イヤなやつばっかりの『希望のゆくえ』にびっくり!

文=北上次郎

  • アウターライズ (単行本)
  • 『アウターライズ (単行本)』
    赤松 利市
    中央公論新社
    1,870円(税込)
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 イヤなやつばっかりだ。

 寺地はるな『希望のゆくえ』(新潮社)である。イヤなやつがわんさか登場する小説は珍しくないが、寺地はるながこういう小説を書くとは思っていなかった。冒頭近くに家族写真が出てくるが、そこには次のように書かれている。

「半目になって口もとがわずかに開いた母はひどく愚鈍そうに見えるし、うつむき加減の父は小心で神経質そうだ。誠実はつくり笑いの名残を頬にはりつけているところが猿のようで醜い」

 この写真を見ているのは誠実だ。つまり彼は、自分を「猿のようで醜い」と思っているということだ。家族の仲の悪さは、ふんだんに出てくる。家族で真珠養殖場に行ったとき、大粒の真珠を母が手に取ると「豚に真珠だな」と父が言ったこと。「お蕎麦のつゆは自分でだしをとるところからはじめなきゃいけない」と言っていた父に、母がずっと市販のつゆを出していて、「やっぱり手づくりに限るな、だって。家でお蕎麦食べるたびに言うのよ」「味の違いなんかわかりもしないくせに」と母がいまでも怒っていること。

 仲の悪い家族も珍しくないが、性格が悪そうなのはこの柳瀬家だけではない。その前にストーリーを簡単に紹介すると、マンションの管理組合に勤める柳瀬希望が、住民の女性と一緒に失踪し、それを兄の誠実が探すのがメイン。ちなみに、希望と誠実は、「のぞむ」と「まさみ」と読みます。

 で、兄の誠実が、弟の希望の知り合いを訪ねていくことになるのだが、次々に出てくるその知り合いが、問題のあるやつばかり。たとえば、希望の同僚有沢慧は「本気でなにかがんばったことないでしょ」と言われるような男だ。嫉妬と悪口がいつも渦巻いている男だ。あるいは、小平実花子。年老いた母が言うことを聞かないと叩いたり蹴ったりする。太股や背中に痣が残るほど強く。かつて同じことをされた仕返しなのだ。

 兄の誠実は、そういう問題のある連中の代表といっていい。職場の同僚には「事なかれ主義、って感じですよねえ」と言われ、母には「いつも目をそらすのね」と言われている。見なかったことはなかったことに出来ると思っている、そうでしょう、と母は言うのだ。妻が浮気していることを知っても何も言わないのは、そういうことか。

 そして失踪した希望だが、こいつも困った男だ。自分というものが何もない。一緒に逃げて、と言われると「いいですよ」とすべてを捨てて駆け落ちするが、相手を好きというわけではない。断れないだけだ。自分で選択するということがなく、風のようにふらふらと生きているだけ。

 爽快感が一つもない小説で、これまでの寺地はるなの作品を愛読してきた読者にとっては、あれれとなってしまうが、しかし読み終えると、これが私たちのいま、なのかもしれないという気がしてくる。私たちもまた、事なかれ主義で、見て見ぬふりをして、ずるくて、嫉妬深くて、ときには悪口を言ったり、自分勝手であったりする。ここに出てくる誠実も希望も有沢慧も小平実花子も、すべて私達なのだ。だから読み終えると落ち着かなくなる。こんな私たちに希望はあるんだろうかと。

 これからこの作家がどこへ向かうのか、とても気になる。

 赤松利市『アウターライズ』(中央公論新社)は第一部が長すぎるのではないか。もっと短くていい。その部分を第二部にあてれば、もっと書き込めたと思う。

 こういう書き方をすると、文句をつけていると受け取られかねないが、面白いんである。ただ、隔靴掻痒なんである。「東北独立」の裏側をもっと描いて欲しいとの要望ではない。細かなことをつつけばアラも出るし、すべてを説明する必要もない。私の要望は、もっとディテールを読みたいということだ。独立した「東北国」の内部はどうなっているのか、そういうディテールだ。それをもっと書き込めば、この長編は奥行きを増したと思う。第一部を削って、本筋の第二部にあてれば、それも出来たのではないか、ということだ。西村寿行「蒼茫の大地、滅ぶ」を思い出して、ひたすら懐かしかった。一九七八年の作品なので、覚えている人も少ないと思うが。

 額賀澪『できない男』(集英社)は小さな会社のデザイナー芳野荘介を主人公にした長編だが、仕事で河合裕紀と知り合うと、河合には休みのたびに温泉に行く友人がいて、それがもともとは二股をかけられた同士。なんとも奇妙な関係であることを知る。二股をかけられた男たちの友情とは大変興味深いが、それが本書においては遠景にすぎないのは残念だ。わがままを言わせてもらえるなら、こっちを読みたい。

 岩井圭也『文身』(祥伝社)、竹内真『図書室のバシラドール』(双葉社)もあるが、もう紙枚がない。今月の最後は、村井理子『兄の終い』(CCCメディアハウス)。これは、さんざん迷惑をかけられた兄が死んで、その後始末に奔走する日々を描くエッセイというか、実話をもとにした小説である。

 兄の元妻、加奈子ちゃんは大変魅力的な女性で、語り手の「私」がもしも一人だったら、こうてきぱきと片付けられなかったのではないか。こういうキャラクターが本書には他にも登場するが、つまりそういうふうに描く著者の目が優しいということだ。ラスト、お父さんと住んでいたアパートを見に行く良一くんがいい。彼がまっすぐ育ったことからも、生前は借金を何度も踏み倒す男ではあったけれど、良一くんにとってはいい父親であったことがわかる。それを知って読者もまた、温かな気持ちに包まれるのである。

(本の雑誌 2020年6月号掲載)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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