怒濤の改変歴史青春小説R・F・クァン『バベル』に参った!
文=大森望
早くも今年の翻訳SFベストワンが(ほぼ)確定した。R・F・クァン『バベル オックスフォード翻訳家革命秘史』(古沢嘉通訳/東京創元社上下)★★★★½は、2022年のネビュラ賞に輝く(にもかかわらず翌年の成都ワールドコンでヒューゴー賞候補から不正に外されて世界的に注目された)改変歴史青春小説。魔法を扱っているのでジャンル的にはファンタジーだが、テイストはSFに近い。
時はもうひとつの1830年代。大英帝国は(蒸気機関じゃなくて)銀と言語を用いた魔術的テクノロジー、銀工術によって世界に君臨している。二つの言語間で翻訳時に生じる意味のズレが原動力なので、魔力を操るには卓越した言語能力が不可欠。オックスフォード大学が創立した王立翻訳研究所(通称バベル)は、世界に冠たる銀工術の牙城だった。物語の主人公は広東生まれの中国人孤児。バベルの教授によって才能を見出され、ロビン・スウィフトの英名を与えられた彼は、教授とともに英国に渡り、ラテン語、ギリシャ語に始まる厳しい言語的特訓を経てバベルの新入生となる。
というわけで、前半は(改変歴史設定を除けば)よくある魔法学校もの。ただし、同期生4人組(カルカッタ出身のインド人男性、ハイチ出身の黒人女性、英国出身の白人女性)が人種差別・性差別にさらされつつ勉学に励む過程には史実が反映され(ファンタジー版「虎に翼」?)、夢に見た学園生活は苛酷な現実に押し流されてゆく。大英帝国の悪逆非道な植民地支配に、魔法(=言語)の力で抗うことはできるのか? 物語は現代の世界情勢を二重写しにしながら怒濤のクライマックスに雪崩れ込む。各所で絶賛されているので天邪鬼な気分で読みはじめたが、いや、すみません。参りました。
著者は1996年、広東省広州市生まれの米国人女性。00年に家族と渡米し、ダラスで育つ。オックスフォード大学ユニヴァーシティ・カレッジで現代中国研究の修士号を取得した経験が本書に生かされている。ちなみに本書の中国語版(陳陽訳)は中国SF界でも絶賛され、昨年の華語科幻星雲賞翻訳部門と百万釣魚城科幻大賞国際小説部門・英語訳者部門を受賞している。
同じ古沢嘉通訳のA・J・ライアン『レッドリバー・セブン:ワン・ミッション』(ハヤカワ文庫SF)★★★½は、記憶を失った7人の男女が米海軍の巡視艇で目を覚ますところから始まるコンパクトなSF活劇(348ページ)。7人はハクスリー、ディキンスン、ピンチョンなど作家の名を与えられ、船から出られず、衛星電話で指示を伝えられる。いかにも本格ミステリっぽいクローズドサークルものだが、話の展開はどんでん返し系サスペンス。立ち上がりはややもたつくものの、加速度的に盛り上がる。
それよりもっと短い(220ページ弱)のが、韓国SFトップランナーの初の邦訳書となるデュナ『カウンターウェイト』(吉良佳奈江訳/ハヤカワ文庫SF)★★★½。軌道エレベーターが建設された東南アジアの架空の島国を舞台に、韓国の巨大企業のベテラン保安要員が社内のお家騒動に巻き込まれる近未来サスペンス。ゼロ年代ギブスン風の導入から、どんどんエンタメ度が高くなる。
続いて国内SF。ハヤカワSFコンテストの受賞作が相次いで3作、早川書房から刊行された。大賞2作の片方、カスガ『コミケへの聖歌』★★★½は、文明崩壊後、ギリギリの自給自足生活を続ける山奥の僻村イリス沢が舞台。それでもなお旧時代のマンガに憧れる4人の少女たちは〈部室〉に集い、手製の葦ペンで旧時代の金銭出納簿にマンガを描き、その〈同人誌〉を『アイリス』と命名する。彼女たちの夢は、生き残ったマンガ愛好者たちが集まり、新作を披露し合うという〈コミケ〉に行くこと。
しかしやがて、〈部室〉での楽しげな会話からは想像もできない苛酷な現実が見えてくる。どうしようもない閉塞感と、それに抗う唯一の手段としてのマンガ。『バベル』にも通じるリアルな青春小説だ。ちなみに著者は、マンガ『萌え絵で読む虚航船団』の人です。
大賞のもう片方、犬怪寅日子『羊式型人間模擬機』★★★½は、死の間際になると男性が羊に変身する一族の物語を、彼らに仕える少女型アンドロイドの視点から語る奇怪な幻想SF。「きょうのあさ、だから今朝、大旦那様が御羊になられた」から始まる文章はすばらしく個性的かつ魅力的だが、話の道すじがさっぱり見えない。まあ話がわからなくても面白いからいいんだけど、どういう話かは説明できないので読んでください。ちなみに著者はコミカライズされた「風俗嬢がボーイを殺して廃校でひと夏を過ごす話」の人です。
同コンテスト優秀賞のカリベユウキ『マイ・ゴーストリー・フレンド』★★★★は、早稲田近辺の(架空の)団地になぜかギリシャ神話ネタの怪異が次々に襲いかかる当世風の東京ホラー。SF的な理屈のコネ方も実在の地名の使い方も中盤以降のシスターフッド展開も幕の引き方もたいへん優秀で、疑問は黒幕の組織の設定くらいだが、それも空気清浄機ネタが笑えたのでOK。小説的な面白さは3冊の中でこれが一番。ホラー系の新人賞なら(あるいはこのミス大賞でも)余裕で大賞を獲れたのにもったいない。シリーズ化希望。
最後に奥泉光『虚傳集』(講談社)★★★★は、織豊〜明治時代を背景にした5編を収めるウソ伝記集というか虚史小伝集。実在しない史料がもっともらしい来歴とともに縦横無尽に引用され、ウソの土台の上にウソの伽藍をまことしやかに構築する。半村良はだしのウソの妙技が堪能できる一冊。
(本の雑誌 2025年4月号)
- ●書評担当者● 大森望
書評家、翻訳家。責任編集の『NOVA』全10巻と、共編の『年刊日本SF傑作選』で、第34回と第40回の日本SF大賞特別賞受賞。著書に『21世紀SF1000』『同 PART2』『新編 SF訳講座』『50代からのアイドル入門』など。訳書に劉慈欣『三体』(共訳)、テッド・チャン『息吹』など。ゲンロン大森望SF創作講座」主任講師。
http://twitter.com/nzm- 大森望 記事一覧 »