『指差す標識の事例』は珠玉の歴史ミステリーだ!

文=小財満

  • 指差す標識の事例 上 (創元推理文庫)
  • 『指差す標識の事例 上 (創元推理文庫)』
    イーアン・ペアーズ,池 央耿,東江 一紀,宮脇 孝雄,日暮 雅通
    東京創元社
    1,386円(税込)
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  • 指差す標識の事例 下 (創元推理文庫)
  • 『指差す標識の事例 下 (創元推理文庫)』
    イーアン・ペアーズ,池 央耿,東江 一紀,宮脇 孝雄,日暮 雅通
    東京創元社
    1,386円(税込)
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  • 死亡通知書 暗黒者 (ハヤカワ・ミステリ)
  • 『死亡通知書 暗黒者 (ハヤカワ・ミステリ)』
    周 浩暉,稲村 文吾
    早川書房
    1,980円(税込)
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  • 葬られた勲章(上) (講談社文庫)
  • 『葬られた勲章(上) (講談社文庫)』
    リー・チャイルド,青木 創
    講談社
    1,100円(税込)
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  • 葬られた勲章(下) (講談社文庫)
  • 『葬られた勲章(下) (講談社文庫)』
    リー・チャイルド,青木 創
    講談社
    1,100円(税込)
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  • 殺人七不思議 (名探偵「オーウェン・バーンズ」シリーズ)
  • 『殺人七不思議 (名探偵「オーウェン・バーンズ」シリーズ)』
    Halter,Paul,アルテ,ポール,敦, 平岡
    行舟文化
    1,815円(税込)
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  • 噂 殺人者のひそむ町 (集英社文庫)
  • 『噂 殺人者のひそむ町 (集英社文庫)』
    レスリー・カラ,北野 寿美枝
    集英社
    1,155円(税込)
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 八月、九月は年末のランキング本に向けて翻訳ミステリも点数が多いが、そんな中で今月の一冊目は一九九七年発表の歴史ミステリの傑作、イーアン・ペアーズ『指差す標識の事例』(池央耿・東江一紀・宮脇孝雄・日暮雅通訳/創元推理文庫)。一六六三年の英国を舞台にした歴史ミステリ小説であり、四つの章が四人の主人公の手記として描かれている作品だ。オックスフォード大学で起きた毒殺殺人事件と、サラという女性がその毒殺の容疑者として裁判にかけられる顛末を四人の各々の目線から描いているのだが、微妙に自分の都合や視点によってそれぞれ描写に食い違いがあるのだ。章が変わるごとに事件の様相がアップデートされていき、四つの章を通して読むことによって当日起こっていた驚くべき真相や、それに至る歴史的背景が理解できるという作りになっている。

 四人の主人公がヴェネツィア人医学生、王党派の裏切り者という亡き父の汚名を雪ぐために暗躍する法学徒、暗号解読の達人として国王のために働く幾何学教授、そして歴史家と、当時の知識人を主人公にしており、また大学の街という舞台もあり、衒学的な雰囲気も本作の愉しみだ。砒素や水銀が薬として扱われ、輸血が実現していない時代の医学や占星術、そしてクロムウェル独裁から王政復古期の政治的な不安定さからくる国際謀略。それらが渾然一体となった末に明かされる真実は本作が歴史ミステリという形体をとった必然のあるもの、という意味で全く古びない珠玉の逸品だ。

 二〇〇八年発表の『死亡通知書 暗黒者』(周浩暉/稲村文吾訳/ハヤカワ・ミステリ一)は華文(中国語圏)エンタテインメント・ミステリの大本命とも言うべき作品である。本作から始まる〈死亡通知書〉シリーズの第一作で、サンデー・タイムズ誌のミステリ百選にも選ばれるなど英語圏での評価も高く、さらには中国国内では連作ドラマ化され総再生数は二十四億回(!)という。

 復讐の女神〈エウメニデス〉の名による〈死亡通知書〉と、その予告によって起こる連続殺人。省都警察に集まった専従班の面々をあざ笑うかのように殺されていく被害者たちには、過去に罪を犯すも裁かれていない共通点があった。龍州市の刑事羅飛は〈エウメニデス〉が十八年前に起こした事件と個人的な因縁があったために専従班に参加するが。

 犯人側が全知全能の超人すぎて、結局どうやってそんなこと知ったんだ、とツッコミたくなる部分は多いが、それが気にならないほどに展開の目まぐるしさと事件のケレン味に振り回される。予告殺人という派手さから大味な作品かと思いきや、十八年前の事件の謎が現在の事件に通じている様など伏線も実に丁寧だ。

 ジャック・リーチャーを主人公にしたシリーズの第十三作、二〇〇九年発表のリー・チャイルド『葬られた勲章』(青木創訳/講談社文庫)が邦訳となった。本作ではニューヨークの地下鉄に乗るリーチャーの目の前でスーザンという女性が銃で自殺したところから物語が始まる。己が女性を刺激し自殺に追い込んだかもしれないという罪悪感もあり、リーチャーは彼女の自殺の真相を追う。そんな彼の前に謎の男たちが立ちはだかり、リーチャーはスーザンが遺したというメモリースティックの在り処や、ライラ・ホスという女性の名前に聞き覚えがないかなど尋問を受けることに。事件の背後には、副大統領候補と目される議員サンソムの過去が関係しているらしいのだが。

 陰謀に巻き込まれ、孤軍奮闘するリーチャーという構図はシリーズに共通するものだが、9・11以降の安全保障を題目に対テロ戦争を始めた米国にあって、元憲兵というリーチャーが周囲からは一貫してロートル扱いなのが本作の特徴だろうか。そんなリーチャーが何重にも積まれた謎を丁寧に解決していく名推理、そして溜まったフラストレーションを発散するように挿入されるアクションと、双方のバランスが高いレベルで結実した中期の代表作と言える作品だ。

 フランス人作家ポール・アルテのオーウェン・バーンズを主人公にしたシリーズで、一九九七年発表の作品『殺人七不思議』(平岡敦訳/行舟文化)は、古代世界の七不思議(ピラミッドなどの古代建造物)をモチーフにした予告連続殺人事件を相手に名探偵オーウェン・バーンズと相棒のアキレスが奮闘する謎解きミステリだ。次々と起こる不可能犯罪、警察に送られてくる暗号付きの予告状と、J・D・カーの後継を自任する作者らしい作品といえる。七つもの謎を一つの作品に詰め込んだ贅沢な作りの作品で、その過剰さに清涼院流水『コズミック』を連想するのは筆者だけだろうか。冒頭に語られる「愛」にまつわる一文が作品に通底するテーマになっており、その一文があるゆえに謎解きが終わった後に読者に提示される情景は残酷なれど美しい。

 英国人の作家レスリー・カラのデビュー作『噂 殺人者のひそむ町』(北野寿美枝訳/集英社文庫)は、少女時代に子どもを殺した殺人者が名前を変えて自分たちの住むロンドン近郊の小さな町に住んでいるらしい......という噂を、軽率にも広めてしまった主人公の女性が、その後とんでもない事態に巻き込まれていくサスペンスだ。噂のひとり歩きが主人公や周囲にも害を及ぼしはじめる、というところまではよくある展開だが、その後、主人公から見えている情景を何重にもひっくり返してみせる豪腕はお見事。小さな町で殺人者を探すコージー/ドメスティック・ミステリ的な冒頭からは予想もつかない境地へと読者を連れ去る逸品。最後の一行まで油断禁物だ。

(本の雑誌 2020年11月号掲載)

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●書評担当者● 小財満

1984年、福岡県生まれ。慶應義塾大学卒。在学中は推理小説同好会に所属。ミステリ・サブカルチャーの書評を中心に執筆活動を行う。

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