多角的な視点で考察する『幻覚剤は役に立つのか』

文=冬木糸一

  • 幻覚剤は役に立つのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズIII-10)
  • 『幻覚剤は役に立つのか (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズIII-10)』
    マイケル・ポーラン,宮﨑 真紀
    亜紀書房
    3,520円(税込)
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  • 絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか
  • 『絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか』
    アビジット・V・バナジー,エステル・デュフロ,村井 章子
    日本経済新聞出版
    2,640円(税込)
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  • スーパーナチュラル・ウォー  第一次世界大戦と驚異のオカルト・魔術・民間信仰
  • 『スーパーナチュラル・ウォー 第一次世界大戦と驚異のオカルト・魔術・民間信仰』
    オーウェン・デイヴィス,江口 之隆
    ヒカルランド
    3,520円(税込)
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  • イスラエル諜報機関 暗殺作戦全史 上: 血塗られた諜報三機関
  • 『イスラエル諜報機関 暗殺作戦全史 上: 血塗られた諜報三機関』
    ロネン・バーグマン,山田 美明,長尾 莉紗,飯塚 久道,小谷 賢
    早川書房
    3,520円(税込)
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  • 性転師 「性転換ビジネス」に従事する日本人たち
  • 『性転師 「性転換ビジネス」に従事する日本人たち』
    伊藤 元輝
    柏書房
    1,760円(税込)
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 今回もかなりの大作揃い。まずご紹介したいのは、マイケル・ポーラン『幻覚剤は役に立つのか』(宮﨑真紀訳/亜紀書房)だ。実は近年、LSDなどの幻覚作用を持つ薬物が医療や意識の研究対象として注目を浴びている。たとえば、ガンの末期患者らに、精神的苦痛に対処するため、マジックマッシュルームの有効成分サイロシビンを投与した研究がある。その結果、被験者の多くがガンや死との向き合い方が変わり、中には死の恐怖が完全になくなったと話す人もいた。それ、一時的にラリってハッピーになっているだけでは、と疑問に思うのだが、長期にわたる調査でも死の恐怖が減じているとする研究結果が出てきている。

 幻覚剤を投与した時に人の脳内では何が起こっているのか。本書では、そうした神経科学的な理屈を紹介するだけでなく、著者自身もアングラガイドに依頼をして三種類の幻覚剤を体験し、それが彼自身の知覚にどのような影響を与えるのか、詳細なレポートを行っている。あまりに楽しそうにラリっているので、これを読んで幻覚剤に興味を持たずにいるのは難しい。

 うつ病などの精神疾患やガン患者に対する治療的意義だけではなく、大麻と同様に幻覚剤の使用も解禁されていく可能性はある。その時社会にどんな変化が起こり得るのかなど、多角的な視点から考察した一冊だ。

『絶望を希望に変える経済学 社会の重大問題をどう解決するか』(村井章子訳/日本経済新聞出版)は、二〇一九年にノーベル経済学賞を受賞したアビジット・V・バナジー、エステル・デュフロによるホットな経済ノンフィクション。今の経済学は市民に対する信頼性を欠いている。ではどうすれば経済学は信用を取り戻すことができるのか、どのような経済学こそが今真に求められているのか─と問いかけ、「移民は悪か?」や「いま世界で二極化が起こっているのはなぜなのか?」などの、説明するにはあまりに複雑すぎる問いかけに対する経済学の返答を、面倒臭がらずにしっかり説明していく試みの書である。明日の経済や社会政策は、人々の生活を脅かす要因を緩和するだけでなく、生活困難に陥った人々の尊厳を守ることを目標としなければならない、と「未来に希望を持つことができる」経済の在り方の模索を進めていく点も、まさに今求められている経済学だと思う。

 オーウェン・デイヴィス『スーパーナチュラル・ウォー 第一次世界大戦と驚異のオカルト・魔術・民間信仰』(江口之隆訳/ヒカルランド)は、現代ではその勢いを失いつつある魔術や占い、予言といったものが第一次世界大戦時にどのように機能していたかについて書かれた一冊である。当時、市中には占い師や心霊術師が溢れていたが、彼らはなにもペテンで金を稼いでいたというわけではなくて、悲しみにくれる遺族たちへの一種のセラピストのような役割を担っていた。戦場では、死人の靴や衣服を身につけるのはよくない、一本のマッチで三本の煙草に火を付けると三人のうち一人が死ぬなどの不運に関するまじないが蔓延していた。なぜそうした発想が生まれたのか、本書では超自然を通してこそ見える人間心理、社会文化のおもしろさを捉えていく。普段光の当たらない側面から、戦争に光を当ててみせた快作だ。

 戦争関連ということで続けて紹介したいのが、ロネン・バーグマン『イスラエル諜報機関 暗殺作戦全史 血塗られた諜報三機関』(山田美明・長尾莉紗・飯塚久道訳/早川書房)。その能力の高さで世界的に有名なイスラエルの諜報機関だが、本書はその成立過程から現代までの間にどのような作戦が遂行されてきたのかを赤裸々に明かす通史である。

 イスラエルがこれまで国として行ってきた暗殺作戦は二七〇〇件以上の膨大な数に上るとみられているが、それは偶然ではない。イスラエルは国の面積が小さく、建国前から周辺のアラブ諸国によって常にテロの脅威にさらされてきた。防衛に割く大規模な戦力もないままにそうした危険に晒され、国家として存続するために、強固な暗殺機構が必要とされたのだ。

 一九八〇年代から暗殺作戦にドローンが組み入れられていたこと、テロとの戦いが次第に自爆テロとの戦いになり、それに対抗するための暗殺のターゲットも変化してきたことなど、イスラエルが技術や手法の変化に柔軟に対応してきたことがよくわかる。また、こうした「暗殺が当然」という前提があることによって、どのような倫理的代償がはらわれたのかについてまで触れられている。まさに、「決定版」といえる一冊だ。

 伊藤元輝『性転師 「性転換ビジネス」に従事する日本人たち』(柏書房)は身体の性と自身の性認識が異なる、性同一性障害を持つ人を中心に、タイで「性別適合手術」を斡旋するアテンド業について書かれた一冊だ。性別適合手術では、たとえば男性から女性になるときに単にペニスを切り取るというだけではなく、性感もある膣を形成することができる(その逆もしかり)。日本では二〇〇四年からこうした手術を受ければ戸籍上の性別を変更できるようになり、毎年一〇〇〇人近くが法的性別を変更しているのだが、そのうちの半分以上がタイで手術を受けているのだ。これは、タイの方が技術力が高く、供給も多いからだという。

 せめて死ぬときだけは女性の体でいたいと語る七〇付近の女性に対する手術など、性別適合手術を受ける人々の苦悩や、性認識と適合した身体を得る喜びが存分に語られている。まだみぬ世界を知る楽しみと、実際に性同一性障害の方にとっては手法や値段など、現実的なガイドとしての情報が揃っている。

(本の雑誌 2020年8月号掲載)

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●書評担当者● 冬木糸一

SFマガジンにて海外SFレビュー、本の雑誌で新刊めったくたガイド(ノンフィクション)を連載しています。 honz執筆陣。ブログは『基本読書』 。

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