"砂町銀座クロニクル"『まち』がいいぞ!

文=北上次郎

 うかつなことに気がつかなかった。小野寺史宜『まち』(祥伝社)を読み終わったので、本の雑誌の杉江由次君に電話したのである。感想を言おうと思って。面白かったよ、と。ところが彼が、

「あの筧ハイツは、『縁』にも出ていましたよね」

 と言うのだ。えっ、なに、それ。『縁』というのは、小野寺史宜の前作だ。じゃあ、この『まち』は『縁』の続編なの?

「筧ハイツは、五月に出た『ライフ』にも出てきましたけど」

 ちょっと待ってくれ。五月刊の『ライフ』の版元はポプラ社で、九月刊の『縁』の版元は講談社。この十一月刊の『まち』の版元は祥伝社だ。それが全部、同じ舞台を使った作品だというのか。

『まち』の主人公、江藤瞬一が住んでいるのは、総武線平井駅から歩いて一五分、荒川沿いに立つアパート「筧ハイツ」である(隣に住む大家さんの名前が筧満郎なのだ)。築三〇年、ワンルームのA棟と二間のB棟があり、B棟の二〇一号室に瞬一は住んでいる。一人暮らしなのに二間を借りているのは、じいちゃんがいつ来ても泊まれるように、との考えからだ。荒川沿いとはいっても、高い堤防で視界が遮られているからアパートからは見えない。しかし堤防を上っていくと広い河川敷がある。

『まち』の終わり間近に、江藤瞬一が隣室の君島親子を連れて砂町銀座商店街にいき、「おかずの田野倉」でコロッケを買うシーンがあり、これはさすがに私も覚えていた。二〇一八年四月刊の『ひと』の舞台になった店だ。今度の『まち』はその『ひと』と同じ版元だし、装丁装画も同じなので、こういうお遊びがあっても不思議はないな、と思った。

 しかし私が気がついたのはその程度であり、「筧ハイツ」が以前にも出ていたことを、しかも版元が異なる本の中に出ていたなんて、まったく気がつかなかった。そこで、急いで『ライフ』『縁』を引っ張りだして再読。五月と九月に読んだ本だが、細部をすっかり忘れている。

 なるほど了解。内容が続いているわけではなかった。筧ハイツに住むさまざまな人を描いている、ということだ。もっとも前作『縁』は連作長編で、筧ハイツが出てくるのは、冒頭の室屋忠仁を語り手とする章のみ。これなら忘れても仕方がないが、前々作『ライフ』は、新作『まち』同様に、全編が筧ハイツだから、普通なら気づくだろう。私がぼんやりしているということだ。

 しかもこの三作、ほぼ同じ時代を描いている。つまり、A一〇二号室には『ライフ』の井川幹太、B一〇二号室には『縁』の室屋忠仁、B二〇一号室には『まち』の江藤瞬一が住んでいる。だから互いの作品に登場はしないものの、住民の名前として出てくる。幹太と瞬一が働く近くのコンビニには、七子さんがいるし、歩いて五分の喫茶「羽鳥」では幹太と瞬一が時折読書するし、これだけかぶっていれば普通は気づくだろ。

 面白いのは、図書館で借りてきて彼らが「羽鳥」で読む本が、横尾成吾という作家の本であること。互いの父と母が再婚したので兄妹になった同い年の男女を描く『三年兄妹』(書名の意味は、三年一緒に暮らしたから。つまり、父と母が離婚してしまったのである)、四〇歳で再婚したものの妻に死なれ、連れ子の娘と二人きりになる男を描く『百十五ヵ月』(こちらの意味は、三人で暮らした期間)と、内容紹介を読むだけで面白そうだ。

 どうしてこんなことを延々と書いているのかというと、『ライフ』と『縁』について書評で取り上げなかったことについて、いい機会なのでここで触れておきたいと思ったからである。

 最初にお断りしておくが、この二作ともに面白いのである。小野寺史宜は細部の描写がうまいので、それだけで堪能できることは書いておく。しかし小野寺史宜はいまやもっと上のレベルにいる作家なので、その先を求めたいのだ。

 具体的に書けば、『ライフ』には不要な挿話があることが気になるし(耳鼻咽喉科で唾石を切るくだりがなぜ必要なのか)、いちばんは幹太が船木雅代を訪れる動機が迫ってこないことだろう。両親のことを知りたかった、という幹太の心理は説明されているが、それが説明であることが弱い。

 それに比べて新作『まち』が素晴らしいのは、ストーリーの先をばらすのは読書の興を削いでしまうので曖昧に書くけれど、ラストの強い決意が私たちの胸を打つからである。この前向きの姿勢は、二〇一八年の『ひと』にも共通するもので、あの作品が傑作であったのも、そういうことだ。

『縁』にも触れておけば、こちらは四つの話がうねるように繋がっていく作品で(さまざまな人物が重なるように登場してくる)、ここには物語巧者としての小野寺史宜がいる。このうまさは認めなければならない。しかし『ライフ』や『まち』とは方向の異なる作品なので、別にわけて語るべきだろう。「筧ハイツ・クロニクル」ということで一緒にくくってしまうと、その違いがこぼれ落ちる。そして私は『縁』のうまさには脱帽するが、個人的には『ひと』『まち』の路線が好きなのである。だから『まち』を「筧ハイツ・クロニクル」から切り離し、ここでは『ひと』のグループである「砂町銀座クロニクル」に分類しておきたい。

 小野寺史宜の新刊だけでこんなにスペースを使ってしまったのでもう他の本に触れる余裕がない。千早茜『さんかく』(祥伝社)、原田マハ『風神雷神』(PHP研究所)、南綾子『ダイエットの神様』(双葉社)などが印象に残ったが、いずれ機会があれば触れたい。

(本の雑誌 2020年1月号掲載)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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