凶行の原点に目を凝らす桜木紫乃『異常に非ず』

文=久田かおり

  • 異常に非ず
  • 『異常に非ず』
    桜木 紫乃
    新潮社
    2,750円(税込)
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  • 金波銀波 (単行本)
  • 『金波銀波 (単行本)』
    澤田 瞳子
    中央公論新社
    2,365円(税込)
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  • 飛距離の長い青春
  • 『飛距離の長い青春』
    砂村 かいり
    幻冬舎
    1,870円(税込)
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  • タイム・アフター・タイム
  • 『タイム・アフター・タイム』
    吉田 修一
    幻冬舎
    2,420円(税込)
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 昭和の凶悪事件として有名な三菱銀行立てこもり事件。自分は異常ではないと言いつつ四人を射殺し、死亡確認のため同僚にその耳を切り取らせ、洋服を脱がせた人質を楯にし、ステーキやワインを差し入れさせる。これを異常と言わずに何と言おう。最終的に警察による射殺で幕を閉じた大阪の事件を桜木紫乃が小説として描いたと聞いて驚いた。北海道を舞台に女性の性と業を描き続ける桜木紫乃が、想像を絶する凄惨で血まみれの事件を書いただと!? けれど読み進めるうちにわかってくる。『異常に非ず』(新潮社)は桜木紫乃にしか描けない事件だった、と。ネットで事件について調べるとその異様な残虐さが嫌でも目に付く。けれど人質の子どもや妊婦、年寄りに対して配慮を見せたりもする、そのちぐはぐさと、説得のために呼び寄せられた母親が出かける前に取ったある行動が、犯人の人物像の分かりにくさへとつながっている。桜木紫乃は小説の中で事件そのものよりも、その分かりにくい異常さを追い続ける。犯人の母親と元恋人という「女性」を追うことで凶行の原点に目を凝らす。貧困や無学、暴力や差別、そのすべてが彼女らの人生を作っている。そこに繋がる犯人もまた同じ。これは虐げられ搾取され続けた者たちが選ばざるを得ない道だったのか。彼らはどこで間違えたのか。犯人を産んだ母親は言う。自分だけはこの子の味方であり続ける、と。その言葉を世間は批判するだろう。けれど、心のどこかで母親ならば仕方がないとも思ってしまう。自分は異常ではないと語る犯人を産んだ母親の、彼を求め彼に求められた元恋人の、土地と情にからめとられた常ではない人生を追いながら彼らが本当に手に入れたかったものとは何だったのか問い続ける。「愛憎」という言葉では零れ落ちてしまう何かを探して何度も読み返すことになりそうな一冊。

 貞観八年(八六六年)京の都の人々を震え上がらせた応天門の変の頃の、都から遠く離れた長崎と大宰府を舞台にした物語が『金波銀波』(澤田瞳子/中央公論新社)だ。海の神を鎮めるため生贄として売り買いされる巫女。船のため荒れた海に投げ込まれる、そのために買われる命。一度買われたら一方通行の命だと思っていたのだけれど、どうやら無事に航海を終えたらまた巫女船に買い戻されるというシステムらしい。なので何度買われても無事に生還する縁起のいい巫女というのがいるという。そんな巫女船に物心つく前から暮らす由良という少女が巻き込まれる政治と金の嵐。幼い少女の目から見た複雑な物語がスリリングに描かれる。巫女船の船長、海賊、長崎の商人、大宰府の役人、それぞれがそれぞれに己の命と守るべき者のため敵味方入り乱れて闘う。全て金のために動く商人たちと、金で命を売り買いしながらもその職に曲げられない矜持を持つ海の男たち。闇と闇が、だましだまされ逃げつ追いつする。その闘いぶりに読み手の心も荒ぶる。何のために生きるのか、何を求めて生きるのか。守るべきものを持つ強さと悲しみが胸に迫る。

『飛距離の長い青春』(砂村かいり/幻冬舎)はあらすじを読んで「あぁ、浪人生の苦しみと成功を描いた青春小説ね」と思って手を出すと痛い目に遭うぞ。浪人時代は人生の中でとても不安定で不規則で不穏な時間だろう。合格というたった一つの目標に向けてほとんどの浪人生が十代の貴重な時間と労力のすべてを費やす。とはいえ、同じ浪人生でもその切実さには大きな差がある。金銭的負担を担う親に対しての申し訳なさやプレッシャーから目が血走るほど必死に自分を追い込む人もいれば、意外とその立場を楽しんでいる者もいる。その人の持つ性格や育った環境による違いなのだろうけど、この小説で描かれる三人もそれぞれに違う環境を背負って浪人生活を送っている。受験、特に医学部受験の前では他人は全て敵でありライバルである。誰かと仲良くしている時間があったらその人より一分でも長く、一問でも多く問題を解くのが彼らの仕事だ。多浪生が当たり前の医学部受験というゆるいのかきついのかわからない環境の中で、入学という一つの壁を乗り越えた後に待っている受験より過酷な現実。そんな中で自分が何かに迷ったとき、起き上がることができないほど打ちのめされているときに「会いたい」と思える仲間に出会えたことがどれほど貴重でどれほど素晴らしいことか。何年後か、何十年後か、きっとこの数か月の時間がどれほどかけがえのない時間だったのかそこで彼らに出会えたことがどれほど奇跡だったのかわかるだろう。砂村かいりは安易なハッピーエンドを用意しないのもいい。始まったばかりの彼らの人生は厳しい現実の中で続いていく。そんな彼らをそっと見守っていたい、そう思わせるラストが秀逸。

 高校の同級生だったオッソーと久遠。初めての恋、高校中退、二人だけの日々、そして別れ。二十余年後、とあるプロジェクトで偶然再会した二人。吉田修一『タイム・アフター・タイム』(幻冬舎)は過去と現在、長崎と東京、時間と場所を交差しながら限りなく青く、痛いほど透明な恋を描く。オッソーの久遠への純粋でまっすぐで強い思いだけを支えに生きるには二人は若すぎたし、「生活」という重しに耐えられるほどタフではなかった。それは仕方のないことだと大人の頭ではわかる。吉田修一は自分たちが選んだ道は間違ってはいなかったと二人に語らせながら、二十余年という月日を、二人にとって苦しい人生を見せつけてくる。けれど大切な人を大切なまま生きていけなかった苦みとどうしようもない傷を負った二人の何度も繰り返す偶然を極上の必然として味わわせてもくれる。

(本の雑誌 2026年7月号)

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●書評担当者● 久田かおり

名古屋のふちっこ書店で働く時間的書店員。『迷う門には福来る』(本の雑誌社)上梓時にいただいたたくさんの応援コメントが一生の宝物。本だけ読んで生きていたい人種。最後の晩餐はマシュマロ希望。地図を見るのは好きだけど読むことはできないので「着いたところが目的地」がモットー。生きるのは最高だっ!ハッハハーン。

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