小役人が頑張る佐藤亜紀『黄金列車』を推す!

文=千街晶之

  • 潮首岬(しおくびみさき)に郭公(かっこう)の鳴く
  • 『潮首岬(しおくびみさき)に郭公(かっこう)の鳴く』
    平石貴樹
    光文社
    1,980円(税込)
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 第二次世界大戦における東欧諸国というと、ポーランドやユーゴスラビアがナチスの侵攻を受けたことは知られているけれども、ハンガリーは何をしていたかと言われると大抵の日本人は「はて?」と首を傾げるのではないだろうか。実はハンガリーは、日独伊三国同盟に参加していた枢軸国だった。佐藤亜紀『黄金列車』(KADOKAWA)は、大戦末期のハンガリーが舞台。大蔵省の官吏バログたちは、ユダヤ人から没収した財産を列車で移送する任務を引き受けざるを得なくなる。同盟国ドイツの敗色は明白、ソ連軍が刻々と迫り、脱走兵などが財産を狙って手ぐすねを引いている中、バログたちは任務を全うできるのか。

 著者の前作『スウィングしなけりゃ意味がない』がナチスに対する若者たちの軽やかな反抗を描いていたのに対し、本書の主人公たちは小役人で、一見ヒロイックさとは無縁である。だが、そんな彼らが、ならず者の乱入や貴族の我が儘といった厄介な事態に対し、役人の論理を武器に対処してゆくところに本書の妙味があるのだ。

 バログが妻を亡くして間もないことは冒頭一行目に記されているし、ヴァイスラーというユダヤ人の友人にまつわる出来事にバログが関わったことも早い時点で言及されるけれども、その具体的な内容は伏せられている。この妻と友人についての回想が現在進行形の出来事と並行して描かれるのだが、最後まで読むと、バログがどんな思いでユダヤ人の財産を守る任務に就いていたのかが浮かび上がり、深い感慨にうたれる筈だ。滑稽で計算高くて、同時に気高くもあり得る人間という存在を、センセーショナルさを排した筆致で綴ってみせた傑作である。

 次に紹介するのも西欧歴史小説だが、時代はぐんと遡って一三世紀半ば。川添愛『聖者のかけら』(新潮社二七○○円)は、言語学者である著者の初めてのミステリ小説だ。堅物の修道士ベネディクトは、聖遺物とされる骨が誰のものかを突きとめるよう院長から命じられた。旅に出た彼は、ある村でピエトロという助祭に出会う。最初はピエトロの俗物ぶりを厭うベネディクトだったが、やがて信頼が芽生えてゆく。

 中世ヨーロッパのキリスト教各派の勢力争いが背景......と書くと敷居の高さを感じてしまう読者がいるかも知れないが、ベネディクト会とフランチェスコ会とドミニコ会の違いさえ押さえておけば大丈夫。本物の聖遺物に近づくと気を失ってしまうという特殊な体質の持ち主であるベネディクトと、聡明な快男児だが何やら思惑ありげなピエトロのコンビの前に、聖フランチェスコの遺体消失など数々の謎と揉め事が待ち受ける。信仰とは何かを問う物語であると同時に、世間知らずで教義に凝り固まっていた主人公の成長小説でもあり、帯の惹句で引き合いに出されているウンベルト・エーコの『薔薇の名前』よりずっとカジュアルな印象ながらも読み応えは充分だ。

 呉勝浩『スワン』(KADOKAWA)は、埼玉のショッピングモールでの無差別殺人から幕を開ける。冒頭、犯人視点の描写もあるが、犯人側の背景は本書ではどうでも良く、現場にいて生き残った側の物語がメインだ。そのうち数名の男女が、犠牲者となったある老女の死の状況を確認したいという人物の代理人に呼び集められる。その中には、被害者側でありながらある理由で世間にバッシングされた少女もいた。

 集められた男女は何らかの秘密を抱えている様子で、嘘のヴェールが剥ぎ取られるたびに新事実が暴かれてゆくのだが、そこから浮かび上がってくるのは、非常事態に巻き込まれたばかりに愚行に走ってしまった、善人でも悪人でもない普通の人間の哀しい姿だ。怒りをぶつける対象が見つからない時にスケープゴートを強引に仕立てる世論の冷酷さも描かれ、読者の胸を深く抉る。

 平石貴樹『潮首岬に郭公の鳴く』(光文社)は、函館の有力者・岩倉家の三女の失踪から開幕する。やがて発見された彼女の死体は、岩倉家にあった鷹の置物で頭部を殴られていた。被害者の祖父が主張する通り、芭蕉の短冊額が事件に関係しているのか。

 芭蕉の四つの句に見立てた連続殺人といえば、ミステリファンなら横溝正史の「あの名作」を想起するだろう。第二の犠牲者の死体が頭にセイコーマートの袋をかぶせられているなど、北海道ならではの地方色が味わい深い。ただでさえ登場人物表にある名前が多いのにそれ以外にも事件関係者は出てくるし、舞台が二○一六年なのに書きぶりはいかにも昭和のミステリ調なので、読んでいていつの時代の話なのか困惑するところもあるものの、意外な犯人と、その人物が犯行に至った怨念の根深さが印象に残る。

 横溝正史オマージュをもう一冊。中山七里『人面瘡探偵』(小学館)の主人公・三津木六兵は、ちょっと小心な相続鑑定士。だが彼の右肩には、ジンさんと名づけられた喋る人面瘡が存在する。信州の山林王・本城家の当主が歿し、その資産を鑑定することになった六兵が、二束三文と思われた山林に新たな鉱物資源が埋まっていると告げた直後から、残忍な連続殺人が始まってしまう。

 時代背景は現代だが、舞台となる町は時代錯誤な家父長制に未だに支配されており、しかも住民たちの気質は無遠慮そのもので、葬儀の場でも遺族がそばにいようがいまいが関係なくあてこすり合戦や故人の悪口で盛り上がる。このような不快な環境では、ジンさんの容赦ない毒舌がいっそ爽快に感じられる。事件そのものはある意味お約束通りに進行するけれども、最後の一ページに待ち受ける衝撃には唖然とした。

(本の雑誌 2020年1月号掲載)

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●書評担当者● 千街晶之

1970年生まれ。ミステリ評論家。編著書に『幻視者のリアル』『読み出し
たら止まらない! 国内ミステリー マストリード100』『原作と映像の交叉光線』
『21世紀本格ミステリ映像大全』など。

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