麻薬戦争三部作完結編『ザ・ボーダー』を読むべし!

文=小財満

  • ザ・ボーダー 上 (ハーパーBOOKS)
  • 『ザ・ボーダー 上 (ハーパーBOOKS)』
    ドン ウィンズロウ,田口 俊樹
    ハーパーコリンズ・ ジャパン
    1,426円(税込)
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  • ザ・ボーダー 下 (ハーパーBOOKS)
  • 『ザ・ボーダー 下 (ハーパーBOOKS)』
    ドン ウィンズロウ,田口 俊樹
    ハーパーコリンズ・ ジャパン
    1,456円(税込)
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  • ダラスの赤い髪 (ハヤカワ・ミステリ文庫)
  • 『ダラスの赤い髪 (ハヤカワ・ミステリ文庫)』
    キャスリーン ケント,府川 由美恵
    早川書房
    1,232円(税込)
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  • 危険な弁護士 (上) (新潮文庫)
  • 『危険な弁護士 (上) (新潮文庫)』
    グリシャム,ジョン,朗, 白石
    新潮社
    781円(税込)
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  • 危険な弁護士 (下) (新潮文庫)
  • 『危険な弁護士 (下) (新潮文庫)』
    グリシャム,ジョン,朗, 白石
    新潮社
    781円(税込)
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  • ケイトが恐れるすべて (創元推理文庫)
  • 『ケイトが恐れるすべて (創元推理文庫)』
    ピーター・スワンソン,務台 夏子
    東京創元社
    1,210円(税込)
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 今月読むべきはなにをおいても巨匠ドン・ウィンズロウの最新作『ザ・ボーダー』(田口俊樹訳/ハーパーBOOKS)だろう。DEA(米国麻薬取締局)の捜査官アート・ケラーを主人公に麻薬戦争の歴史を描いてきた『犬の力』『ザ・カルテル』に続く大河小説三部作の最終巻だ。

 シナロア・カルテルの主、麻薬王アダン・バレーラの不在はメキシコをさらなる混沌へと導いた。遺言書上の後継者、アダンの息子たち、そしてシナロア・カルテルのライバルとなる数々の麻薬組織。その勢力図が変わるたびに暴力の連鎖に拍車がかかる中、ケラーは上院議員に請われDEAの長官に就任することに。ヘロインの流入を止めるため、アメリカ国内の麻薬マネーの動きを掴もうとした結果、ケラーは想定以上の巨悪を探り当ててしまう。

 ウィンズロウは物語の力を借り、麻薬戦争の精細な取材を通して持つようになった信条を読者に語りかける。すなわち前二作でのアート・ケラーの行動=DEAが行ってきた対中南米政策は火に油を注ぐ行為であり、解決策は米国内の麻薬合法化によってその希少価値を損じ、メキシコへの資金の流れを断つことだと。そしておそらく作者が本作を書く大きな動機となったのは多くの人に差別主義者でポピュリストだと目されている現在の米国大統領の存在だろう。国境に壁を作ることに代表される排外主義の害悪を描きながら、選挙スキャンダルにも触れ、ウィンズロウは作中で現政権を痛烈に批判してみせる。そう、前二作と同様、作者を執筆へと突き動かしているのは、現実世界への「怒り」なのだ。麻薬戦争で数多の罪なき人が死に、排外主義の旗のもとに虐げられる人々が存在することへの。だからこそ本作で多く描かれるのは学生活動家、麻薬中毒患者、そして未成年不法移民といった弱者の姿だ。アート・ケラーの長い旅路の果てにたどり着いた、間違いなく我々の世界と地続きである麻薬戦争の「今」の姿をぜひ多くの読者に体感してほしい。

 麻薬を扱った作品が続くが、南部テキサス州の州警麻薬捜査課の警部を主人公にしたキャスリーン・ケント『ダラスの赤い髪』(府川由美恵訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)も印象深い一作だ。

 ニューヨーク市警を退職し、テキサス州ダラスで麻薬捜査課の指揮官として班を率いる刑事ベティは、監視対象だった売人が目の前で市民を巻き込み何者かに射殺される事態を許してしまう。手がかりを追い売人の恋人で娼婦のラナ・ユーを追い詰めるベティだったがある日、当のラナ・ユーが死体で発見される。その喉を大きく切り裂かれた死体は、両耳と髪の一部が切除された奇妙なものだった。

 北部出身のベティが南部テキサス州で生活するという点での文化的衝突と、主人公のマイノリティ性が本作の読みどころだ。マチズモ的な警察組織にあって女性という少数派であり、福音派を含む信心深いキリスト教徒が多数をしめるテキサスにあって同性愛者である事実を隠さない。その主人公のマイノリティ性、孤立した人物像がゆえに、秩序側に属する主人公ながら物語はハードボイルドの趣を帯びている。本作が扱う事件もまた麻薬と続発する銃乱射事件、そして憎悪犯罪に苦しむ現在の米国を象徴するかのような、ある意味南部らしい事件であり、トランプ政権下で移民をはじめとするマイノリティが抑圧を受け始めている事実に呼応した物語と見てよいだろう。本国では本作のシリーズ化が進んでいるようで次作も期待して待ちたい。

 法廷ミステリの巨匠ジョン・グリシャムの新作『危険な弁護士』(白石朗訳/新潮文庫)は作者には珍しく"無頼の弁護士"を主人公にした連作的な作りの一作だ。

"だれも見つからなければセバスチャン・ラッドに電話をかけろ"そう法曹関係者間で囁かれる、悪名高い容疑者ばかりを相手に弁護士稼業を営む男ラッド。彼の依頼人は幼女二人を殺害したとされる少年、理不尽なSWATの突入で妻を亡くした無実の夫、レフェリーを撲殺した格闘技選手などなど。彼はある被疑者の弁護を引き受けたことで市警副所長の娘である妊婦の誘拐事件に巻き込まれるが。

 逮捕された時点で社会的制裁を受けがちな容疑者たちを守れるのは、弁護士のみ。斜に構えた人物ながら、本作の主人公は犯罪が証明され判決が出るまでは有罪ではない(無論、無実の可能性もあるため)という推定無罪の原則の正しさを改めて読者へと呈示する。元妻といがみあいをしつつ息子を溺愛、しかし美人には心惹かれ......という主人公のキャラクターも意外に嫌味がなくてキュートだ。

 ピーター・スワンソン『ケイトが恐れるすべて』(務台夏子訳/創元推理文庫)はパトリシア・ハイスミスやマーガレット・ミラーを思わせる、信頼できない語り手の技巧と、複数の人物の視点から事態を描くことで全く異なる景色を見せる技術がフルに活用されたサスペンスの傑作だ。ボストンに住む又従兄と一時的に部屋を交換し留学するロンドン在住の主人公の女性が、ボストンの家に着いた途端、家の隣人の死体が発見されたことからそこに住む住人たち、果ては距離を隔てたロンドンにいる又従兄までを疑い始める、という筋。この主人公の過去の恋人が異常な人物だったことに由来する神経質な気性が凄まじく、読者の不安を煽りに煽る。だがそこに終わらず中盤からある人物の過去を語りはじめてからが本作の真骨頂。万華鏡のように景色を変え、事態は悪い方へと転がっていく。結末や(ある意味での)犯人は中盤である程度は読者は予想できるだろうが、物語の運び方が新鮮で展開と構成に驚かされること請け合いだ。

(本の雑誌 2019年10月号掲載)

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●書評担当者● 小財満

1984年、福岡県生まれ。慶應義塾大学卒。在学中は推理小説同好会に所属。ミステリ・サブカルチャーの書評を中心に執筆活動を行う。

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