すべての記憶が記録される社会の連作短編集
文=橋本輝幸
ジェニファー・イーガン『キャンディハウス』(谷崎由依訳/早川書房)は巨大なIT企業が人の記憶を克明に記録し、シェアや再生を可能にするテクノロジーを発明して社会に大きなインパクトを与えた世界観の連作短編集だ。新しい職業が誕生する一方、このテクノロジーと完全に無縁になりたいと願う人たちも出現している。企業の創業者やその家族ほか、章ごとに異なる人物が多様な語りかたでこの世界における日常生活や人生を断片的に見せてくる。個人が見聞きするすべてが記録される社会というアイディアは、二〇一三年にはデイヴ・エガーズ『ザ・サークル』(吉田恭子訳/ハヤカワ文庫NV)やテッド・チャン「偽りのない事実、偽りのない気持ち」(大森望訳/ハヤカワ文庫SF『息吹』収録)としてすでに小説になっているが、本書でより切迫感のある万人にとっての問題として描かれているのは、SNSやインターネットが当時よりさらに政治や社会を左右するようになってきたからだろう。なお世界観は今時らしいが、各編のテーマを分解すると家族や恋愛や人生の悩みなど普遍的な話が多い。同著者の『ならずものがやってくる』(谷崎由依訳/ハヤカワepi文庫)と一部の登場人物を共有しているが、前作を読む必要はない。ただし併せて読むと人生の重みや予測不能さを感じることができるだろう。
カテジナ・トゥチコヴァー『ジートコヴァーの最後の女神たち』(阿部賢一、豊島美波訳/新潮社)はチェコの作家・美術史学博士・劇作家・評論家である著者が、七割ほど実在の資料に基づき、チェコとスロヴァキアの国境カルパチア山脈の町ジートコヴァーで「女神」と呼ばれ、呪術医や魔女のように住民に扱われてきた女性たちをテーマに書いた小説である。二〇一二年に出版されてチェコではベストセラーになり、複数の賞を受賞したそうだ。約二十か国で翻訳出版されたという。家庭が崩壊し、伯母の女神スルメナに引き取られた姉ドラと弟。だがスルメナは精神病院に強制入院させられ、姉弟は別々の養護施設に入れられて引き離される。成長して民族誌学の研究者になったドラは、研究の過程で秘密警察の記録からスルメナが目をつけられていたことを知る。調べると女神たちのほとんどが不幸な死を迎えていたことがわかり、その引き金を引いた全体主義や他人の悪意が明らかになっていく。図や記録を多用した書きかたはモキュメンタリー・ホラー的でもあり、近代の科学や医療から逸脱しながら他者を助けていた女性たちを襲う苦難を淡々と書く手法として有効だ。
ヘイゼル・プライア『ペンギンにさよならをいう方法』(圷香織訳/東京創元社)の主人公は、スコットランドに住む八十六歳のヴェロニカ・マクリーディ。やや認知症が進んではいるものの、介助者アイリーンの助けを借りながら大邸宅で一人暮らしを続けている。彼女は生き別れた息子について興信所で調査してもらい、息子の息子(つまり孫)のパトリックを発見した。だがパトリックは恋人と別れたばかりで、大麻をたしなんで自堕落な暮らしを送っていた。幻滅して彼に遺産を残すのは一旦あきらめ、ヴェロニカはテレビ番組で見た野生のペンギンのために遺産を寄付しようと思いつく。そのためにはまず下見が必要だった。周囲の人間からも受け入れ先からも猛烈に反対されながらも、彼女は南極圏の島へ旅に出る。そしてやむなくパトリックも後を追うことに。本書はアマゾンで一位を記録するベストセラーとなったそうで、すでに世界十六カ国で翻訳されているという。とっつきやすくユーモラスで、ちょっとしたロマンス要素もある。過去の悲劇や失敗を受容し、ヴェロニカの支援でペンギン研究者たちや孫のパトリックの暮らしも上向きになる、堂々のハッピーエンド。
サーシャ・スタニシチ『ぼくたちのオオカミ』(若松宣子訳/岩波書店)は、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のドイツ人作家が初めて児童向けに書いた作品である。ドイツでシングルマザーに育てられている語り手の少年「ぼく」は、むりやりサマーキャンプに送り出される。都会派で虫やハイキングや不潔さが苦手で、ちょっと級友たちからは浮いており、自分より更に苛烈ないじめを受けている子に救いの手も出せない。そんな少年の、思春期に荒れ狂う不安と怒りがオオカミに例えられる。キャンプを運営している大人やスタッフもヒッピーだったり外国出身だったりする。最後まで状況が劇的に良いほうに変化するわけではなく、思わせぶりな伏線がすべて明快に説明されるわけでもない。日本で過去に出版された代表作『兵士はどうやってグラモフォンを修理するか』(浅井晶子訳/白水社エクス・リブリス)はボスニア生まれの主人公の目から徹底的にボスニアが描かれるが、本書は移民としてドイツで暮らすことに焦点が当たっている。どちらも著者自身の体験だ。
パウル・ブッソン『メルヒオール・ドロンテの転生』(垂野創一郎訳/国書刊行会)では二十世紀に生きる脱走兵が、十八世紀の貴族メルヒオール・フォン・ドロンテとしての人生を思い出し、ひたすらに語る。つまり転生の告白譚である。執筆されたのも二十世紀初頭だ。イスラム教の修道僧との奇縁、夭逝した愛する従姉妹アグライアと彼女に似た女性たちとの出会い、そしてつらい別れ......ついにフランスで国家反逆罪を宣告され、パリでギロチンにかけられるまでドロンテの人生は流転する。彼は搾取や悪徳に敏感な善なる人物だがヒーローにはなれない。哀愁ただよう〈オーストリア奇想小説コレクション〉の最終巻。
(本の雑誌 2025年12月号)
- ●書評担当者● 橋本輝幸
1984年生まれ。書評家。アンソロジストとして『2000年代海外SF傑作選』『2010年代海外SF傑作選』、共編書『走る赤 中国女性SF作家アンソロジー』、自主制作『Rikka Zine vol.1』を編集。
現在、道玄坂上ミステリ監視塔(Real Sound)や「ミステリマガジン」新刊SF欄に寄稿中。- 橋本輝幸 記事一覧 »





