オースター『4321』は2024年ベスト級の一冊だ!

文=橋本輝幸

  • ワンダ・ヒッキーの最高にステキな思い出の夜
  • 『ワンダ・ヒッキーの最高にステキな思い出の夜』
    ジーン・シェパード,若島 正
    河出書房新社
    2,970円(税込)
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  • 4 3 2 1
  • 『4 3 2 1』
    ポール・オースター,柴田 元幸
    新潮社
    7,150円(税込)
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  • チェーンギャング・オールスターズ
  • 『チェーンギャング・オールスターズ』
    ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー,池田 真紀子
    集英社
    3,520円(税込)
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  • ザ・ルーム・ネクスト・ドア
  • 『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』
    シーグリッド・ヌーネス,桑原 洋子
    早川書房
    2,420円(税込)
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  • ヘルプ・ミー・シスター
  • 『ヘルプ・ミー・シスター』
    イ・ソス(Lee Seosu),古川綾子(ふるかわ あやこ)
    アストラハウス
    2,200円(税込)
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 ジーン・シェパード『ワンダ・ヒッキーの最高にステキな思い出の夜』(若島正編訳・浅倉久志訳/河出書房新社)の著者は一九二一年生まれ。米国でラジオやテレビのパーソナリティーとして活動し、一人漫談で人気を博した。リスナーを魅了した語りを彼は短編にも仕立てた。収録六編は一九六〇〜七〇年代にかけて『プレイボーイ』誌に掲載された。いずれも舞台は一九二〇年代から三〇年代で、ある少年の体験をユーモアたっぷりに描く。たとえばクリスマスにあこがれのBB銃をもらう話、親の寝室に隠されていた本を読書感想文の題材にして思わぬ叱責を受ける話。奇妙で心つかまれるのは、中盤の「スカット・ファーカスと魔性のマライア」である。小学校でコマ回し勝負が流行し、いかつい不良少年がふるう黒いコマは向かうところ敵なし。だが主人公は、雑貨屋の老婆から白いコマを手に入れる。後半三作は、女の子とのデートやプロムに向けて奮闘しては失敗するシリーズだ。子供時代と二〇世紀前半へのノスタルジーに満ちた本書が放つ、雑誌の黄金時代の残光がまぶしい。

 ポール・オースター『4321』(柴田元幸訳/新潮社)は、一九四七年に生まれたアーチー・ファーガソンの成長と青春の物語だ。主な舞台は一九六〇年代のアメリカ東部。原書は三年半を費やして執筆され、二〇一七年に出版された。めっぽう分厚い八〇〇ページの理由は、各章が四バージョンに分かれているせいだ。父母が選んだ住まいやささいな行動が一家の環境と運命を変え、アーチーの趣味や友達や恋人や進路も変わる。

 著者オースターも一九四七年に生まれ、ニューヨーク州の隣のニュージャージー州で育った。本書の中では現代アメリカ史やかつてのニューヨークの情景が息づいている。「もしこうだったら」という仮定は小説の基本だが、本来なら書かれない可能性や側面もすべて書くことで、オースターは読者の脳裏に浮かぶ場所や時代の情報密度を高め、彼の知る場所や時代に近づけていくのだ。これほど執筆意欲みなぎる大作が晩年に書かれたことにも驚く。また時事問題に心を痛め、社会に失望する青年の気持ちは現在の読者にも響くだろう。まちがいなく二〇二四年ベスト級の一冊。

 ナナ・クワメ・アジェイ・ブレニヤー『チェーンギャング・オールスターズ』(池田真紀子訳/集英社)は、第一短編集『フライデー・ブラック』で皮肉とアイディアのパンチを世に浴びせた新鋭の、待望の初長編。囚人たちが武器を手に取り、死ぬまで決闘するさまが人気リアリティ番組になっている架空のアメリカ。残酷なショーへの参加は本人が減刑や刑期短縮のために志願したことになっているが、実のところ刑務所で地獄を味わい、志願せざるを得なかった者ばかりだ。巨大なハンマーや鎌を振り回し、勝利を重ねる主人公たちははたして生きのびられるのか。もちろん本書は、現実に警察や司法が内包する人種差別や、刑務所の民間企業によるビジネスへの強烈な皮肉である。人種だけではなく、女性やクィアに降りかかる二重三重の苦難のことも著者は忘れない。

 注目すべきは大量の注釈だ。単なる補足説明ではなく、現実の事件や冤罪を読者に教え、作中では語られざる登場人物たちの設定を付け足す。ショーと違って現実に端役はいない。スリリングな読み物と、現代社会への批判の叫び。全米図書賞、英国のSF賞アーサー・C・クラーク賞の候補作になったのも納得の意欲作だ。

 シーグリッド・ヌーネス『ザ・ルーム・ネクスト・ドア』(桑原洋子訳/早川書房)の舞台は過去でも架空でもない、現代のアメリカだ。テーマは老境と友人の死である。語り手は長年の親友から末期がんを告げられ、最期にAirbnbで借りた家で一緒に暮らしてほしいと頼まれる。彼女はシングルマザーで娘とはほぼ絶縁状態だった。一方、語り手のかつての恋人である作家は、大学での講演会で「もう終わりなのです」と世界と文明の存続を疑う発言をする。

 家を借りて住むのは本書の半ばをすぎてから。それまでに読者は語り手の思索と観察をゆっくり追体験する。老いや衰え、病気を身近に感じ始める中年以上に刺さる本であるし、年齢を問わず、社会の停滞感や子どものいない人生に共感する人もいるはずだ。写実的だが、ユーモアも批判精神もたっぷりで飽きさせない。ペドロ・アルモドバル監督によって映画化された。

 今月は米国文学ばかり紹介したが、最後に紹介するイ・ソス『ヘルプ・ミー・シスター』(古川綾子訳/アストラハウス)は韓国文学だ。二〇一四年にデビューし、近年立て続けに文芸賞を獲得している作家の代表作にして初の邦訳だという。四〇歳間近のスギョンは無職だ。会社を辞めて四年。会食の際に同僚からこっそり睡眠薬を入れた飲み物を渡され、暴行被害にこそ遭わなかったが、恐怖と職場での腫れ物扱いに耐えかねて働けなくなった。だが老親、会社員を辞めて個人投資家になった夫、夫の甥たちとの六人暮らしを支えるためには社会復帰しなければならない。スギョンがまず試したのは自営業者としての荷物の宅配だった。

 ギグワークの搾取。一度レールからはずれると復帰しづらい社会。この世は落とし穴ばかりである。視点人物が章ごとに入れ替わり、それぞれの苦しみが描かれるが、絶望だけではない。甥の彼女で美貌の中学生ウンジ、母の友人の娘で性的指向が未定の大学生ボラといった、血縁や姻戚関係のない年若いシスターたちとの関わりに、他者との助け合いへのかすかな希望がある。

(本の雑誌 2025年4月号)

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●書評担当者● 橋本輝幸

1984年生まれ。書評家。アンソロジストとして『2000年代海外SF傑作選』『2010年代海外SF傑作選』、共編書『走る赤 中国女性SF作家アンソロジー』、自主制作『Rikka Zine vol.1』を編集。
現在、道玄坂上ミステリ監視塔(Real Sound)や「ミステリマガジン」新刊SF欄に寄稿中。

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