『最高の任務』が描く心地よい景色に浸る

文=大塚真祐子

  • 【第162回 芥川賞受賞作】背高泡立草
  • 『【第162回 芥川賞受賞作】背高泡立草』
    古川 真人
    集英社
    1,540円(税込)
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 今回の芥川賞候補作は、『すばる』(集英社)から二作が選出された。候補に挙がるのは、『文學界』(文藝春秋)、『新潮』(新潮社)、『群像』(講談社)への発表作品である割合が高いので、珍しいのではと記録を遡ったところ、同じケースは〇〇年代に三度あり、二〇〇五年上期の一三三回以来とわかった。今回から選考委員に加わった松浦寿輝が芥川賞を受賞した二〇〇〇年上期、第一二三回も『すばる』から二作が選ばれ、どちらも落選している。今回はどうか。千葉雅也『デッドライン』(新潮社)は前号でとりあげたため、四作を紹介する。

 木村友祐『幼な子の聖戦』(集英社)は、聖母マリアの伝承が残る青森県のある村で村議を務める「おれ」が、村長選挙をめぐる陰謀に翻弄される物語だ。

 東京暮らしをあきらめ故郷へ帰り、親の根回しで村議に当選した「おれ」は、政策もビジョンも持ち合わせていない。それでも小さな村のリーダーを決める特権が自分にもあると気がついたときの恍惚、そこに漏れ出す幼さと卑近な印象が、「おれ」にはずっとつきまとう。選挙を意味する「election」という単語が、勃起を表す「erection」の表記にそっくりだと気づいたことで、〈「選挙」とはつまり、「勃起」なのだった。勃起力が試される場なのだった......!〉などと言い出すあたり、なんだこりゃと笑うしかなかったのだが、読みすすむうち考えこんでしまった。

 大ごとになるからと内々でまずは済まそうとする選挙、「オヤジ連中」だけの話し合いで決まる村の未来、〈男さえ押さえれば選挙はなんとかなる〉といわれる王道の戦略。

 この作品に書かれているのは、日々の報道からうっすらと透けて見えるこの国の政治そのものだ。笑っている場合じゃない。この滑稽な「おれ」の目線をとおして、女性はこんなにも軽んじられ、馬鹿にされていると見せつけられた気がした。

〈力のある強いものに巻かれれば自動的に得になる。実際はそんな保障なんかないのだが、多数派に属する安心感は得られるだろう。社会はそんな我が身かわいさの"システム"にもとづいて動いている。けして"正義"なんかで動いているわけじゃない。テレビやネットニュースをちょっと見てみれば、今は日本中がそっちのほうに動いているのがありありとわかる。〉

 女性たちは叛乱を起こし、安泰と思われた選挙の行方はわからなくなる。それとはまた別の次元で用意された作品の結末は希望なのか絶望なのか。単行本には、前回の選考で物議を醸した『天空の絵描きたち』も併録される。ぜひ一読を。

 髙尾長良『音に聞く』(文藝春秋)は、ウィーンを舞台にした姉妹の物語。作曲の才能に恵まれた妹と翻訳家の姉、物語は姉、有智子の手記という前提ではじまる。

 タイトルで調べるとまず百人一首の一節が現れ、噂に聞く、名高いなどの意味が説かれる。一方でこの題名は、作品が音=音楽を主題にした小説であるということも端的に表す。姉妹は音楽理論の専門家である父を訪ねてウィーンへ来たが、才能ゆえに父親の愛を受ける妹への有智子の嫉妬や、自身が扱う言葉と音楽が醸し出すものの間で揺れる有智子の葛藤を、異国の美しい景色とともに描いた佳品。

 乗代雄介『最高の任務』(講談社)では、大学の卒業式を控えた「私」が、母のある一言をきっかけに、小学生時代につけていた日記をたどる。敬愛する叔母からもらったその日記帳から、いまは亡き叔母との記憶がひもとかれる。

 なぜ母は「私」の卒業式に家族で行くことを宣言したのか、そこに深く関わるらしい叔母のふるまいとは何か。この二つの謎が、物語を押しすすめる一方で、日記の擬人化に馴染みきらない「私」が編み出した〈あんた、誰?〉の呼びかけ、叔母に教わった偽の枕詞〈かこつるど〉など、細部の魅力が際立つ。叔母と姪というモチーフや、読むあるいは書くという行為へのアプローチなど、過去作品から今作の糸口を探る道もあるが、主題や引用で語るより、この物語の描きだす景色の心地よさに、ただひたすら浸っていたいと思わせる、力のある作品だ。

 古川真人『背高泡立草』(集英社)は、古い納屋の草刈りをするために、島へ連れ立つ家族の物語。連続して芥川賞候補に挙がる著者の作品は、一貫して九州の島に連なるある一族とその土地を描いており、今作もその一つだ。

 前作『ラッコの家』では、目が不自由な老女の意識が物語の主体となって、読者である自分もおぼろな視界をたゆたうような感覚があった。今作では母親の命で納屋の草刈りに駆り出される大村奈美の、〈別に使わんのに、なんで草を刈るの?〉という不満を含んだ素朴な疑問が、土地に連綿と流れる歴史の扉を開くポイントとなって、物語を貫く。寝起きのまぶたが少しずつ見開かれるように、一個人の意識や何気ない疑問がいつしか大きな景色につながるこの作法は、今作でより深みを増したように思う。著者の書く土地が、自分のなかにもたしかに根づいていると感じられた。

 受賞作は候補四度目での受賞となった『背高泡立草』。これまで「冗長」「退屈」「ほかの種類の作品も読みたい」などと評されながらも、一族の物語を紡ぎつづけたことに敬意を表する。どの作品も独立して読めるので、この受賞をきっかけにぜひ、古川作品の世界に触れてほしい。

 講評で島田雅彦が、受賞作なしをなんとか避けたと話していたが、今回の候補作のレベルは決して低くはなかったと思う。個人的におすすめしたいのは『最高の任務』。文章と登場人物の魅力という点では、この作品が抜きん出ていた。

(本の雑誌 2020年3月号掲載)

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●書評担当者● 大塚真祐子

東京郊外の書店での勤務を経て、2006年より三省堂書店で勤務。人文書、文芸書などを担当。

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