幻惑に満ちた袋とじミステリ『鏡影劇場』を満喫!

文=古山裕樹

  • アウターQ 弱小Webマガジンの事件簿
  • 『アウターQ 弱小Webマガジンの事件簿』
    澤村伊智
    祥伝社
    1,650円(税込)
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  • 異常心理犯罪捜査官・氷膳莉花 怪物のささやき (メディアワークス文庫)
  • 『異常心理犯罪捜査官・氷膳莉花 怪物のささやき (メディアワークス文庫)』
    久住 四季
    KADOKAWA
    693円(税込)
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  • 姉さま河岸見世相談処 (ハヤカワ文庫 JA ジ 11-1 ハヤカワ時代ミステリ文庫)
  • 『姉さま河岸見世相談処 (ハヤカワ文庫 JA ジ 11-1 ハヤカワ時代ミステリ文庫)』
    志坂 圭
    早川書房
    836円(税込)
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 ミステリの分野では、巻末部分を袋とじにした作品が世に出ることがたまにある。

 封じられた部分を一度開いてしまったら、もう元には戻せない。切り開いてしまうには決心が必要だ。思わずハサミを入れてしまうくらいに読者の期待を高めて、封じられた結末で十分に満足させてほしい......

 読者の願いにしっかり応えてくれる袋とじミステリが、逢坂剛の『鏡影劇場』(新潮社)だ。

 日本人ギタリストがマドリードの古本屋で入手した楽譜の裏に記されていたのは、十九世紀ドイツの作家ホフマンの動向を追った何者かによる報告書。その解読を通じて、ホフマンの生涯の隠された部分に加えて、解読に関わる人々の奇妙な暗合も浮かび上がる。

 報告書を解読したい女性が、ドイツ語の翻訳を依頼した偏屈な学者の家に通って、原稿を少しずつ受け取って読む。その繰り返しが物語の多くを占める。ほぼそれだけの話なのに、報告書の内容に加え、関係者のちょっとした秘密も浮かび上がり、やがていくつもの謎が絡み合う複雑な迷宮へと発展する。

 特に派手な事件が起きることはないけれど、丁寧に構築された迷宮に読者を引きずり込んでくれる。本の形状が生み出す期待を裏切らない、幻惑される楽しさを満喫できる小説だ。

 幻惑されるといえば、井上雅彦『ファーブル君の妖精図鑑』(講談社)もかなりのもの。

 美大を中退して母の故郷で働くことにした真亜梨が出会ったのは、黒づくめの服装に、虫眼鏡と虫捕り網を持った奇妙な青年。彼のノートには、誰にも見えない奇妙な存在の観察記録が記されていた。偶然ノートを読んだ真亜梨はその記述に刺激され、〈妖精〉の姿を絵に描く。

 この二人の「記録する」「絵を描く」という行為が、いくつもの事件の真相を明らかにする連作短編集だ。幻想めいた存在を扱いながらも、謎解きそのものは現実を土台にしている。その構築はきわめて手が込んでいて、繊細なガラスの工芸品を連想させる。

 舞台となる彩野辺の町も、独特の輝きを放っている。日本の田舎にありそうなリアリティこそ薄いけれど、ファンタジーとミステリの境界に位置する物語の舞台として、ここにはないどこかにありそうな場所として、魅力あふれる土地だ。

 澤村伊智『アウターQ 弱小Webマガジンの事件簿』(祥伝社)も連作短編集だ。こちらはホラーとミステリの境界線上に位置している。

 Webマガジンのライターが奇怪な出来事を追って取材をするうちに、思いもしない結末にたどり着く。都市伝説めいた実話系怪談の衣の下にミステリをしのばせた作品だ。

 軽妙なタッチで気軽に読ませながら、やがて不穏な真相へと着地する。その瞬間のぞわぞわする感覚は、ホラーで実力を発揮している作者ならではのもの。ミステリとしてのカタルシスと、ホラーとしての衝撃が同時にやってくる。

 癖の強いスタッフ・ライター陣もさることながら、鋭い推理を披露する飲んだくれ地下アイドルのキャラクターが秀逸。彼女が主役の話も読みたくなってしまった。

 久住四季の『異常心理犯罪捜査官・氷膳莉花 怪物のささやき』(メディアワークス文庫)もまた、登場人物のその後を読みたくなる一冊。作者のこれまでの作品とは趣向を変えて、典型的な警察小説として幕を開ける。

 氷膳莉花は若手刑事。連続猟奇殺人の捜査中、極秘の命令を受けてある人物に接触する。阿良谷静。犯罪心理学の准教授でありながら、数々の凶悪犯罪に計画者として関与し、死刑判決を受けて収監されていた......。

 若い女性捜査官が収監中の天才犯罪者のアドバイスを得る展開は『羊たちの沈黙』を連想させるが、類似はそこまで。本書に仕掛けられた驚きの性質は全く異なる。そのインパクトの強さは、阿良谷という特異なキャラクターの印象を霞ませるほどの勢いがある。思い切った展開を見せる作品だ。この事件を経た彼女の物語の続きが書かれるなら、ぜひ手にとってみたい。

 志坂圭の『姉さま河岸見世相談処』(ハヤカワ時代ミステリ文庫)は、主人公のキャラクターもさることながら、その語り口で読ませる物語だ。

 吉原でひとり見世を営む元花魁の七尾は、年齢不詳の美貌と気の強さと酒癖の悪さで知られているが、情に厚く、吉原ならではの相談事を引き受けては解決している。

 七尾が謎を解き明かす四篇の物語が収められている。ミステリとしての構築には粗いところもあるが、肩の力の抜けた七尾の人物像と、独特の語り口に乗って、おおらかな気持ちで味わいたい。軽妙で楽しい一冊。

 一方、同じ時代小説でも、熱量で読ませるのが蝉谷めぐ実の『化け者心中』(KADOKAWA)。ミステリの枠組みを活用した物語だ。小説野性時代新人賞の受賞作だが、新人のものとは思えない迫力を備えている。

 六人の役者が台本の前読みに集まった夜。一人が鬼に食われたが、誰が食われたのかは分からない。鬼が、役者の誰かに成り代わっているのだ。足を失ったかつての名女形・魚之助と、足代わりとなる鳥屋・藤九郎のコンビが隠れた鬼を探り出す。

 芸にすべてを投じる役者たちの執念と弱さ。舞台に立つことのできない魚之助の心中に渦巻く情念。鬼探しを通じて、平凡な生き方からはみ出した者たちの心情が描かれる。鬼の正体を突き止めた先にも、異形としての役者の壮絶な生き方が浮かび上がる。鬼気迫る語りに圧倒される、読む者の精神を激しく揺さぶる物語だ。

(本の雑誌 2021年1月号掲載)

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●書評担当者● 古山裕樹

1973年生まれ。会社勤めの合間に、ミステリを中心に書評など書いています。『ミステリマガジン』などに執筆。

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