現実をとらえすぎたA・プラトーノフの作品集
文=橋本輝幸
今月紹介する四作はいずれも作家性が強い。
『チェヴェングール』が第九回日本翻訳大賞を受賞した、ロシアの作家アンドレイ・プラトーノフの『プラトーノフ・コレクションⅠ エーテル軌道 1920‒1931』(工藤順・古川哲編訳/作品社)は、著者のデビューから十年ほどの成果を未邦訳を中心に集めたシリーズの第一巻である。小説以外も収録されている。作風によって章が分かれ、解説も充実しているため、この作家について一切知らない読者も体系的に学びながら読める。
たとえば「革命から宇宙へ」の章に収録されるのはSF小説のはしりのような作品だ。ただしユートピア小説ではない。著者は郊外で生まれ育ち、父親は鉄道工場の労働者で、自らも十代半ばから一旦は鉄道関係の仕事を始めた。地元の大学の歴史学科に入学するも一年で退学し、工科学校で電気技術を学ぶ。地元で飢饉が起こったため地元の県で土地の改良の仕事についた。こうした経験からかプラトーノフは現実を工学的な観点から見つめ、新技術への憧れを抱きながらもその陰で生じる犠牲を忘れない。「月探査──〈煉瓦〉についての物語」(清野公一訳)の主人公は最愛の女性と結ばれず、彼女の危機に駆けつけられもせず、乗り物の試運転中に子供をはねてその証拠を隠蔽する。すべては国家プロジェクトである全く新しい乗り物の完成のためだ。ついに開発した乗り物に自ら乗りこんだ男の独白が、月への打ち上げ後の通信ログという体裁でつづられる。「疑念を抱く」と題された章の「将来の利益のために──貧農の年代記」(古川哲訳)は地方の集団農場を視察して書いたルポ小説。ところがスターリン自らが本作の批判を編集部に送り、著者の作家生命は風前のともしびとなる。おそらく彼は現実をとらえすぎたのだ。写実的な小説だが、農家の水車小屋の隣では農作業の発展と効率化のために設置された人工太陽(投光器)が壊れたままになっており、地元の住民たちが人工太陽が稼働した思い出を語り聞かせる掛け合いが面白い場面もある。
続いてはアンソニー・ドーア『天空の都の物語』(藤井光訳/早川書房)。ドーアは寡作なので、本書は『すべての見えない光』以来七年ぶりに発表した長編である。全米図書賞の最終候補になった話題作だ。紀元一世紀ごろに書かれたギリシャの散文物語『天空の都の物語』を巡る群像劇である。コンスタンティノープルが陥落する直前の十五世紀の少年少女、現代の米国の片田舎に暮らすかつて朝鮮戦争に従軍した老人、未来で恒星間宇宙船の中で暮らす少女といった複数の視点から、いくら時代が変わっても記憶の保存や物語の翻訳がなんらかの形で残るテーマが力強く立ち上がる。他者との交流、教育や知識の継承、続けていく情熱といった要素も普遍的だ。また、個人の抵抗ではどうにもならないような大きな壁や流れが、たとえば国家や世界の巨大な危機やその時代の価値観といった要素が何度も登場人物をはばむ。本書は、書物や知識への賛歌である。いくぶん理想的で、人の心を動かすためのドラマと感じもするが、著者は記録の改ざんの可能性や、記録を知り読み解く機会も特権としてしばしば周縁化された人々から奪われている点にもちゃんと目くばせを送っている。
『レス・ザン・ゼロ』や『アメリカン・サイコ』で一九八〇年代後半から九〇年代に一世を風靡した米国の作家ブレット・イーストン・エリスが、苦しみながら長い時間をかけて書き上げた集大成的な作品だというのが『いくつもの鋭い破片』(品川亮訳/文藝春秋上下)である。舞台は一九八〇年代初頭のロサンゼルス。実在する映画や小説の名前がしばしば言及され、とりわけスティーヴン・キング作品の印象が強い。著者と同名の主人公ブレットは裕福な子供ばかりの高校に通い、男子生徒全員があこがれるグラマーな少女と交際している。ところが彼は実は男性への惹かれのほうがやや強いバイセクシュアル。幼馴染の少女とそのボーイフレンドの両方への気持ちを隠していた。一方で彼には他にも疑似恋愛や性欲を解消する相手の級友がいる。ある夏、学校のグリフィン像が悪趣味に汚される事件が起こり、シリアル・キラーが出没して街を騒がせ始める。ブレットはこの異常が転校生ロバートによって引き起こされたのではないかと疑う。不穏な青春小説だがドラッグやセックスだらけで、恵まれた子供たちの閉じた世界の物語だ。『レス・ザン・ゼロ』の続編『帝国のベッドルーム』以来十三年ぶりの作品であることを踏まえると、デビューから一貫して著者は十代の思い出とオブセッションから離れられないようだ。
今月最後に紹介するのはウン・ヒギョン『たったひとつの雪のかけら』(オ・ヨンア訳/集英社)だ。一九九五年にデビューし、文学トンネ小説賞や李箱文学賞といった韓国を代表する文学賞を総なめにしてきた作家の二〇一四年発表の短編集である。作品間にはつながりがある。たとえば父親の事業が失敗し母親と二人でアメリカに引っ越すものの思うようにいかない暮らしを少年の視点から描いた「Tアイランドの夏の芝生」は、妊娠中の孤独な女を描いた「フランス語初級クラス」の続きで、「スペインの泥棒」で九年間北米で暮らしたが就職できず結局韓国のニュータウンに戻ってくる青年の前日譚だ。作者は徹底的な描写で登場人物たちの心も生きかたも丸裸にしてしまう。共感できない読者もいれば共感性羞恥を感じる読者もいるだろうが、それほどに観察が真に迫っている。末尾の余韻も深く、各話が単独の短編小説として完成している。
(本の雑誌 2026年5月号)
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- ●書評担当者● 橋本輝幸
1984年生まれ。書評家。アンソロジストとして『2000年代海外SF傑作選』『2010年代海外SF傑作選』、共編書『走る赤 中国女性SF作家アンソロジー』、自主制作『Rikka Zine vol.1』を編集。
現在、道玄坂上ミステリ監視塔(Real Sound)や「ミステリマガジン」新刊SF欄に寄稿中。- 橋本輝幸 記事一覧 »





