意外性の極致をめざせ!ビックリ手記3連発!
文=小山正
今月は手記・日記・独白が随所に挿入されるミステリをよく読んだ。
一冊目は、英国の作家マシュー・リチャードソンの長篇エスピオナージュ『スパイたちの遺灰』(能田優訳/ハーパーBOOKS)。スパイ対スパイの頭脳戦に加え、作者対読者の凝った仕掛けがすばらしい。
諜報部MI6伝説の女性スパイ、スカーレット・キング。九十歳を超える彼女が手記を執筆し、諜報史が専門の大学准教授マックスが協力者になる。出版すれば、政府の過去の謀略・悪事が暴露される。しかも裏切り者があぶり出されて、諜報網は壊滅必至だ。MI5と政府は阻止を目論む。が、事態は混迷を極め、修羅場と化す。
スカーレットは男より冷酷。引退後も絶大な権力を持つ謎の人物だ。一方マックスは若き日にスパイを志すも夢破れ、今はしがない地味な学者。とはいえスパイおたくなので知識は豊富で(小説や映画にも造詣が深い)、経験豊かで一筋縄ではゆかないスカーレットとともに、政府要人と頭脳戦を繰り広げる。作中の彼女の手記が実にクセモノで、凝ったトリックが施されている。
ただし全体的に深みには欠ける。しかし、ジョン・ル・カレ作品や007等へのオマージュにあふれ、また、モンティ・パイソン風のギャグが超リアルかつマジメに描かれ、しいて言えば、M・ナイト・シャマラン監督の良作映画に似たビックリ仰天が味わえる。
二冊目も英国作家。マシュー・ブレイクの長篇『眠れるアンナ・O』(池田真紀子訳/新潮文庫)には怪しい日記が登場する。しかも内容が奇天烈なのだ。
オックスフォードシャーの自然体験型施設で二人が殺される。現場では二十五歳の雑誌編集長アンナが刃物を持ち、血まみれで見つかった。ところが彼女は事件直後に深い睡眠状態となり、一度も目を覚まさず四年間眠り続ける。どうやら〈生存放棄症候群〉という冬眠状態にあるらしい。捜査側は彼女の刑事責任を問わねばならず、睡眠が専門の犯罪心理学者ベネディクト・プリンスに、アンナの覚醒を依頼する。
爆睡する容疑者! しかも彼女の日記には、トルーマン・カポーティの犯罪文学『冷血』ネタや、ギリシャ演劇と古典哲学の引用と分析、フロイト心理学に基づく脳内宇宙の不思議といった様々な要素があふれる。日記以外のメインプロットでは、周辺人物たちが不可解な行動をとり、物語は二転三転、謎が謎を呼ぶ。冗漫で整理の悪い箇所が目につくが、意外性の極致を目指す著者の気概がすばらしい。
三冊目はデイヴィッド・ピースの長篇『GB84』(黒原敏行訳/文藝春秋上下)。この本の手記はスタイリッシュだ。二人の炭鉱労働者の独白が、黒の紙面に白抜き文字で印刷されている。
とはいえ内容は硬派の極みである。舞台は一九八四年の英国。当時の首相マーガレット・サッチャーは新自由主義政策の一環で、国有の石炭産業閉鎖と人員整理を目論む。炭鉱労働組合は徹底抗戦、一年間にわたり大規模なストライキを敢行した。政府側は非合法な盗聴・逮捕・暴虐・拷問を繰り返し、やがて労働者たちは疲弊→貧困に陥り、ストライキは収束する。そんな英国労働史でも稀な血まみれの弾圧を、犯罪要素を加えて長大な歴史ノワールに構築したのが本書なのだ。
物語は五つの視点のカットバックで描かれる。愛人を抱える労働者組合執行委員長テリーを含む労働者幹部の奔走。スト潰しを画策するユダヤ人投資家と部下の暗躍。自動車修理業の傍らで闇仕事に関わる〈修理工〉の日々。炭鉱労働者マーティンとピーターの日常と、彼らのストライキと警官隊等との衝突を描く手記。盗聴専門の工作員マルコムの活動。彼らの一挙一動が、個性的な詩的フレーズと暴力的文言で活写されていく。
文体と話法が独特で、読む側が「これはどういう意味だろう?」と文意を考えねばならない箇所も多く、スンナリと読めない。四十年前の他国の労働争議ゆえに、ピンとこない題材でもある。が、しかし。二〇二五年の今。分断と欺瞞が蔓延する狂った現代社会において、本書が描く壮絶な敗北の悲劇から、我々が学ぶものは少なくはない。国家とは何か? 権力とは何か? 調和とは何か? 幸せとは何か? 時にはこうした異形の書と格闘しないと、脳が腐る。
最後は今夏最大の話題作を。ヤングアダルト(YA)物の連作長編シリーズ『自由研究には向かない殺人』(二〇二一)の著者ホリー・ジャクソンの新作長篇『夜明けまでに誰かが』(服部京子訳/創元推理文庫)は、YA物にしてはバイオレンス度が高い。
RVバス(レクリエーショナル・ビークル・バス)を夜間に運転し、サウスカロライナのキャンプ場に向かう途中の高校生と大学生の男女六人が、携帯電話の通じない森の中で、謎の狙撃犯に襲われる。バスはタイヤを撃ち抜かれ運転不能。外へ出ると容赦なく銃撃される。身動きが取れない彼らは、無線を通じて犯人から「今回の襲撃は、六人中の誰かの過去の秘密に起因する」旨が伝えられる。はたして誰が元凶なのか?
夜十時から朝六時過ぎまでの時限サスペンス劇だ。車内の彼らは、手近な道具や車内備品を駆使、鏡の錯覚トリック等で狙撃犯を騙すなど、あの手この手で防御する(D・バグリイの冒険小説『高い砦』を彷彿とさせるスリリングさ!)。併せて彼らの幼い日々の犯罪や、辛い親子関係が回想され、今回の襲撃との繋がりが劇的に浮かび上がる。クライマックスは怒濤の展開で、緊迫感が凄い。
(本の雑誌 2025年10月号)
- ●書評担当者● 小山正
1963年、東京都生まれ。ミステリ・映画・音楽に関するエッセイ・コラムを執筆。
著書に『ミステリ映画の大海の中で』 (アルファベータブックス)、編著に『バカミスの世界』(美術出版社)、『越境する本格ミステリ』(扶桑社)など。- 小山正 記事一覧 »