エネルギーに満ちた呉明益『海風クラブ』が圧巻!

文=橋本輝幸

  • 海風クラブ
  • 『海風クラブ』
    呉 明益,三浦 裕子
    KADOKAWA
    3,080円(税込)
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  • 巨匠の右手
  • 『巨匠の右手』
    コンスタンティネ・ガムサフルディア,児島康宏
    未知谷
    4,950円(税込)
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  • ムーア人による報告 (エクス・リブリス)
  • 『ムーア人による報告 (エクス・リブリス)』
    レイラ・ララミ
    白水社
    4,620円(税込)
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  • ジェイムズ
  • 『ジェイムズ』
    パーシヴァル・エヴェレット
    河出書房新社
    2,750円(税込)
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  • 人形のアルファベット
  • 『人形のアルファベット』
    カミラ・グルドーヴァ,上田 麻由子
    河出書房新社
    2,750円(税込)
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 呉明益『海風クラブ』(三浦裕子訳/KADOKAWA)は、台湾の人気作家による新作長編。著者の作品は『歩道橋の魔術師』(天野健太郎訳/河出文庫)を始めとして日本でも近年次々と翻訳されている。二十世紀の歴史、庶民の生活、自然、ファンタジー要素といった作品の特色は本書にも健在だ。物語は一昔前の台湾で始まる。タロコ族の伝承に登場する巨人の最後の一体がまだ生きているが、人間には山と認識されている。ある日、父親に売り飛ばされまいと家出してきた少女・秀子と、首に輪ゴムが絡まった野犬を助けようとしたタロコ族の少年・ドゥヌが山、つまり巨人の体内に入ってくる。家に帰りたくない秀子のため、ドゥヌは入れ替わって互いの村に戻る提案をした。ただし、この入れ替わりは長く続かず、警察が呼ばれて二人は家に帰される。時は流れ、シングルマザーになった秀子は再びドゥヌたちの村を訪れ、カラオケスナック「海風クラブ」を開店する。おりしも村の近くに大きなセメント工場の建設が計画され、反対運動が始まった。村に着任した新人教師や都会から来たコウモリ研究者もこの騒ぎに巻きこまれていく。訳者あとがきで指摘されている通りの「生々しい(現実的な/直接的な)作品」で、社会問題に対する怒りや生老病死がストレートに書かれている。台風と共に訪れるクライマックスも圧巻で、エネルギーに満ちた本だ。

 コンスタンティネ・ガムサフルディア『巨匠の右手』(児島康宏訳/未知谷)は一九三七年に発表されたジョージア文学。ジョージア人なら今も学校で読む本らしい。著者は初代ジョージア大統領の父親でもある。内容は、悲劇の歴史冒険小説だ。舞台は十一世紀のグルジア王国。ラズ人というイスラム教を信じる少数民族の幼なじみの男女が、ギオルギ王に故郷から虜囚として連れていかれ、結ばれず死ぬ。ただし前半は誰が主人公かすら見当がつかない。十一世紀にアルスキゼという人物によって大教会が建てられたのは史実だが、この人物は右手を切り落とされた逸話以外は正体不明だという。著者はラズ人の石工アルサキゼを無から想像し、ジョージアの年代記ではわずかにしか触れられていないギオルギ一世をも主要人物にした。王はビザンツ帝国との関係に悩みつつ、国内の諸勢力を平定してキリスト教国家を築く。後書きによると本書はスターリンに絶賛されたらしいが、主人公と王の両方にロシア(ソ連)に隣接したジョージアの立場が重ねられているのは明らかだ。

 レイラ・ララミ『ムーア人による報告』(木原善彦訳/白水社)も、わずかな言及から着想された小説だ。十六世紀に北米にたどりついたスペインの探検隊とその失敗。著者は実在する生存者報告書の、生存者の中にアラブ系黒人がいたという一節から想像を膨らませ、彼を主人公にしたなんとも臨場感ある長編に仕立てている。本書も冒険小説としてもリーダビリティが高い。初めは高圧的にネイティヴ・アメリカンを制圧しようとしたスペイン人たちも先住民の反撃や飢え、病気でみるみるうちに数を減らしていく。やがてわずか数名のスペイン人と共に、主人公は医者のまねごとで先住民を助けてなんとか生き延びるようになる。

 今月は木原善彦訳をもう一作、取り上げる。パーシヴァル・エヴェレット『ジェイムズ』(木原善彦訳/河出書房新社)は、マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』の主役の少年ハックと逃亡黒人奴隷のジムの物語をジムを中心に語りなおした小説だ。実は聡明で学のあるジムが、自分が主人に売り飛ばされる予定と知って逃亡し、妻子を取り戻すために雌伏を経て反撃を試みる。白人が黒人を面白おかしく真似たミンストレル・ショーや、肌の色が薄い黒人が白人として通用(パッシング)する逸話なども盛りこまれている。つらいシーンも多いが、古典名作を語りなおした作品として一級品なのはもちろん、スリリングで犯罪小説としても面白い。二作とも、名前や自由を奪われた男が秘めた知性を活かして生きのびる話だ。奇遇にも『海風クラブ』や『巨匠の右手』とも響きあっている。いずれも植民地主義や奴隷制の影響が今も世界に影を落とす中で、過去の人間が犯した不条理を忘れず、照らし出している。一方でまったくの空想が読者を感動させ、胸を熱くさせる怖さも感じた。

 カミラ・グルドーヴァ『人形のアルファベット』(上田麻由子訳/河出書房新社)は著者の日本初の短編集である。原書は二〇一七年に出版されたデビュー作品集だ。近年まれに見る個性の強い作風である。どの短編も奇妙で閉塞感と汚穢と貧困に満ち、暗く彩りに欠ける。著者が見てきた世界はそのようなものなのかもしれない。彼女はポーランドからカナダに移住してきた両親のもとに生まれ、母親ひとりに育てられた。現在スコットランド在住。大学での専攻は美術史とドイツ語で、様々なサービス業を経験したという。冒頭の掌編「ほどく」では、女性たちが自らの身体をほどいてミシンか蟻に似た生き物になる。ひとりで双子を育てる女性が夜ごとオオカミに変身して自由を楽しむ「ネズミの女王」も変身譚だ。シャーリイ・ジャクスン賞中編部門を受賞した「ワクシー」は男たちが試験に備える間、パートナーの女たちは工場労働や家事で男を支えなくてはいけないという一種のディストピアSF。クラスメイトのアガタが作った機械が使用者によって異なる幻を映しだし、彼女たちを夢中にさせる「アガタの機械」、八本脚の有名人がミシンに惚れこむ「蜘蛛の手記」など、機械や物への偏愛を描いた話も記憶に焼きつく。

(本の雑誌 2025年9月号)

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●書評担当者● 橋本輝幸

1984年生まれ。書評家。アンソロジストとして『2000年代海外SF傑作選』『2010年代海外SF傑作選』、共編書『走る赤 中国女性SF作家アンソロジー』、自主制作『Rikka Zine vol.1』を編集。
現在、道玄坂上ミステリ監視塔(Real Sound)や「ミステリマガジン」新刊SF欄に寄稿中。

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