思考や人間関係も整理する森博嗣『アンチ整理術』

文=冬木糸一

  • 21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考
  • 『21 Lessons: 21世紀の人類のための21の思考』
    ユヴァル・ノア・ハラリ,柴田裕之
    河出書房新社
    2,640円(税込)
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  • 情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論
  • 『情動はこうしてつくられる──脳の隠れた働きと構成主義的情動理論』
    リサ・フェルドマン・バレット,高橋 洋
    紀伊國屋書店
    3,520円(税込)
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  • BLが開く扉 ―変容するアジアのセクシュアリティとジェンダー―
  • 『BLが開く扉 ―変容するアジアのセクシュアリティとジェンダー―』
    ジェームズ・ウェルカー
    青土社
    2,640円(税込)
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  • 世界からコーヒーがなくなるまえに
  • 『世界からコーヒーがなくなるまえに』
    ペトリ・レッパネン+ラリ・サロマー,セルボ貴子
    青土社
    1,980円(税込)
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  • アイリッシュマン(上) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
  • 『アイリッシュマン(上) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)』
    チャールズ ブラント,高橋 知子
    早川書房
    924円(税込)
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  • アイリッシュマン(下) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)
  • 『アイリッシュマン(下) (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)』
    チャールズ ブラント,高橋 知子
    早川書房
    924円(税込)
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『サピエンス全史』で過去を、『ホモ・デウス』で未来を対象にして人類史を虚構の観点から語り直したユヴァル・ノア・ハラリの新作『21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考』(柴田裕之訳/河出書房新社)は、ハラリがはじめて現代の諸問題を扱った一冊だ。現代社会が抱えている問題は、雇用の減少、複雑化する教育、気候変動など挙げはじめたらキリがないが、本書でハラリは変わらぬ明確な語り口でもって、複雑化する一方の現代の様相をわかりやすく描き出し、物事をじっくり考える糸口を与えてくれる。

 テーマは雇用や移民といったシンプルなものから、SFや瞑想のような意外なものまで二一個用意されているが、本書の特徴としては、諸問題に対して大上段から答えを提示するのではなく、我々はこれから先どう考えたらいいのだろうか? とあくまでも問いと考え方のプロセスの提示に留めているところにある。たとえば幻滅の章では、現代は世界中の人々が自由主義の物語に幻滅した時代であるとし、その歴史的経緯を振り返った上で、他のどんなビジョンが自由主義の物語に取って代わるだろうか? 自由主義が信頼を失ったのだとしたら、人間は単一のグローバルな物語という発想を捨てるべきか? など幾つか問いかけてみせる。それに対する無数の答えの可能性を探るために、雇用や自由について考えてみよう、といった具合に、テーマが次々繋がっていくのだ。

 続けて紹介したいのは、人間の怒りや悲しみといった情動は誰しも同じように持っている普遍的な物であり、怒っている人の顔を見ればその感情を確実に識別することができるとする古典的情動理論の誤りを指摘する、リサ・フェルドマン・バレット『情動はこうしてつくられる 脳の隠れた働きと構成主義的情動理論』(高橋洋訳/紀伊國屋書店)だ。研究者はこれまで顔に電極をとりつけて変動を記録したり、fMRIで脳波をとったりと様々な方法で感情の定量化を試みてきたが、最終的に出たのは、情動の客観的な指標を見出すのは難しいという結論であった。怒りや悲しみの感情に、絶対に反応する特定の脳領域は存在しないのだ。

 その事実は、被告がどれだけ反省し、悲しみを抱えているのかといった情動への判断が判決に関わってくる陪審裁判の是非にも関係してくる。本書では、情動がどのように作られているのかを解き明かしていく過程で、こうした法や、政治や精神疾患など情動に関連した広範なテーマを扱っていくことになる。斬新な理論であるだけに議論すべき余地は多く残されているが、古典的情動理論が支配的な現代社会をあらためて捉え直す上で、是非とも押えておきたい一冊だ。

 整理ができないひとにぜひオススメしたいのが、『すべてがFになる』などのミステリーの著作で知られる森博嗣による『アンチ整理術』(日本実業出版社)。森氏の日記に映り込む部屋を観ていればわかるのだが、氏の部屋は物で溢れていて、雑然としている。そんな人が書くのだから、当然ただの整理術であるはずもない。というのも、氏にとっての整理術とは整理をしないことであり、整理をする時間があるならば研究や創作を進めたい。そもそも何かを作っている時というのは、必然的に散らかるものなのだ──という、そのまんま「アンチ」整理術なのである。物の整理の本ではあるのだが、次第に思考や、人間関係の整理について、と取り扱われる整理の種類が変わっていくのも読みどころ。

『BLが開く扉 変容するアジアのセクシュアリティとジェンダー』(青土社)は神奈川大学で教授をつとめるジェームズ・ウェルカー編集による、アジアにおけるBL受容をめぐる論考を集めたアンソロジー。たとえば、韓国ではフェミニズムと関連して脱BLの動き(攻/受の関係は挿入権力を中心にしていて、現実の男女における権力関係を強化するものであるなどの論点がある)が起こっているという。同性愛に否定的なイスラム教徒が多いインドネシアでは、BLを楽しむ女性であっても現実の同性愛には否定的な見解を持っている人が多いなど、国ごとに異なるBL文化が続々と明らかになっていき、BLを愛好していない人間が読んでも楽しめる、文化史的に興味深い論考が揃っている。

 続けて青土社から紹介すると、ペトリ・レッパネン+ラリ・サロマー『世界からコーヒーがなくなるまえに』(セルボ貴子訳/青土社)は、気候変動や大規模な工業化栽培による大地の疲弊に伴って、三〇年後は今のようにはコーヒーを楽しむことができないかもしれない......という苦境について語られた一冊。コーヒー豆は大量の水分を必要とし、日照量の調整も難しく、長期的な栽培が難しい。では、持続可能な栽培を行うにはどうしたらいいのか......と問いかけ、大量生産に背を向け、雑草を手で抜き、質をみて収穫し、と高品質な栽培を行う農家に密着し、その手法に迫っていく。

 最後に、本書原作の映画が公開されたばかりの『アイリッシュマン』(高橋知子訳/ハヤカワ文庫NF)を。アイリッシュマンと呼ばれた実在の殺し屋の独白をまとめたノンフィクションなのだが、彼が殺した中で最も有名なのが、一時期は大統領に次ぐ権力を持つ男と言われた労働組合のボスであるジミー・ホッファという男。アイリッシュマンは、この男と親友といっていい間柄にあったのだが、なぜそんな彼が殺すことに至ったのか──という悲劇が、一九五〇年代から七〇年代にかけての、今よりも無茶苦茶が許された時代のアメリカ裏社会の様相と共に語られていく。優れた犯罪小説を読み終えた後のような余韻が残る快作だ。

(本の雑誌 2020年2月号掲載)

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●書評担当者● 冬木糸一

SFマガジンにて海外SFレビュー、本の雑誌で新刊めったくたガイド(ノンフィクション)を連載しています。 honz執筆陣。ブログは『基本読書』 。

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