残酷で暗い『デスチェアの殺人』を読むと、元気になるぞ!

文=小山正

  • デスチェアの殺人 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫 HMク 23-7)
  • 『デスチェアの殺人 上 (ハヤカワ・ミステリ文庫 HMク 23-7)』
    M・W・クレイヴン,東野 さやか
    早川書房
    1,100円(税込)
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  • デスチェアの殺人 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
  • 『デスチェアの殺人 下 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』
    M・W・クレイヴン
    早川書房
    1,100円(税込)
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  • 秘儀(上)
  • 『秘儀(上)』
    マリアーナ・エンリケス,宮﨑 真紀
    新潮社
    1,265円(税込)
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  • 秘儀(下)
  • 『秘儀(下)』
    マリアーナ・エンリケス,宮﨑 真紀
    新潮社
    1,265円(税込)
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  • 宮廷医女の推理譚 (創元推理文庫)
  • 『宮廷医女の推理譚 (創元推理文庫)』
    ジューン・ハー,安達 眞弓
    東京創元社
    1,430円(税込)
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  • 国会採決を告げる電鈴
  • 『国会採決を告げる電鈴』
    エレン・ウィルキンソン,井伊順彦
    論創社
    3,080円(税込)
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 小説をほめる際、英語で「ア・グリッピング・ノベル」a gripping novelという言い方がある。grippingとは、動詞grip(グリップ=ギュッと握る)の形容詞で、「心をつかんで離さない」の意味。つまり、意表を突くほど面白い小説のことだ。英国の現代ミステリ作家で、そんなグリッピングな小説を連打するのが、アンソニー・ホロヴィッツとM・W・クレイヴンだろう。というのも今月は、後者クレイヴンの〈部長刑事ワシントン・ポー〉シリーズ最新長篇『デスチェアの殺人』(東野さやか訳/ハヤカワ・ミステリ文庫上下)が、特大のグリッピングなのだ。しかも過去作より残酷でイヤな話。物語はポーと精神科医との面談シーンで始まる。彼がメンタルを壊すほどの犯罪とはいかなるものか?

 まず、殺人方法がエグい。動機もアンモラル。犯罪者の素顔も最低。しかもゾッとするのは、今回の事件で描かれるのが、今の世界に跋扈する狂気と重なる点だ。しかし、クレイヴンはページをめくらせる語りの技が上手く、途中で読むのを止められない。まさに痛快読書。痛くても快感。

 その一方で、痛さを中和するユーモアが満載だ。病理学者エステルや分析官ティリーとの会話は軽妙だし、ポーと彼女たちが交わす最新スムージー談義や、ジャム作り、さくさくしたペストリー、ポークパイ、ヒヨコ豆のファレフェル等の食事の話題は、コージー・ミステリ風で思わずニヤニヤしてしまう。そして、読んでいる最中の劣悪な気分を癒やしてくれるのが、「モンティ・パイソン」の映画『ライフ・オブ・ブライアン』(一九七九)に登場する名曲「いつも人生の明るい方を見て生きよう!」を、ポーが歌いながら捜査するエピソード。モンティ・パイソンのポジティヴな精神は、いつの時代でも希望をくれる。

 残酷と希望を描く作品をもうひとつ。アルゼンチンの作家マリアーナ・エンリケスの長篇『秘儀』(宮﨑真紀訳/新潮文庫上下)は、二年前に短篇集『寝煙草の危険』(国書刊行会)が訳され話題になった著者の、本邦初の長篇紹介。全千百ページの大作で、凄まじいオカルト・バイオレンス・スリラーだ。

 邪悪な〈闇〉の世界と霊的に繋がり、その力を用いてアルゼンチンの政財界に蠢く謎の〈教団〉。英国スコットランド出身の創設一族と、その一員で霊媒能力を持つ父子との対立が、起承転結の見事な構成で語られる。

 スプラッター度が強く、血まみれの残虐シーンが頻出。男性同士のセックス・シーンも生々しい。しかし、ホラー要素や衝撃的な描写は、ラテン・アメリカ文学のマジック・リアリスムの話法と親和性があるらしく、違和感なく読めるから不思議だ。下巻前半で明かされる二十世紀初頭のオカルト〈教団〉誕生秘話と発展史も詳細を極める。英国スコットランドの小さな幽霊話が、轟音を上げて超弩級の化け物屋敷に変容してゆくような迫力で、まさに巻を措く能わず。

 物語の主軸となる一族と父子との壮絶な対峙は、一九六〇年代~九〇年代の激動のアルゼンチンで起きた搾取する側とされる側との対峙のメタファーとしても読める。さらに言えば、登場人物たちの西洋文学談義や、ゲイ・カルチャーにエイズの話題、オカルト&魔術に関する蘊蓄、音楽・映画などのサブカルチャーへの言及も、物語に華を添えている。

 親しい人々の連続死に疲弊し、弱音を吐く若い主人公に対して、老獪な伯父がアドバイスする。「そんなに頑なになるな。人生は思いどおりにはいかないもんだ」──そうなのだ。残酷すぎて笑うしかない小説だが、根底には生を肯定するやさしさが満ちている。ラテンの血は躍動の源だなあ。

 強烈なアダルトな作品の次は、ヤング・アダルト向けのジューン・ハーの長篇『宮廷医女の推理譚』(安達眞弓訳/創元推理文庫)。アメリカ探偵作家クラブ賞〈YA部門〉受賞の歴史ミステリだが、年齢に関係なく楽しめる。

 十八世紀半ばの朝鮮王朝。十八歳の女性医師(医女)ベクヒョンが学んだ医学校で女性四人が殺され、彼女の恩師ジョンスが容疑者となる。ベクヒョンは同い年の捕盗庁の従事官オジンと真相解明に挑む。

 宮廷内の妬みや差別に加えて、事件関係者の疑心暗鬼で捜査は修羅場と化す。ベクヒョンへの仕打ちは凄まじく、満身創痍の彼女を「大丈夫だろうか?」と案じてしまうほどだ。ミステリの仕掛けに新味はないが、恋愛と友情を描く青春物として、胸を打つ作品だった。

 英国の国会議員エレン・ウィルキンソンが一九三二年に上梓した本格ミステリ長篇『国会採決を告げる電鈴』(井伊順彦訳/論創社)は名著発掘。二〇一八年、大英図書館の〈ブリティッシュ・ライブラリー・クライム・クラシックス〉の一冊として復刻され、英国でも話題になった。

 不況下のロンドン。失業者たちがデモで「パンの価格を下げろ」と抗議している。そんなおり、国会議事堂内の鍵のかかった部屋でアメリカ経済界の大物が変死。密室殺人か? 自殺か? ──という謎に、若き青年議員が挑む。

 物語の多くが議事堂内で展開し、開催中の国会の様子や、議員の仕事・日常・飲食等が細かく描かれる。価値観の古い議員が新時代の到来を拒否したり、政界独特の人間力学が複雑に入り乱れたり、とまあ、いつの時代も政治世界は魑魅魍魎だ。

 事件解決の鍵は、邦題にもある「電鈴」。この仕掛けにまつわる警察捜査が粗雑なのが難だが、今まで知らなかった世界を社会科見学風に味わえるミステリは、変わり種で楽しい。

(本の雑誌 2025年12月号)

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●書評担当者● 小山正

1963年、東京都生まれ。ミステリ・映画・音楽に関するエッセイ・コラムを執筆。
著書に『ミステリ映画の大海の中で』 (アルファベータブックス)、編著に『バカミスの世界』(美術出版社)、『越境する本格ミステリ』(扶桑社)など。

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