フレドリック六十六歳の波瀾万丈の日々

文=北上次郎

  • イタリアン・シューズ
  • 『イタリアン・シューズ』
    ヘニング・マンケル,柳沢 由実子
    東京創元社
    2,090円(税込)
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 ヘニング・マンケル『イタリアン・シューズ』(柳沢由実子訳/東京創元社)の終わり間近に、フレドリックが若き日のことを思い出す場面がある。彼は元医師で六六歳。スウェーデン東海岸群島の小さな島で、たった一人で暮らしている男である。その彼が、小さな舟に帆をつけた祖父のセーリングボードを乗り回していた一八歳の夏を、思い出すのだ。そのシーンを引く。

「十代の不安な、胸の高鳴る時期だった。太陽で熱くなった岩壁の上に寝そべって、ひたすら女性たちのことを思った。美しい女性教師たちが次々に胸に浮かんだものだった」

 この回想は、脈絡もなく突然浮上してくるもので、ここから別のシーンにつながるというものではない。しかも、どうということもない回想にすぎない。ところが、このシーンが私をとらえる。ぐんぐん引きずり込まれる。私も一八歳のころ、美しい女性たちのことを思っていた。その十代の不安が、胸の高鳴りが、蘇ってくる。

 急いで書いておくと、これは刑事ヴァランダー・シリーズではない。ミステリーですらない。老人を主人公にした一般小説である。ストーリーはあえて書かない。第一部のラスト、具体的には一一六ページに、ちょっとした驚きが待っているが、帯でも訳者あとがきでもそれに触れていないことに注意。平野啓一郎『ある男』を思い出す。こちらも三九ページに、あっと驚く展開が待ち構えていたが、あとで気がつくと、それは帯に書かれていた(私は帯を見ずに読み始めたのでびっくりした)。ネットの紹介記事にもそれは書かれているけれど、それを知らずに読んだほうが絶対に面白い。文学だろうとエンタメだろうと、何が書かれているかを知るのも読書の愉しみの一つなのだ。その点本書は驚きの向こう側にひろがるものを阻害することなく、物語が進んでいく。これが素晴らしい。

 営業的にはそれを書いたほうがわかりやすいが、あえて封印して読者を物語のもっと奥まで案内する『イタリアン・シューズ』の版元と翻訳者の我慢(それを見識と言い換えてもいい)は高く評価したい。困るのは、こうなると紹介する方も、それに触れられないことだ。ここでは、味わい深い老人小説である、と書くにとどめておく。何も起きない日々ではけっしてなく、さまざまな人間が登場してきて、結構波瀾万丈の日々であることも、付け加えておく。

 今月の二作目は、岩井圭也『夏の陰』(KADOKAWA)。うっかりスルーしかけたが、岩井圭也が『永遠についての証明』で野性時代フロンティア文学賞を受賞した作家であることを思い出して、手に取った。その受賞作は印象に残る作品だったのである。

 加害者と被害者の、それぞれの息子たちの話である。第一章を加害者の息子から描き、第二章は被害者の息子の視点、そして二人が剣道の試合で対決することになるのが第三章。問題は、この第三章が三〇ページしかないことだ。残りページを確認したとき、あ、これは前編だなと思った。後編が二カ月後くらいに刊行されるのではないか。

 勝手にそう思いながらラストの第三章に突入したが、作者はこの短いスペースで強引に着地させるのである。力技といっていい。最後に数ページのエピローグがついているが、これがなかなかにいい。

 あとは、関東大震災から阪神淡路大震災までの七〇年間を背景に、日本最初の近代集合住宅に暮らす一家の歴史を描いた三上延『同潤会代官山アパート』(新潮社)、四歳から小学六年生までのボクと祖父の物語で、その祖父の語る横須賀逸見の戦前の光景が忘れがたい花形みつる『徳治郎とボク』(理論社)、さらに荒山徹『神を統べる者』全三巻(中央公論新社)と、印象に残った本があるが、とても全部は紹介しきれない。

 特に、荒山徹の伝奇小説は四〇〇字詰めで二七〇〇枚(概算)という長大な作品で、日本を追われた厩戸御子(のちの聖徳太子)が中国、インドまで旅する壮大な物語だ。中巻にあたる「覚醒ニルヴァーナ篇」が圧巻だが、これは別の機会にきっちりと紹介したい。

 今月のラストは、江國香織『彼女たちの場合は』(集英社)。帯に「二年ぶりの長編小説」とある。そうか、あの『なかなか暮れない夏の夕暮れ』以来ということか。私が完全にノックアウトされた長編だ。感心するのが遅くてすみません。恥ずかしながら私は、江國香織のいい読者ではないのだ。

『なかなか暮れない夏の夕暮れ』はたまたま手に取ったのである。すると、あまりのうまさにびっくり。当たり前のことにいまさら感心してしまった。 本書も唸るほどうまい。もう名人芸を見ているかのようだ。たとえば、アーカンソー州リトルロックのホテルで礼那が一五歳の誕生日を迎える場面がある。終わり間近だ。礼那はクリスからの電話で目を覚ますが、逸佳は部屋にいない。どこへ行ったんだろうと思っていると、バラを一輪だけさしたコップを手にして、バスルームから逸佳が現れる。電話をベッドに放り出して、礼那が逸佳に飛びつく。しばらくしてから受話器を取ると、クリスが笑っている。楽しそうな日本語が聞こえてきたので自分まで楽しくなった、とクリスが言うシーンだ。

 なんだか読んでいるこちらも幸せな気分になってくるシーンといっていい。このクリスがどういう男なのか、どこで知り合ったのかは本書を読まれたい。一四歳の礼那と、一七歳の逸佳が、二人きりで旅に出る物語であることだけは書いておくが、あとは味わいながら読んでいただきたい。

(本の雑誌 2019年7月号掲載)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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