『リボンの男』でゆったり揺らぎを受け入れる

文=大塚真祐子

 山崎ナオコーラ『リボンの男』(河出書房新社)は、川を歩く親子の場面からはじまる。川に落とした百円玉を探していることはすぐに明かされるが、〈「妹子ー、お金、ないねー」〉という冒頭、三歳児のタロウの台詞が、彼らの生活全体のことを指しているような感覚が、二人が川を歩く理由がわかってからも、一家が困窮しているわけでもないと知っても、ずっと続く。父親である小野常雄、通称妹子が、このあと自分の営みを事あるごとに時給に換算するせいもあるだろう。

 妹子は子どもが生まれたことをきっかけに新古書店のアルバイトを辞め、一時的に"主夫"の道を選んだ。妹子の結婚相手であるみどりは、新刊書店の店長をしながら執筆活動もし、一家の大黒柱の役割を担う。

〈結婚前だってフリーターで、たいして稼いでいなかったが、それでも稼ぎというものがゼロになった今、「みどりの稼ぎで暮らしている」と他人から思われる状態で、鳥のことを考えて一時間過ごしたときは、「時給で考えるとバカみたいな過ごし方したな。アルバイトでは千円稼げていたのに」と思う。〉

 妹子には、自分の世界が小さくなっていくことへの葛藤があり、主夫としての自分に思索を上塗りしつつ、なんとか意味を見出そうとする。一方のみどりにも、家族を養うことへの不安は当然あって、〈妹子にはわからないだろうけど〉と発言して、眉根を寄せる夜もある。

 それでもこの物語には、決定的な断絶は描かれない。それは、二人のあいだにいるタロウという子どもの存在と、はじめから終わりまで物語をゆったりと動かす、野川という川の存在が大きいように思う。

 著者の近年の小説やエッセイはどれも"多様性"を大きなテーマにして書かれている。性別や肩書があらかじめ決めつけてきた役割をとりはずすことで、他人との比較や、共感だけで安易につながろうとする世界を、言葉の力で解体しようとしている。そこに著者の思想の強さを見出すこともあったが、今作では登場人物の迷いも正面から描かれたことで、物語とともに自分の懊悩も、ゆっくりと流れていくように感じる。

 物語も自分も現在進行形で、善悪や正誤のように、すぐに割りきれるようなものではない。川べりの植物や季節の訪れを、登場人物と同じ視界で眺めながら、自分のなかの揺らぎも受けいれる。そのための力をこの物語からもらう。そう、揺らぐのにも決めるのと同じくらい、エネルギーが必要なのだ。

 ヒモではなく、新しい経済活動を生みだすリボンの男になる、というのがこの作品の着地点ではあるが、妹子たちのふるまいから受けとるものは読者によってさまざまだろう。まずはあなたのなかにある〈小さな生活〉の話を聞かせてほしい。対話はたぶんそこからはじまる。

 第四一回野間文芸新人賞を受賞した、千葉雅也『デッドライン』(新潮社)は、大学院でフランス現代思想を研究する「僕」の、修士論文締め切り(デッドライン)まで、二〇〇一年からの数年を描く。

 ゲイである主人公が、相手を求めて繰り出す夜の景色と、友人と交流しながら、大学で講義を受ける昼の景色が、フラッシュを焚かれたように鮮やかに、断片的にくり返される。ドトール、ドン・キホーテ、ロイヤルホストなどの店の固有名詞が、物語にさらなる色彩を与える。

 哲学者である著者は、モースの贈与、ドゥルーズ+ガタリの逃走線、動物への生成変化など、さまざまな思想を小説の細部にからめる。ある日の講義では教授が、荘子と恵子の"知魚楽"と呼ばれる中国哲学の一節について、自身の講釈を述べる。

〈人間でも動物でもいいのです。他者と「近さ」の関係に入る。そのときに、わかる。いや逆に、他者のことがわかるというのは、「近さ」の関係の成立なのです。〉
〈ある近さにおいて共有される事実を、私は「秘密」と呼びたいと思います。〉

 この解釈に触れたとき感じたのは、主人公が肉体を重ねる他者との肌の「近さ」であり、その主人公の物語、さらに言えば物語を書きつける著者の言葉に触れている自分との「近さ」でもあった。近さを知覚したとき、この物語がこれまでに描いてきたさまざまな場面が一旦同じ地平に並んで、すべてが腑に落ちたような感触があった。それは読み慣れない哲学書を自分なりに噛みくだいて、ようやくたどりつく曖昧で明るい理解の感覚に似ていた。小説を読んでこのような体感を得たのははじめてだった。他に類のない作品であることは間違いない。

 島田潤一郎『古くてあたらしい仕事』(新潮社)は、三三歳で夏葉社という"ひとり出版社"を立ち上げた著者がそのいきさつを語りながら、本を作ることや働くということ、ひいては生きることへの本質的な思いを、体温の感じられる言葉で誠実につづった一冊だ。

〈一冊の本が人生を救うというようなことはないのかもしれない。/叔父と話していると、そんなふうに思う。/でも、ぼくにはきっと、なにかできることがある。ぼくにしかできないことがある。毎日、そんなことを考えながら、仕事をしていた。〉

 書店員として店頭に立ち、大量の本の渦に飲みこまれそうになる日々のなかで、著者のまっすぐな言葉が水のようにしみわたる。わたしにしかできないことがあると、わたしも思いたい。

 神野紗希『女の俳句』(ふらんす堂)は、女性が詠んだ句ではなく、女性"を"詠んだ句を集めた一冊。五七五の詩型は女をどう切り取ってきたか、題材ごとに浮き彫りにする、興味深い試みの一冊。書店員としては俳句の棚だけでなく、社会問題あるいはフェミニズムの棚にも差してみたい。

(本の雑誌 2020年2月号掲載)

« 前のページ | 次のページ »

●書評担当者● 大塚真祐子

東京郊外の書店での勤務を経て、2006年より三省堂書店で勤務。人文書、文芸書などを担当。

大塚真祐子 記事一覧 »