「こうふくろう」は本物の家族を作るための組織。そのはじまりは光だったが、集団が肥大するにつれてそこには闇が生まれ育っていく。新しく手に入れた幸せの象徴は、誰かの不幸の上に成り立つものとなっていく。自分を、そして仲間を救うための光は、犯罪という底知れぬ闇に飲み込まれてしまう。仲間であり続けるために犯す罪、重ねることで麻痺していくバイト感覚の犯罪。こうふくろうが消えてもまた次の「仲間」がどこかで作られるのだろうと暗いため息をつく。
暗いため息のあとは静かな吐息を。猫とカフェ、「伝言猫シリーズ」(PHP文芸文庫)や「喫茶ドードーシリーズ」(双葉文庫)で人気の標野凪の新刊『独り言の多い博物館』(幻冬舎)はお気に入りの飲み物とおいしい茶菓子を用意して読みたい一冊。たいていの博物館には大切なものや価値のあるものが収蔵されている。けれど「別れの博物館」には役目を終え、もう必要とされないものや失くしたもの、ささやかで、価値などないであろうもの、だけど誰かにとって大切な記憶の欠片たちが、しずかに、ひそやかに、無秩序にあるという。鳥の名をもつ館長には、そんな記憶の欠片たちの声が聞こえる。じっと耳を澄ませ、かれらの言葉に耳を傾ける。なんて素敵な場所なんだ。なんて優しい時間なんだ。忘れても消えない記憶をそっと預ける。自分なら何を託すだろう、どんな物語を語るだろう、と行ったことのない博物館に思いを馳せる。
(本の雑誌 2025年9月号)
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- ●書評担当者● 久田かおり
名古屋のふちっこ書店で働く時間的書店員。『迷う門には福来る』(本の雑誌社)上梓時にいただいたたくさんの応援コメントが一生の宝物。本だけ読んで生きていたい人種。最後の晩餐はマシュマロ希望。地図を見るのは好きだけど読むことはできないので「着いたところが目的地」がモットー。生きるのは最高だっ!ハッハハーン。
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