紙の本ならではのミステリー『紙鑑定士の事件ファイル』
文=千街晶之
「宝島社は、電子書籍に反対です」という新聞広告が話題を呼んだのは二○一○年のことだったが、二○一九年からは同社も一部の自社刊行物の電子配信を始めている。時代の流れや、著者や読者の要望には抗えなかったかたちだが、そんな版元が、紙の本でなければ出来ないことは何かを模索した果てに意地を示した......とも取れるのが、第十八回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞した歌田年『紙鑑定士の事件ファイル 模型の家の殺人』(宝島社)である。紙のことならおまかせの紙鑑定士・渡部と、伝説のプラモデル造型家・土生井がコンビを組み、女性の失踪事件の謎を追う物語だが、本文の約三十ページごとに異なる紙が用いられており、それぞれの風合いを楽しめる製本なのだ。なるほど、これは電子書籍では絶対味わえない趣向だろう。作中の手紙が実際に巻頭に挟み込まれている遊び心も愉快である。
もちろん、そうした要素を抜きにした内容そのものも面白い。まず冒頭で、渡部と土生井が知り合うきっかけとなった最初の案件(渡部を私立探偵と勘違いした女性による浮気調査の依頼)を軽く描き、続いて本筋である失踪事件に入ってゆくのだが、専門分野を異にする二人の探偵役がそれぞれ繰り出す二種類の蘊蓄が読んでいて実に楽しいので、序盤のスローテンポさが全くマイナス要素になっていないし、最後に明かされる衝撃的な動機も印象に残る。シリーズ化を希望したい。
久住四季『怪盗の後継者』(メディアワークス文庫)の主人公・柏手因幡は平凡な大学生。ところが、大学講師を世を忍ぶ仮の姿とする謎の男・嵐崎望から「君。私と一緒に、泥棒をやってみないかい?」とスカウトされる。嵐崎の話によると、因幡の父は伝説の怪盗ジャバウォックそのひとであり、嵐崎はその協力者だったという。因幡は嵐崎とその仲間たちとともに、父を罠にはめた大物政治家・早乙女巌の悪事の証拠を盗み出すことになった。
普通の大学生が泥棒からスカウトされて父の遺志を継ぐ導入部がやや唐突で、心理的に納得し難いものを感じたけれども、そこさえ目を瞑れば、あとは手に汗握る展開の連続。ハイテク防犯装置で守られたターゲットを奪うのがたやすいことでないのは当然のこと、切れ者敵役の早乙女が積極的に攻撃を仕掛けてくるタイプなのもミッションの難度を高めている。嵐崎とその仲間たちが非凡な技能を誇る中で、素人同然の因幡がこの物語でいかに存在意義を示せるかも読みどころ。久住四季の新境地と言っていい快作だ。
山本巧次『希望と殺意はレールに乗って アメかぶ探偵の事件簿』(講談社)で描かれるのは、一九五七年、南信州の清田村の村会議員が東京で何者かに殺害され、政治献金を奪われたという事件。人気推理小説家の城之内和樹と担当編集者の沢口は、清田村の旧領主である奥平元子爵の依頼で、事態の解決のため村に向かうが、奥平の娘・真優も彼らに同行すると言い出す。
鉄道が村のどこを通るかで二派に分かれて対立する住民たち、自分の土地を鉄道が通ることを頑なに拒む地主、暗躍する不動産業者......複雑かつ秘密めいた人間関係から情報を引き出せるのは、アメかぶ(アメリカかぶれ)と呼ばれる城之内の遠慮を知らない態度と、旧領主のお嬢様という真優の立場の強さがあればこそ(彼女には他にも驚くべき強みがあるのだが、それは読んでのお楽しみ)。小さな村の出来事ながら、登場人物が時代の大きな流れと無縁ではなかったことを点描する最終章の余韻が味わい深い。
高度経済成長期を背景にしたミステリをもう一冊。一九六四年の初のオリンピック開催に向けて、東京は大規模な開発事業によって劇的な変貌を遂げた。森谷明子『涼子点景1964』(双葉社)は、そんな時代を描いた物語だ。
小学生の健太は本を万引きした嫌疑をかけられたが、涼子という少女に無実を証明してもらう(第一章)。健太の兄の幸一は、弟からその話を聞いて、涼子が中学二年生の時に同じクラスだった少女ではないかと思い当たる。だが、調べてみると彼女の身辺には不審な点が(第二章)......といった具合に、全八章のうち第七章までは、それぞれ異なる登場人物の視点から涼子が描かれる。ある時は怜悧な安楽椅子探偵、ある時は謎多き少女......果たして涼子が抱えている秘密とは何か。序章と終章を含む各章がひとりの女性の数奇な人生を浮かび上がらせる構成の緻密さと美しさは、著者の歴史ミステリの大傑作『七姫幻想』にも通じている。
さて、そこから一気に半世紀以上飛んで、二度目の東京オリンピックが開催される今年──二○二○年を背景にしているのが、藤井太洋『ワン・モア・ヌーク』(新潮文庫)。「最後に一度だけ、原爆を東京に。」という帯の惹句にギョッとさせられるが、九年前に福島第一原発事故があったのと同じ三月十一日に東京で原爆テロを起こすという予告をめぐる三日間の攻防を描いた作品だ。
それぞれ目的は異なるものの表面上は手を結んでいる二人のテロリスト(日本人女性とイラクの科学者)、彼らを追う原子力の専門家とCIAのエージェント、そして警視庁公安部外事二課の刑事たち......という三組の動きを中心に、追いつ追われつ、騙し騙されのサスペンスが白熱の展開を見せる。作中の東京はほぼ現実そのもので、徹底したリアリズムを基調にすることで作中のテロ計画に説得力を持たせている。まさに今この時点での危機を描いた国際謀略小説にして警察小説であるという点で、同じ新潮文庫から昨年刊行された吉上亮『泥の銃弾』と併せて読むのもお薦めだ。
(本の雑誌 2020年4月号掲載)
- ●書評担当者● 千街晶之
1970年生まれ。ミステリ評論家。編著書に『幻視者のリアル』『読み出し
たら止まらない! 国内ミステリー マストリード100』『原作と映像の交叉光線』
『21世紀本格ミステリ映像大全』など。- 千街晶之 記事一覧 »