知らない世界の文学に分け入る傑作短篇集

文=林さかな

  • ポルトガル短篇小説傑作選 (現代ポルトガル文学選集)
  • 『ポルトガル短篇小説傑作選 (現代ポルトガル文学選集)』
    ズィンク,ルイ,直俊, 黒澤,Zink,Rui
    現代企画室 e託
    2,420円(税込)
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  • どこか、安心できる場所で:新しいイタリアの文学
  • 『どこか、安心できる場所で:新しいイタリアの文学』
    パオロ・コニェッティ,関口英子,橋本勝雄,アンドレア・ラオス,飯田亮介,中嶋浩郎,越前貴美子,粒良麻央
    国書刊行会
    2,640円(税込)
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  • アルテミオ・クルスの死 (岩波文庫)
  • 『アルテミオ・クルスの死 (岩波文庫)』
    Fuentes,Carlos,フエンテス,榮一, 木村
    岩波書店
    1,320円(税込)
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  • オーバーストーリー
  • 『オーバーストーリー』
    Powers,Richard,パワーズ,リチャード,善彦, 木原
    新潮社
    11,084円(税込)
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『ポルトガル短篇小説傑作選』(ルイ・ズィンク+黒澤直俊編/現代企画室)は質の高い正確な訳文で現代のポルトガル文学を紹介する企画で編まれたもの。十二の短篇を七人で翻訳している。ポルトガルのタイル、アズレージョの美しい装丁の本書は、文学を読む幸福に浸らせてくれる話ばかりだ。

「美容師」(イネス・ペドローザ/後藤恵訳)は美容師がお客さんに髪を切りながら自分の話をしている。一対一でまとまった時間を過ごす美容室は話しやすい場なのかもしれない。直接顔をあわすのではなく、鏡を通して会話するので、どちらかが聞き上手であれば、独り語りもしやすくなる。女性の美容師は、自分がどんな生い立ちなのかを語る。母親に「人を幸せにすれば、あなたも幸せになれるのよ」といわれ、おじから嫌がらせを受けても、悪い子にならないように怒らず声をたてないで泣く。それ以降も周りの邪魔になるようなことを避けて成長し、結婚しても同じようにしていた。マッシュポテトの水加減がきっかけで迎えるラストは「美容室」の場所がどこかを確信させる。

 ルイザ・コスタ・ゴメスの「犬の夢」(木下眞穂訳)は犬について考察している文章から始まるので、犬と暮らす話なのかと思いきや、そんな甘いところは一切なく、ただひたすらに犬について書かれた話。語り手の女性は犬など欲しくないと拒絶するも、他人の犬がよく目に入る。子どもの頃には犬を飼っていたことも思い出す。死んだ親友を悼んでいるときに野良犬と一瞬だけ関わり合い、親友の生まれ変わりだと思い込む。短い話の中に、存在感を放つのは最後に語られる犬。語り口がユニークで他の作品も読みたくなる吸引力を感じた。

 作家の小野正嗣氏が熱い序文を寄せている『どこか、安心できる場所で 新しいイタリアの文学』(パオロ・コニェッティ他/関口英子、橋本勝雄、アンドレア・ラオス編/国書刊行会)も、日本初紹介の作者が複数入っているイタリア短篇アンソロジー。

 二〇〇〇年以降に発表された作品という条件のもと、バラエティに富んだ十五の短篇が紹介されている。本書の目的のひとつは作品の魅力を伝えられる翻訳者も揃っていることを示すことにあり、男女同数の翻訳者が訳している。

 ミケーレ・マーリによる「ママの親戚」「虹彩と真珠母」(橋本勝雄訳)は強烈な印象を残す。「ママの親戚」は、子どもがママにお話をせがみ、ママは自分の親戚の話をする。その話のエピソードは『リア王』『ハムレット』『オセロ』を下敷きにしているのだが、ママの語りで聞く親戚話はひたすらに残酷でおどろおどろしく、けれど、子どもは夢中になって聞き、何度も話をせがみ、父親はそういう話を聞かせるなと窘めるのだが......。伝統文学のパスティーシュを得意とする作家の力量を感じて引きこまれた。

「虹彩と真珠母」は言葉や詩が好きな人にはたまらない話だ。恋文に書かれていた「虹彩」と「真珠母」の言葉が文章の中から抜き取られ、人に渡っていく。思いを伝える言葉として、十五年もの歳月を経てもたらされたその言葉は、最後に誰に届くのか。わずか四頁の物語の展開に目が離せなかった。

 どちらの本にも日本でまだ知られていない作品を質の高い翻訳で紹介する、作り手たちの熱い気持ちも伝わってくる。小野氏は序文で「海外の文学を読むときに僕たちをつき動かしているのは、他者への関心であり好奇心だ」と記している。読み手は、文学から海外の文化や歴史等の扉を開く鍵を渡される。知らない世界に分け入っていく楽しみがそこにはある。

 ラテンアメリカ文学『アルテミオ・クルスの死』(フエンテス/木村榮一訳/岩波文庫)は一九八五年新潮社から刊行されたものの文庫化だが、全面的な改訳が施されている。海外文学小説は値段の張るものが多いので、文庫で読めるのはありがたい。五百頁の大著を、移動の合間にも持ち歩いて読み進めたが、本を開くと、いつでもすぐにメキシコ世界に誘ってもらった。

 話はアルテミオ・クルスが死の間際にいる所から始まる。メキシコ革命の厳しい時を乗りこえ、経済界で成功した彼にいまや人生の終わりが刻々と近づいている。ベッドの周りに集まる親族や関係者らを観察しながら、長い時間を語るその時々にぴったりあう様々な文学的手法で、自らの人生を、動乱の歴史を物語る。

 社会的に成功していくためにクルスに起きる大きなできごとは、無論引きこまれるが、なんてことはないようにみえる家族どうしの会話に私は惹かれた。

 人の会話は一直線ではない。特に家族だとうまくキャッチボールのように話が進むのではなく、ふと心に浮かんだことを言葉に出してしまい、けれど、それはそれで次の話に広がっていくこともある。読み終わった長い物語はずっしりと心に残り、訳者による四十頁もの解説も充実している。

『オーバーストーリー』(リチャード・パワーズ/木原善彦訳/新潮社)は樹木の話なので、装丁も樹皮のように雰囲気をもち、年輪を思わせるような厚みのある一冊。

 根、幹、樹幹、種子の章に分かれており、まず、何かしらで樹木と縁をもつそれぞれ八人の話が語られる。彼らのつながりは最初はみえてこないので、独立した短篇のように楽しめ、幹の章から、彼らの交わりがみえてくる。ものいわぬ樹木だが、発するエネルギーで八人を動かす。長い年月を生きる「木(ツリー)」は「真実(トゥルース)」と語源が同じだという。だからなのか、大きな木に人は惹きつけられ、本書にも魅せられる。

(本の雑誌 2020年2月号掲載)

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●書評担当者● 林さかな

一九六七年北海道生まれ。カナダ、京都、名古屋で生活。いまは東北在住。好きな詩:エミリー・ディキンソン「真実をそっくり語りなさい、しかし斜めに語りなさい――」

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