「民博」が見せてくれる知らない世界の形
文=東えりか
2025年10月13日、184日間に及んだ大阪・関西万博が終了した。予想通り、人気パビリオンの長時間行列や猛暑、交通手段の脆弱性など当初から指摘された様々な問題が発生したが、終わってしまえば意外といい思い出。子供たちにとって、夜中に万博会場で遊んだことは、一生の自慢話になるだろう。
1977年11月、70年万博の跡地に開館した「国立民族学博物館」(通称:民博)は文化人類学と民族学をテーマにした、世界最大級の博物館と研究機関と大学院の機能を併せ持つ国際研究拠点だ。『変わり者たちの秘密基地 国立民族学博物館』(CEメディアハウス)は主に8人の研究者の取材を通してこの博物館の魅力の謎に迫る。著者の「ミンパクチャン」は匿名のルポライターで市井の民博ファンだという。
案内するのは「月刊みんぱく」編集長で東南アジアの民族学の専門家、樫永真佐夫先生。常任の研究員は50人ほどだが、世界各地の文化や風習を現地に飛んで収集、研究しているため、ここにはいないことが多い。
だが博物館内は圧巻である。そのユニークなことは一歩足を踏み入れれば実感するだろう。地域ごとに分かれているとはいえ、広大な館内に展示されているのは、美術品とも民芸品とも生活用品ともいえるし、ときにガラクタとしか思えないものも置いてある。
取材した研究者のテーマはモンゴルのシャーマン、盲人の触文化、イギリスの魔女、世界の驚異と怪異、エチオピアの吟遊詩人、奴隷と交易、敦煌莫高窟。一見関係のないそれぞれの研究が交わり混ざり私たちが知らない世界の形をみせてくれる。
私は民博が大好きで、大きな展示会には行くようにしている。ちなみに本誌今年1月号でも「吟遊詩人の世界」展を見たあと、本書に登場する川瀬慈編集の『吟遊詩人の世界』(河出書房新社)を紹介したのでチェックしてほしい。
音楽は文化人類学や民族学のなかでも重要な学問だ。「音楽は世界を繋ぐ」とは言い慣わされてきた言葉だが、歴史の中で、音楽は人の移動とともにミクスチャーされてきた。
石橋純・伊藤嘉章編著『都市のリズム 旅する音楽、人、街の物語』(鹿島出版会)は研究者や音楽プロデューサー、演奏家などが独自の視点から18の都市と音楽の結びつきを描き、歴史的観点、人の流れ、楽器の変遷などを鳥瞰した地図にまで著したマニアックな一冊である。
大航海時代、海を渡って人は新大陸を目指し覇権を争った。奴隷貿易あり、略奪あり。そして世界各地に移民が入った。
最初に到着した港町を皮切りに、外から入った音楽と地元の音楽が少しずつ混ざり合い、新しいビートを生む。ジャズ、ロック、レゲエ、サルサなどに成長し、さらに別の場所の音楽と融合してメタモルフォーゼした。レコードの発明で音楽は世界のどこでも聞けるようになり、20世紀終盤になるとワールドミュージックブームが沸き起こった。本書を読むとそのルーツを知ることができる。
私はワールドミュージックのライブを日本で聴いたが、現代は世界同時にネット配信される。カッコいいと思う音楽はどこの国のものだろうが関係ない。
音楽は進化していく。私はその変化をずっと見続けていたい。
文化人類学や民族学の見地から外せないもう一方に食がある。「食べる」ことは生きるために不可欠だからこそ、その土地ならではの文化が育つ。
山口祐加『世界自炊紀行』(晶文社)は「自分で作る食事」に視点を置いて世界を回った一冊だ。台湾、韓国、ポルトガル、スペイン、フランス、トルコ、イタリア、メキシコ、ペルー、タイ、ベトナム、ラオスをまわり38家族を取材。その中から各国2家族を厳選し24の自炊事情をレシピとともに紹介。当然著者も参加して、日本とは違う作り方を経験する。
日本の食卓はにぎやかだ。自炊とは言っても半分出来合いのものを買ってきて、ご飯とみそ汁(それも電子レンジでチン)を付ければ、それなりにバラエティに富んだ食事ができる。メニューもほぼ毎日変える。
だがそれは自炊をする国では珍しいことのようだ。毎日同じものを食べることが当たり前。栄養バランスや美味しく作ることなんて考えもしていない。
それでも人は毎日食べる。食べるものがある、ということが重要なのだと改めて気づかされる。私の場合、食事にはお酒が付きものなので飲むとき何を食べるのかも知りたかった。
世界を旅する目的は何かに興味を持っていたり研究したりする人ばかりじゃない。
『逃げ続けたら世界一周していました』(岩波ジュニア新書)の著者、白石あづさは幼い時から要領が悪く、集団行動が苦手。何事も真面目なのに他の人のようにうまく出来ない。
そこで考えついたのは「逃げること」。日常からいつでも「夜逃げ旅」ができるようにバイトで「夜逃げ旅貯金」を貯め27歳で世界一周の夜逃げ旅に出る。
そんな要領の悪い人なのに大丈夫なのかとハラハラしつつ読み進めると、世の中は捨てたものじゃないなあ、と思わされる。旅先で会う旅人は、それぞれの事情を抱えていても自由に生きている。それが日常になると、著者自身も自由に楽しく過ごすことができるようになっていく。
生きづらければ逃げればいい。苦しんでいる子供たちに、あなたが生きている場所なんて地球上では針で突いたくらいの広さしかなくてこの旅行記を読めば、きっと元気になれると教えたい。
2年間続いた私のめったくたガイドのノンフィクションも今回でおしまい。さてどこに逃げようかな。
(本の雑誌 2025年12月号)
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- ●書評担当者● 東えりか
1958年、千葉県生まれ。 信州大学農学部卒。1985年より北方謙三氏の秘書を務め 2008年に書評家として独立。連載は「週刊新潮」「日本経済新聞」「婦人公論」など。小説をはじめ、 学術書から時事もの、サブカルチャー、タレント本まで何でも読む。現在「エンター テインメント・ノンフィクション(エンタメ・ノンフ)」の面白さを布教中。 新刊ノンフィクション紹介サイト「HONZ」副代表(2024年7月15日クローズ)。
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