一穂ミチの絶品短編集『スモールワールズ』が素晴らしい

文=北上次郎

  • アパートたまゆら
  • 『アパートたまゆら』
    砂村 かいり,いわしま あゆ
    KADOKAWA
    1,320円(税込)
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  • 風巻【しまき】: 伊豆春嵐譜
  • 『風巻【しまき】: 伊豆春嵐譜』
    鳴神 響一
    早川書房
    2,640円(税込)
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  • 魂手形 三島屋変調百物語七之続
  • 『魂手形 三島屋変調百物語七之続』
    宮部 みゆき
    KADOKAWA
    1,760円(税込)
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 一穂ミチ『スモールワールズ』(講談社)が素晴らしい。

 たとえば、美和と貴史がまだ結婚する前、デートの帰りに電車が停まったときのことを、美和が思い出すくだりがある。非常灯の明かりしかない中で一時間、うんざりしていたら恋人が「見て」と言うので顔を上げた。車内はスマホを弄る人だらけで、液晶の光がそこらじゅうにあふれている。美和には、それが蛍のように見えたが、貴史は「熱帯魚の水槽っぽい」と言った。暗い車内に液晶の光があふれるその光景が鮮やかだ。

 これは冒頭の「ネオンテトラ」に出てくる回想だが、中学生の男子とコンビニのイートインのカウンターで会う美和の孤独を描くこの一編から、『スモールワールズ』はさまざまな顔を見せていく。

 体の大きな姉が実家に帰ってくる「魔王の帰還」は、その姉のキャラが図抜けているし、書簡体小説「花うた」は、長い年月のドラマを巧みな構成で鮮やかに立ち上げるし、一五年ぶりに娘と再会する「愛を適量」は、父と娘のすれ違いと再出発を哀しく映し出す。

 まるで才能の見本市のような作品集だ。さまざまなものを、さまざまなかたちで描くことが出来ることを、この短編集は雄弁に語っている。ホントにうまい。もう絶品だ。

 一穂ミチはBLの世界では有名作家らしく、二〇〇八年のデビューからこれまで五〇作以上の作品を上梓している。一般文芸はこれが初めてなのかどうか、私には何の知識もないけれど、このうまさは只事ではない。

 今月はもう一人、おすすめ作家がいる。こちらは正真正銘の新人作家で、二作同時デビューというのは珍しい。砂村かいり『炭酸水と犬』『アパートたまゆら』(ともにKADOKAWA)だ。

 前者は、二九歳の由麻が九年間付き合っている同棲中の恋人和佐から「もうひとり、彼女ができたんだ」と言われるところから始まる物語だが、作者が、ここからどういうふうに物語を転がしていくか、ぜひご覧いただきたい。これが実にうまい。その「もうひとりの彼女」アサミや、ヒロインが勤務する会社の、一回り年上の志賀さんなど、わき役たちの造形が巧みであることは急いで書いておく。特に、契約社員の若い女性に「手が早い」と噂される志賀さんの造形がいい。同時発売の『アパートたまゆら』(こちらの主人公の相手はなんと書評家だ)にも、久米海星という青年が登場するが、こういう「調子がよくて一見軽薄だけど憎めない男」を描くと、この作家の筆は冴えわたる。

 この二作には、カクヨムWeb小説コンテスト恋愛部門〔特別賞〕二作同時受賞! という帯が付いていて、ここに『スモールワールズ』を並べると、いまやBLやラノベという枠から自由に解き放たれた作家たちがどんどん出てきていることを実感する。そういう新時代の息吹が、ここにある。

 地図を作る話が偶然にも二冊出ている。小森陽一『インナーアース』(集英社文庫)と、平岡陽明『道をたずねる』(小学館)だ。前者は、海底奥深くの空洞の地図を作るという異色の地図小説で、後者は「日本の全建物と全氏名が入った住宅地図」制作を真正面から描く長編。大変な仕事なんだと実感できる二作だ。特に前者は、未読の作家だったので(いまごろ気がついてすみません)、あわてて既刊本を揃えたが、まずは集英社文庫の「天神」五部作から読もう。

 時代小説は、鳴神響一『風巻 伊豆春嵐譜』(早川書房)が印象深い。明治七年、伊豆沖で難破したフランスのニール号沈没の余波を描く長編だが、明治四年の岩倉使節団と一緒に渡米して留学した津田梅子が当時七歳だったとは知らなかった。津田梅子以外の四人の女子留学生も、八歳から一四歳で、サンフランシスコに迎えに行った弁務公使の森有礼は、こんな幼い子をよこして、いったい、どうすればいいんだと途方に暮れたという。すごい時代があったものだ。そういう興味深い余談が随所に出てくるのも本書の愉しみと言えるだろう。

 今月の最後は、宮部みゆき『魂手形』(KADOKAWA)。副題に「三島屋変調百物語七之続」とあるように、江戸怪談シリーズの最新作だが、今回も素晴らしい。宮部みゆきの時代小説を読んでいると、それだけで体が喜んでいるのがわかる。ホント、楽しい。たとえば表題作に、吉富の後ろに幽霊がいるのを見たお竹が階段を駆け上がるシーンがある。

「きっちゃんに何しようってんだ、ふざけんじゃねえぞこのアマが!」

 ものすごい勢いで幽霊と対峙するのだ。お竹は吉富の父伴吉の後添いで、「無愛想で言葉が悪くて器量もよくはない」が、力持ちの大女。つまり、お竹は「我が子」を守るために猛然と幽霊と闘う姿勢を示すのである。このお竹のキャラが図抜けている。

「三島屋変調百物語」は、奇数巻が「深刻な話」で、偶数巻が「ほっこりした話」で進んできたが、話の聞き手が代わって第二期が始まった前作からリセット。本来ならシリーズ第七巻の本書は「深刻な話」なのだが、「ほっこりした話」になっているのは、第二期の巻数では第二巻になるからだ。いや、そういうふうに解釈しているのですが、どうなんでしょうか。

 この表題作も、木賃宿に泊まったお化けの復讐譚のわりに暗くならず、読後感がいいのは、「我が子」を守るお竹の強い意思が爽快だからである。

 体の大きな姉が弟鉄二の恋を後押しする「魔王の帰還」(『スモールワールズ』)を想起する。つまり今月は、魔王に始まって魔王で終わるのである。

(本の雑誌 2021年6月号掲載)

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●書評担当者● 北上次郎

1946年東京生まれ。明治大学文学部卒。1976年、椎名誠と「本の雑誌」を創刊。以降2000年まで発行人とつとめる。1994年に『冒険小説論』で日本推理作家協会賞受賞。近著に『書評稼業四十年』(本の雑誌社)、『息子たちよ』(早川書房)がある。

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