時代の空気感を映し出す現代英国ミステリの女王のサスペンス

文=小財満

  • カメレオンの影 (創元推理文庫)
  • 『カメレオンの影 (創元推理文庫)』
    ミネット・ウォルターズ,成川 裕子
    東京創元社
    1,540円(税込)
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  • レッド・メタル作戦発動 上 (ハヤカワ文庫 NV ク 21-13)
  • 『レッド・メタル作戦発動 上 (ハヤカワ文庫 NV ク 21-13)』
    マーク・グリーニー,H・リプリー・ローリングス四世,伏見 威蕃
    早川書房
    1,078円(税込)
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  • レッド・メタル作戦発動 下 (ハヤカワ文庫 NV ク 21-14)
  • 『レッド・メタル作戦発動 下 (ハヤカワ文庫 NV ク 21-14)』
    マーク・グリーニー,H・リプリー・ローリングス四世,伏見 威蕃
    早川書房
    1,078円(税込)
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  • 隠れ家の女 (集英社文庫)
  • 『隠れ家の女 (集英社文庫)』
    ダン・フェスパーマン,東野 さやか
    集英社
    1,540円(税込)
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  • 七つの墓碑 (ハヤカワ文庫NV)
  • 『七つの墓碑 (ハヤカワ文庫NV)』
    De Amicis,Igor,デ・アミーチス,イーゴル,由貴子, 清水
    早川書房
    1,298円(税込)
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〈現代英国ミステリの女王〉と称されるミネット・ウォルターズの長篇第十二作、二〇〇七年発表の『カメレオンの影』(成川裕子訳/創元推理文庫)が邦訳となった。『蛇の形』以降、二〇〇〇年代の作者の作品は謎解きを通して英国の社会を描き出すという点でどの作品も非常に優れているが、本作も当時の英国の社会問題となっていたイラク戦争の帰還兵を扱った作品だ。

 二〇〇六年十一月。フセイン政権崩壊後、イラクで米軍とともに治安維持活動を行う英国軍陸軍中尉チャールズ・アクランドは、対戦車地雷によって任務中に部下を亡くし、自らも顔面、眼球を含む身体中に一生消えない傷痕を負い英国へと帰還することとなった。アクランドは外交的という以前の彼の評判からは考えられないほど粗暴な振る舞いをするようになり、特に女性に対し嫌悪を示すように。そして除隊したアクランドが滞在するロンドンでは、以前から元軍人を狙ったと思しき連続殺人が起きていた。アクランドはある暴行事件の参考人になったことから、警察に連続殺人の犯人ではないかと疑われるが。

 たとえば『遮断地区』でロンドンのスラム化する郊外型団地を克明に描きだしたように、ミネット・ウォルターズの作品は時代の空気感を映し出す。本作が書かれたのは、サミュエル・L・ジャクソン主演の映画『勇者たちの戦場』でも描かれたようにイラク戦争帰還兵のPTSDが問題となっていた時期だ。本作の題名である『カメレオンの影』は主人公であるアクランドの性格を示すものでもあるが、アクランドのように国のために戦ったにもかかわらず疎外されてしまう帰還兵をはじめ、本作に登場するアウトサイダーとも言うべき社会の影の部分になる人々、すなわち、ホームレス、ゲイ・コミュニティ、売春婦たち、そして殺人の被害者となった独居老人を示すものとも言える。もちろん本作は連続殺人の犯人捜しが大きなテーマだが、精神科医のカルテ・手紙や刑事の報告書などを通じ、周囲の人間の目から描かれる不安定なアクランドが連続殺人の犯人なのか否かと最後まで読者の予断を許さないサスペンスの描き方も優れている。

〈暗殺者グレイマン〉シリーズのマーク・グリーニーがH・リプリー・ローリングス四世という元海兵隊中佐──イラク・アフガニスタンなどを転戦した海兵隊第5連隊第3大隊大隊長との共著でトム・クランシー型のハイテク軍事スリラーを書いたんだよ、と言われたら......それは読まねばならんでしょう。そしてこれが文庫で上下巻、合計千ページ超えという大作なのだが、そこはマーク・グリーニー。手に汗を握る展開でまったく読者を飽きさせない。というわけでグリーニー、二〇一九年発表の新作、『レッド・メタル作戦発動』(伏見威蕃訳/ハヤカワ文庫NV)だ。

 緊張が高まる中国・台湾関係と、米軍内の性的スキャンダルによる混乱に乗じ、アフリカのレアアース鉱山を狙うロシア軍が極秘作戦〈レッド・メタル作戦〉を発動させた。米軍統合参謀本部のコナリー中佐は欧州を経由しアフリカを狙うロシア軍を阻むことができるのか。

 米軍の陸海空軍、海兵隊の上官たちとパイロット、NATO軍、ポーランド軍、そして敵役となるロシア軍など場所、場面の異なる十人以上の人物の視点をかわるがわる描いているが、群像劇としてよくまとめられている点は感服させられる。そしてその実、本作はリチャード・スターク〈悪党パーカー〉シリーズのような、ある意味でのゲーム小説の趣もある。つまり敵役であるロシア軍の精鋭機甲部隊が強すぎるのだ。〈悪党パーカー〉の後半が主人公ではなく、敵側からの視点で描かれることによって読者がパーカーの動向に一喜一憂したように、小規模ながら精鋭のロシア軍の動きや意図を先に描くことで、コナリー中佐が率いる米軍、NATO軍がロシア軍の仕掛ける攻撃と罠、数々の危機をどのようにくぐり抜けるかという点を読者が最大限楽しめる描かれ方になっている。新世代の冒険小説として強くお勧めしたい一作だ。

 二〇一九年バリー賞最優秀スリラー賞受賞、ダン・フェスパーマン『隠れ家の女』(東野さやか訳/集英社文庫)は殺人事件を発端に素人がエスピオナージに巻き込まれる形のスパイ小説。作者の邦訳はデビュー作の『闇に横たわれ』から二十年ぶりだ。主人公の女性アンナの現代アメリカを描くパートと、彼女の母親ヘレンが若かりし日にCIA職員として過ごした冷戦下のベルリンが交互に描かれる。アンナのパートでは障碍をもつ弟が両親を銃殺したという事件の謎を追うのだが、これが〈隠れ家〉で起きた事件を目撃する母親のパートとどのようにリンクするのかという興味で最後まで引っ張られる。アイデアに対して物語が長大すぎる点は否めないが、諜報史の史実を交えた作りもあいまってスパイ活動の、真実がどこにあるのかが見えてこない奥深さを感じられる力作だ。

 二月の刊行で新刊とは言えないがイタリア発の犯罪小説イーゴル・デ・アミーチス『七つの墓碑』(清水由貴子訳/ハヤカワ文庫NV)が刺激的な作品だったためご紹介。二十年の服役を終えたばかりの元マフィアの男ミケーレが、ミケーレを含む七人の犯罪者たちに暗殺予告を出した謎の連続殺人犯〈墓掘り男〉と対決するまでを描くロード・ムービー的な怪作だ。実質的なデビュー作とあってストーリー・テリングに粗い部分もあるが、登場人物たちの殺伐とした数々の犯罪を描いているにもかかわらず、ミケーレの行動はなぜか晴れた夏の日の空のような謎の爽快感がある。言葉少なで古典小説を好む内省的な主人公像も面白い。

(本の雑誌 2020年7月号掲載)

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●書評担当者● 小財満

1984年、福岡県生まれ。慶應義塾大学卒。在学中は推理小説同好会に所属。ミステリ・サブカルチャーの書評を中心に執筆活動を行う。

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