改変歴史世界のシベリア横断急行『侵蝕列車』が素晴らしい!

文=大森望

  • 火星の女王
  • 『火星の女王』
    小川 哲
    早川書房
    2,090円(税込)
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  • 侵蝕列車
  • 『侵蝕列車』
    サラ・ブルックス,川野 靖子
    早川書房
    2,200円(税込)
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  • 絶滅の牙
  • 『絶滅の牙』
    レイ・ネイラー,金子 浩
    東京創元社
    1,100円(税込)
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  • 輝きの七日間 上 (河出文庫 や 47-2)
  • 『輝きの七日間 上 (河出文庫 や 47-2)』
    山本 弘
    河出書房新社
    1,100円(税込)
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  • 輝きの七日間 下 (河出文庫 や 47-3)
  • 『輝きの七日間 下 (河出文庫 や 47-3)』
    山本 弘
    河出書房新社
    1,100円(税込)
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  • 鏡の国の生き物をつくる SFで踏み出す鏡像生命学の世界
  • 『鏡の国の生き物をつくる SFで踏み出す鏡像生命学の世界』
    茜 灯里,柞刈湯葉,瀬名秀明,麦原 遼,八島游舷
    日刊工業新聞社
    1,980円(税込)
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  • アントカインド
  • 『アントカインド』
    チャーリー・カウフマン,木原 善彦
    河出書房新社
    15,400円(税込)
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 小川哲8年ぶりのSF長編、『火星の女王』(早川書房)★★★★が出た。NHKの「放送100年特集」ドラマとして12月に全3話で放送される「火星の女王」は、10万人の植民者が暮らす2125年の火星を舞台にした本格SFドラマ。本書はその原作だが、実際は、ドラマ用に書き下ろした原案を(脚本に多少寄せつつ)全面改稿したものらしい。小説版『2001年宇宙の旅』みたいな成り立ちだが、中身はむしろ火星版『月は無慈悲な夜の女王』?

 地球外生命探査のため火星にやってきた生物学者リキ・カワナベは、地底湖から採取したスピラミンが自発的に結晶構造を変化させている事実を発見。驚くべきことに、数千キロ離れた場所のサンプルにも同じ変化が起きていた。これは超光速通信可能な生命体なのか、それとも......? という謎がSF的なキモだが、ドラマ的な核は火星独立運動。入植開始から40年を経て、採算が悪化。開発を主導した惑星間宇宙開発機関は火星撤退を決断し、植民者の帰還事業が始まろうとしていた。巨大企業ホエール社CEOの大富豪マディソンはカワナベの発見を奇貨としてISDAに対抗する大博打を打つ。この大騒動に巻き込まれたのは、火星生まれの盲目の少女リリだった......。

 今どきのSFとしては非常にシンプルな(ドラマ原作だからこそ成立する)筋立てだが、往年のジュブナイルSFっぽい話が今風にアップデートされ、ギリギリのところで現代SFとして成立している。倍の長さがあれば『プロジェクト・ヘイル・メアリー』に迫れたかも。

 英国作家サラ・ブルックスの第一長編『侵蝕列車』(川野靖子訳/ハヤカワ文庫SF)★★★★は、(改変歴史世界の)1899年のシベリア横断急行を舞台にした『ソラリス』×『ストーカー』×『オリエント急行の殺人』みたいなシルクパンク+スチームパンク。18世紀末以降、北京とモスクワの間の広大な土地は"変化"した異形の生命体が跋扈する〈荒れ地〉と化し、通行できるのは要塞のごとき偉容を誇るシベリア横断急行だけ。父の汚名を晴らすべく身元を隠して乗り込んだマリヤ、独自の進化論を証明しようとする博物学者ヘンリー、列車の中で生まれ育った"列車の子"ウェイウェイなど、さまざまな人々の思惑を乗せて、列車は北京を出発し、15日間の旅に出た......。唯一のガイドブック『用心深い旅人の〈荒れ地〉案内』(これが原題)からの引用が随所に挿入されるという『銀河ヒッチハイク・ガイド』的な趣向も大変うまく機能し、舞台設定の魅力を十二分に引き出している。結末もすばらしい。

 レイ・ネイラー『絶滅の牙』(金子浩訳/創元SF文庫)★★★は、今年のヒューゴー賞ノヴェラ部門を受賞した200頁の中編。背景は野生の象が絶滅した近未来。遺伝子工学で復活させたマンモスの群れを導くため、かつて象の保護運動に邁進し1世紀前に非業の死を遂げた生物学者ダミラに白羽の矢が立つ。死の1年前に保存されていた彼女の人格データが1頭のマンモスに移植され、群れを率いる役目を与えられたのである。作品に込められたメッセージは力強く感動的だが、SF的な説得力はもうひとつ。

 山本弘『輝きの七日間』(河出文庫上下)★★★は、2011年から翌年にかけてSFマガジンに連載され完結したものの(ある事情から)一度も書籍化されていなかった幻の長編。著者が生前に加筆訂正を施した決定稿をもとに、完結から13年ぶりに没後出版された。

 時は2024年12月6日。超新星爆発を起こしたベテルギウスから地球に降り注いだ未知の粒子は、全人類の知能を飛躍的に向上させた。ただしその恩恵に与れるのは7日間だけ──というわけでこれは、全人類がチャーリイ・ゴードン化する拡大版『アルジャーノンに花束を』。前半はスリリングだが、知能の向上に伴い、陰謀論が駆逐され、気候変動対策が本格化し、戦争が終結し......と著者の願望そのままの社会になるあたりは好き嫌いが分かれそう。もっともこの小説は、SF作家・山本弘の祈りが込められた遺書として読むべきかもしれない。

『鏡の国の生き物をつくる SFで踏み出す鏡像生命学の世界』(企画・編集=KAGUYA BOOKS/発行=日刊工業新聞社)★★★は、鏡像異性体から成る生物をテーマにしたSFプロトタイピングから生まれた短編5編と研究者のエッセイ、座談会を収録する企画アンソロジー。小説パートのトリを飾る瀬名秀明の「ウィクラマシンゲによろしく」はパンスペルミア説を踏み台に大ジャンプする豪快なバカSF。作家では他に柞刈湯葉、八島游舷、麦原遼、茜灯里が参加している。

 チャーリー・カウフマン『アントカインド』(木原善彦訳/河出書房新社)★★★½は、『マルコヴィッチの穴』などで知られる映画作家の初小説にして2段組625頁の超大作。語り手は初老の映画評論家B・ローゼンバーグ。旅行先で110歳を超す独居老人インゴと知り合い、彼が90年がかりで完成させたという、上映時間90日のストップモーションアニメを見て、空前絶後の傑作だと確信する。しかしフィルムはひとコマを残して火災で消失。必死に映画の内容を思い出そうと催眠療法に通うBの前に未来人を名乗る女性が現れ、次々に奇妙な事件が......と、途中から現実と虚構が一体となった悪夢的なSF世界に突入する。映画関係その他の実名が大量に言及され(日本人では新海誠や深田晃司、SF作家ではディレイニーやティドハーの名も)、毒舌やギャグもてんこ盛り。著者の映画の愛好者には無類に面白いが、小説としては中盤以降やや息切れ気味。半分の長さなら傑作になっていたかも。

(本の雑誌 2025年12月号)

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●書評担当者● 大森望

書評家、翻訳家。責任編集の『NOVA』全10巻と、共編の『年刊日本SF傑作選』で、第34回と第40回の日本SF大賞特別賞受賞。著書に『21世紀SF1000』『同 PART2』『新編 SF訳講座』『50代からのアイドル入門』など。訳書に劉慈欣『三体』(共訳)、テッド・チャン『息吹』など。ゲンロン大森望SF創作講座」主任講師。

http://twitter.com/nzm

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