カリン・スローター『暗闇のサラ』は生きるための戦いの物語だ

文=柿沼瑛子

  • 暗闇のサラ (ハーパーBOOKS)
  • 『暗闇のサラ (ハーパーBOOKS)』
    カリン スローター,鈴木 美朋
    ハーパーコリンズ・ジャパン
    1,480円(税込)
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  • ラストコールの殺人鬼 (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズⅣ)
  • 『ラストコールの殺人鬼 (亜紀書房翻訳ノンフィクション・シリーズⅣ)』
    イーロン・グリーン,村井 理子
    亜紀書房
    2,970円(税込)
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  • 受験生は謎解きに向かない (創元推理文庫)
  • 『受験生は謎解きに向かない (創元推理文庫)』
    ホリー・ジャクソン,服部 京子
    東京創元社
    880円(税込)
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  • アガサ・クリスティー とらえどころのないミステリの女王
  • 『アガサ・クリスティー とらえどころのないミステリの女王』
    ルーシー・ワースリー,大友 香奈子
    原書房
    3,520円(税込)
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 歴代大河の女性ヒロインを特集した番組を見ていたら『八重の桜』の名セリフ「ならぬことはならぬのです」が! あのドラマでは自らの信念を曲げず戦う女性の象徴として使われていたのだが、カリン・スローターの作品を読むたびにあのセリフがよみがえる。そしてウィルとサラが活躍するシリーズ最新作『暗闇のサラ』(鈴木美朋訳/ハーパーBOOKS)もまた「ならぬことはならぬのです」の物語なのであった。当直医のサラのもとにある夜十九歳の女性が搬送されてくるが、被害者は瀕死の重傷を負った上に暴行を受けていた。死にゆく女性から「あいつを止めて」という最期の言葉を託されたサラは、被害者の証人として裁判の証言台に立つことになるが、同時に十五年前に起こった自身のレイプ事件と直面しなければならなくなる。今回はウィルの同僚であるフェイスとサラの関係がとても良い。いつも疲れていて、公私ともに葛藤を抱えながら、目の前の難題も悩みもひたすら蹴散らしていく鉄火肌のフェイスだからこそ、サラもウィルにはいえないことがいえるのだ。たしかにカリン・スローターの作品は作者もいうとおり「女性に対する暴力をありのままに」描くことを主眼としているのだが、前作ノン・シリーズの『忘れられた少女』にしても、暴力を受けた女性がサバイバーとして生き延びていくことにより重きが置かれるようになってきたと思う。彼女たちに必要なのは生半可な同情や癒しでなく、生きるための戦いなのだ。それは冒頭シーンで文字どおり犠牲者の心臓をわしづかみしてマッサージを行うサラの鬼気迫る姿に凝縮されている。

 一九九一年から一九九三年にかけて、四人のゲイ男性のバラバラ死体がハイウェイ沿いのゴミ箱から発見され、いずれもマンハッタンの閉店間際のピアノバーから誘い出されて数時間に殺されていることから、犯人は「ラストコールの殺人鬼」と呼ばれるようになる。イーロン・グリーン『ラストコールの殺人鬼』(村井理子訳/亜紀書房)の舞台となる一九九〇年代アメリカは保守政権下でエイズが蔓延し、エイズはゲイだけの疫病であるというデマが流れ、同性愛者に対する差別や暴力がピークに達した時代でもあった。ディスコやサウナといった出会いの場が次々に閉鎖され、たえざる暴力の危険に怯えるゲイ男性たちはより「安全」で「健全」なピアノバーに逃げ場を求めるようになる。こうしたピアノバーには差別や暴力を恐れ、ゲイであることを隠したまま社会生活を営む比較的裕福な階層の顧客が多かった。そんな彼らの安息所に毒グモのように忍び込んできたのが「ラストコールの殺人鬼」だった。被害者の中には結婚して良き夫であり父親である者もいれば、セックスワーカーもいた。エイズ禍でゲイだからというだけの理由で彼らの尊厳が踏みにじられてもいいというのか? 歴史から忘れられた者たち、失われた声に耳傾けることから作者の「ならぬことはならぬのです」が始まる。エイズ禍で始まった殺人事件で幕を開けるこの物語は、おりしも別の新たなパンデミックの真っ只中で幕を閉じるのだが、あまりにも皮肉なラストが胸を締めつける。なんというかひとつの「美」もしくは「詩」のようなものさえ感じさせるのだ。

 ホリー・ジャクソンの新作『受験生は謎解きに向かない』(服部京子訳/創元推理文庫)は〈向かない〉シリーズ三部作のいわば前日譚で高校生のピップが活躍する。三部作の最後を知っている読者にとっては、いくら「爽やかな青春ミステリー」と謳われてもにわかには信じられないのだが、本作は本当に爽やかな青春ミステリーだった(仲間たちのその後の運命を知る身にはつらいが)。高校生のピップは友人たちに誘われて孤島を舞台にした犯人当てゲームに参加することになる。ゲームの参加者はあらかじめ役割が決められ、それぞれブックレットを渡されるが、それはあくまでホストの指示のもとに必要なページしか開くことができず、途中までは自分が犯人かどうかさえわからない。舞台の設定が一九二〇年代とあって、参加者たちは全員スマホを取り上げられているので、ピップお得意のリサーチを駆使することもできない。かくして彼女は自分で取ったメモと頭だけを働かせながら謎を解決していく。内心めんどくさいと思いながらも、しだいにのめりこんでいくさまには「ならぬことはならぬのです」にとりつかれた後年のピップをほうふつさせるものがある。

 これまでアガサ・クリスティーに冠せられてきたイメージといえば「古きよき大英帝国の象徴」「無害で時代遅れ」が定番だが、それが実は作者によって巧みに操作された仮面だったとしたら......というのがルーシー・ワースリーによる新しい伝記『アガサ・クリスティー とらえどころのないミステリの女王』(大友香奈子訳/原書房)である。クリスティーが晩年になるまで結構金銭面で苦労していたことや、最初の夫アーチーと二番目の夫マックス以外にも「第三の男」が存在していたこと、これまで偉大すぎる母親の影に隠れてあまり表には出てこなかった娘ロザリンドのことなど、目からウロコの新情報がこれでもかとばかりに出てくる。彼女自身はけっしてフェミニズム的なスポークスウーマンではなかったが、「平凡な主婦」を隠れみのにしてきたクリスティーの生の声はメアリー・ウェストマコット名義の作品に色濃く反映されている。自分の書くものはシリアスな文学ではないと謙遜し続けながらクリスティーの行きついた探偵の最終形態が「もはや人間の正義や、人間の法律を気にしない」ミス・マープルだったというのにはまさに膝を打ちたくなった。

(本の雑誌 2024年3月号)

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●書評担当者● 柿沼瑛子

翻訳家。翻訳学校教師。主訳書はアン・ライス、パトリシア・ハイスミスなど。最新訳書はアルジス・バドリス「誰?」ジプシー・ローズ・リー「Gストリング殺人事件」共編書に「耽美小説・ゲイ文学ガイドブック」「女探偵たちの履歴書」などあり。元山歩きインストラクター・靴屋の店員、ロス・マクドナルド&マーガレット・ミラー命。

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