数学の天才と史上最悪の軍師のミリタリースペオペ開幕!

文=大森望

  • ナインフォックスの覚醒 (創元SF文庫)
  • 『ナインフォックスの覚醒 (創元SF文庫)』
    ユーン・ハ・リー,赤尾 秀子
    東京創元社
    1,210円(税込)
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 日本でも大ヒットしたアン・レッキー《叛逆航路》に続き、同じ創元SF文庫から同じ赤尾秀子訳(+同じ渡邊利道の解説)で、同じく著者第一長篇となる凝った設定のミリタリースペースオペラが登場した。ユーン・ハ・リー『ナインフォックスの覚醒』(赤尾秀子訳/創元SF文庫)★★★★½は、数学と暦に基づき物理法則を超越する科学体系"暦法"が駆使される《六連合》3部作の第1作。若き女性軍人にして数学の天才チェリスは、難攻不落の巨大宇宙都市要塞の制圧指揮という重大任務に思いがけず抜擢される。与えられた武器は、かつて敵味方合計百万人を殺した史上最悪の天才軍略家ジェダオ。「わたしはあなたの銃だ」と誓約した彼をその身に憑依させ、チェリスは戦場へと赴く。

 要するに、レクター博士を憑依させた軍人版クラリスが不可能な使命に挑む──みたいな話だから面白くならないわけがない。数学まわりの設定が戦闘シーンにいまいち生きていないのが弱点だが、今年のエンタメSF最注目作のひとつ。なお、著者は'79年生れの韓国系アメリカ人作家でFtMのトランス男性。続巻は来春刊行予定。

 野﨑まど待望の新作長編『タイタン』(講談社)★★★★½は"仕事"がテーマ。時は2205年、世界12カ所の知能拠点に分かれた超高度AI"タイタン"が社会を完璧に管理し、仕事から解放された人類は、平和で安楽な日々を送っている。

 心理学を趣味とする内匠成果は、ある日、思いがけない"仕事"を依頼される。第二知能拠点のタイタンであるコイノスに謎の機能低下が発生。その原因を特定すべく、心理カウンセリングを行ってほしい......。

 AIのカウンセリングというアイデア自体はいくつか前例があるが、中盤に驚愕の大事件が起こり、小説は前代未聞のロードノベルに転調する。SFファンなら某海外SF三部作を思い出すところですが、そこは野﨑まどなので予想の斜め上を行く展開が待ち受ける。人間にとって"仕事"とは何か。SFならではの手法で"仕事"の本質を考えさせてくれる快作だ。

 新井素子『絶対猫から動かない』(KADOKAWA)★★★★は「『いつか猫になる日まで』('80年)の50代版を」という求めに応じて書かれた2段組640ページの超大作。それぞれ特殊な能力を持つ6人の若者が不思議な夢をきっかけにチームを組み、地球を救うために奮闘した『いつ猫』に対し、この『絶猫』では、西武有楽町線の同じ車両に乗り合わせた他人同士が同じ夢に囚われ、そこから脱出するためにチームを結成する。56歳の元校正者とその親友(ともに女性)、61歳の囲碁好きと54歳の総務部次長(ともに男性)。バスケ部の遠征帰りの女子中学生12人と顧問の女性教師......。彼らの相手は、"三春ちゃん"と名乗る謎の存在。超自然ホラーかと思って読んでいると、真ん中あたりで三春ちゃんが、「それでは、ゲームを、始めましょうか」と宣言。小説は一種のサバイバルサスペンスに突入する。『ラビリンス〈迷宮〉』の頃から変わらないテーマ性と主人公たちの成熟ぶりが読みどころ。

 阿川せんり『パライゾ』(光文社)★★★½は、おそろしく鮮烈な終末SF。ほとんどすべての人間が一瞬にして奇妙な黒い塊に変貌してしまった世界。無人になった東京に残されたごく少数の人間には意外な共通項があった......。精緻でリアルな風景描写とありえない出来事のコントラストが大きなインパクトを生む。パンデミック渦中に読むとさらにいろいろ考えさせられる一冊。

 小野美由紀『ピュア』(早川書房)★★★は、性と身体改変を扱う5篇を収める作品集。SFマガジン昨年6月号掲載の表題作はネット上で無料公開されるや大評判になった話題作。環境破壊に適応するための遺伝子操作の結果、鱗と牙と鉤爪を持つ平均身長2メートルの強靱な体躯を得た女性たちは、人工衛星で生活し、妊娠出産を義務づけられている。が、妊娠するにはセックスのあと男を食べることが不可欠だった......。この状況下で果たして恋愛は可能なのか? ナオミ・オルダーマン『パワー』を思わせる強烈なSFだ。その一方、他の4篇(すべて書き下ろし)には女性から男性の体に変わった幼馴染みとの関係をめぐって揺れ動くキュートな青春小説「バースデー」や、未曾有の実験により12人の胎児の母となった研究者のドラマ「幻胎」もあり、意外と振り幅が広い。

 一條次郎『動物たちのまーまー』(新潮文庫)★★★は、デビュー作『レプリカたちの夜』の文庫が増刷を重ねている著者の文庫オリジナル短篇集。騒音で巨大化するテノリネコとか、超絶美味だが毒のあるアンラクギョとか、へんな動物がいろいろ登場する不条理コメディ集。世にも情けない不法滞在吸血鬼を描く「ベイシー伯爵のキラー入れ歯」が楽しい。ハマる人はハマりそうな独特の味(僕はそれほどでも......)。

 乾緑郎『ドライドック№8 乾船渠八號』(羽鳥書店)は、著者初の戯曲集。表題作は、〈水族館劇場〉の新宿花園神社公演のために書き下ろされた改変歴史SF。明治初期の横浜を舞台にヴェルヌ『月世界旅行』の"その後"を描く。コロナ禍で公演は中止されたが、戯曲から舞台を想像してほしい。筒井康隆『堕地獄仏法/公共伏魔殿』(日下三蔵編/竹書房文庫一三〇〇円)は、初期短篇集3冊(『東海道戦争』『ベトナム観光公社』『アルファルファ作戦』)のうち『日本SF傑作選1 筒井康隆』に収録されなかった16編すべてを集めたリミックス集。表題作は、総花学会と恍瞑党が政権を握る社会の話と、公共放送の受信料を払わず大変な目に遭う話です。

(本の雑誌 2020年6月号掲載)

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●書評担当者● 大森望

書評家、翻訳家。責任編集の『NOVA』全10巻と、共編の『年刊日本SF傑作選』で、第34回と第40回の日本SF大賞特別賞受賞。著書に『21世紀SF1000』『同 PART2』『新編 SF訳講座』『50代からのアイドル入門』など。訳書に劉慈欣『三体』(共訳)、テッド・チャン『息吹』など。ゲンロン大森望SF創作講座」主任講師。

http://twitter.com/nzm

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