恩田陸『薔薇のなかの蛇』の破壊的な快楽に酔う

文=古山裕樹

  • 蝶として死す: 平家物語推理抄 (ミステリ・フロンティア 108)
  • 『蝶として死す: 平家物語推理抄 (ミステリ・フロンティア 108)』
    羽生 飛鳥
    東京創元社
    1,980円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

 水野理瀬が初めて読者の前に姿を見せたのは、『三月は深き紅の淵を』だった。ただ、これは特異なつくりの小説なので、彼女が初めて主役を務めた作品としては『麦の海に沈む果実』をあげるべきだろう。その後、『黄昏の百合の骨』にも登場。その濃密なストーリーはもちろん、物語と不可分な彼女のキャラクターが鮮やかな二作だ。

 それから17年。理瀬が再び現れた。恩田陸の『薔薇のなかの蛇』(講談社)は、久々のシリーズ最新作である。

 英国の政治・経済に影響力を持つレミントン家。「ブラックローズハウス」と呼ばれる屋敷に一族が集まり、その友人・知人たちも招待される。一族の娘アリスは、友人の留学生リセ・ミズノを招いていた。折しも、屋敷の近くで殺人事件が起きる。死体は首と両手首が切り取られ、胴体が真っ二つに切断され、古代の祭壇跡に載せられていた。さらに一族への脅迫状が届き、屋敷では新たな事件が......。

 貴族の屋敷で連続する陰惨な事件。屋敷そのものに隠された秘密。表層のストーリーは、イギリスの古典的なミステリを思わせる。

 水野理瀬が登場する過去の二作を読んだ方は、本書に戸惑うことだろう。過去の作品と異なり、本書では彼女自身の視点から描かれる場面はごくわずかしかないからだ。ほとんどの場面で、彼女は外側から描写される。彼女の生い立ちも過去も知らない、レミントン一族の人物の視点から。

 だからこそ、彼女の特異な個性が浮かび上がる限られた場面が、強く印象に残る。典型的な英国ミステリ風の空気を断ち切ってしまう、破壊的な快楽。

 前二作に比べればあっさりした物語に見えるものの、彼女の特異なキャラクターが生きた作品であることに変わりはない。

 こちらもシリーズの最新作。大倉崇裕『冬華』(祥伝社)は、『凍雨』『夏雷』『秋霧』に続く、元自衛隊特殊部隊員の深江と、便利屋の倉持が活躍する、山を舞台にした冒険アクションだ。

 深江が姿を消した。その行方を探す倉持の前に、さっそく妨害が立ちはだかる。わずかな手がかりと協力者の力を借りて、倉持は冬の穂高連峰へと向かう。

 一方、山奥で一人暮らしを営む猟師の植草は、ある男の訪問を受ける。彼の銃の腕を見込んだという男は、彼に人を撃ってほしいと依頼した......。

 ストーリー展開はいたってシンプル。倉持による深江の行方の探索も、猟師を雇った者の思惑が明らかになる過程も、すべて山での戦いに向かって収束していく。死闘が待ち受ける穂高に向けて期待を盛り上げ、全く裏切ることなくクライマックスを描いてみせる。

 老練な猟師と、元特殊部隊の男の繰り広げる、互いの思惑の探り合いと駆け引きで読ませる物語だ。冬山の過酷な環境が、勝負の緊張をさらに高める。

 死闘の後のあっさりした幕切れも記憶に残る。研ぎ澄まされたアクションものとしておすすめしたい。

 羽生飛鳥の『蝶として死す 平家物語推理抄』(東京創元社)は、平清盛の異母弟・平頼盛を主人公に、彼が謎を解き、権力抗争の中を生き延びるさまを描いている。

 首のない武者の死体が五つ。その中から、木曾義仲の恩人である斎藤実盛の亡骸を判別せよ──という、第十五回ミステリーズ!新人賞受賞作「屍実盛」をはじめとする五つの短編で、平家一門が栄華を極めた時代から、壇ノ浦の戦いを経て、鎌倉幕府が支配を確立するまでの年月を描いてみせる。

 主人公の選定がいい。平家の中で微妙な立場にあり、やがて源氏の世まで生き永らえた人物の政治的な綱渡りが、ミステリという枠組みで語られる。平清盛、木曾義仲、源頼朝、北条時政といった、権力者たちがもたらす難題を解くことが、自身と一族のサバイバルに直結する。謎解きそのものは軽量だが、その意味がもたらす緊張が忘れがたい。題名の意味が浮かび上がる結末も、独特の余韻を残す。

 職場での新入社員の受け入れに頭を悩ませている方もいらっしゃるかもしれない。松嶋智左の『匣の人』(光文社)の主人公も、若手の扱いに悩む一人だ。

 ある事情で刑事課から交番勤務に異動した貴衣子。部下に配属された新米警官の里志はとらえどころのない性格で、彼女を困惑させる。大事件など起きない平穏な町で、技能実習生が殺される事件が起き、里志の性格も災いして、彼にある疑いがかけられる。貴衣子は部下の汚名をすすごうとするが......。

 事件そのものは小粒なのだけど、その転がし方が実に巧妙。殺人事件以外にも、外国人の技能実習生に関するトラブル、老人の徘徊と、小さな町の抱えた多彩な問題を絡めて描き出す。それぞれに困難を抱えた人々がちょっとした救いを得る畳み方も、温かい読後感を残す。

 潮谷験『スイッチ 悪意の実験』(講談社)は、メフィスト賞受賞による著者のデビュー作。

 学生たちが引き受けた奇妙なアルバイト。スマートフォンのアプリのスイッチを押すだけで、自分たちと無関係なある家族が破滅するという。だが、スイッチを押しても押さなくても、一ヶ月後には百万円が渡される。わざわざスイッチを押す者などいないと思われたが......。

 この状況から、思いも寄らないできごとが重なって、意外な過去が浮かび上がり、物語は全く予想外の方向へと転がっていく。アルバイトの依頼者が語る「純粋な悪」についての思索も印象深い。

 展開はやや強引に感じるところもあったけれど、混乱の極みに達した状況をきれいに収束させる腕前が見事。今後の作品にも期待したい。

(本の雑誌 2021年7月号掲載)

« 前のページ | 次のページ »

●書評担当者● 古山裕樹

1973年生まれ。会社勤めの合間に、ミステリを中心に書評など書いています。『ミステリマガジン』などに執筆。

古山裕樹 記事一覧 »