『暗殺の冬』の宣伝コピー「十年に一度の傑作」は本当か?
文=小山正
またしても北欧から、すごいミステリ作家が現れた。スウェーデンのクリストフェル・カールソン。彼の長篇『暗殺の冬』(棚橋志行訳/文春文庫)は、帯の惹句が激アツだ。「十年に一度の傑作。」そんなにスゴいのか?
一九八〇年代半ば。スウェーデン首相が暗殺され、政局は混乱。そんな矢先に南西部の街ハルムスタッドで「ティアルプの怪物」という謎の暴行魔が現れ、若い女性たちが犠牲になる。一人目は暴行。二人目は連れ去られ、生死不明。しかも犯人は警察に、不敵な犯行宣言を直電してきた。
事件発覚の一九八六年から、真相が判明する二〇一九年までの三十三年間が、警官たちと彼らの家族、被害者や周辺の人々、さらに事件をネタに本を書こうとする作家、そんな彼らの行動と心情で、意味深長に綴られてゆく。
名探偵や名刑事は出てこない。登場人物は皆、日々を平穏に暮らす小市民だが、兇悪犯のおかげで関係者の人生が修羅場と化す。しかも疑心暗鬼となった人間の弱さや葛藤により、悲劇が連鎖。その過程と苦い結末が、叙事詩のごとく描かれてゆく。確かに凄い。惹句に偽りはない。
同じ北欧ノルウェーの作家ヨルン・リーエル・ホルスト&ヤン=エーリク・フィエルの長篇『クライムキャスト Vol.1 届かなかった叫び』(中谷友紀子訳/小学館文庫)も、似た題材だ。十五年前の少女失踪事件を親子で追うという捜査小説で、作風の違いや出来を比べるのも一興だろう。
気分を変えて、明るいラテンの空気に満ちた本を。『モンタルバーノ警視の三十日』(巽高英訳/文芸社)は、以前ハルキ文庫で二冊訳されたイタリアの作家アンドレア・カミッレーリの短篇集。モンタルバーノの周りで起きる事件や珍談・奇譚が、最短七ページ、長くても三十ページ強の計三十作でテンポ良く描かれる。シリアスな犯罪物もあれば、歴史物や殺人劇、他にも暗号小説、動物ネタ、オカルト風、コント──とまあ万華鏡のように、楽しい犯罪小咄が語られる。どれもほどよい読後感で、就寝前に毎日一篇、安眠用に最適かも。
スウェーデンの作家アンデシュ・デ・ラ・モッツ&モンス・ニルソンの長篇『死んでもいいくらいの掘り出し物』(久山葉子訳/創元推理文庫)も、至福のミステリ時間が過ごせる。田舎町で病気療養中のポアロ風〈ピエテル・ヴィンストン警部〉シリーズの第二作で、前作『死が内覧にやってくる』よりも出来が良い。アンティーク鑑定番組の収録と骨董市で賑わう中、あこぎな古物商が殺される。中古品買取りビジネスの闇に関する騒動も興味深いが、なにより〈フーダニット=誰が犯人か?〉の力作なのだ。訳文も軽やか。疲れた脳がリラックス出来る。
アメリカの作家オードリー・リーの長篇『記憶の帝国』(髙増春代訳/新潮文庫)は今月の異色作。ストーリー紹介や宣伝文を読む限りハイテクSF風サスペンスだが、実際に読むと、別の顔が見えてくる。
ロサンゼルス郊外の高級精神医療施設〈ワイルダー〉に入所する女性ホープ・ナカノは、一年前に何らかの心的外傷を受け、それ以降の記憶を失っていた。診察と投薬に加えて、ヘッドセット等を身体に装着するヴァーチャル・リアリティー装置による治療で、記憶を取り戻す処置を続ける。ところが彼女の周囲は、奇妙な医師や風変わりな患者たちばかり。ホープは欺瞞と嘘が入り乱れる迷宮を彷徨する。
──なんて書くとバリバリの近未来SFミステリだが、実は話の骨子は恋愛物。もっと言えば、ハイテク施設を「古い館」に、主人公を「幽閉されたヒロイン」に、VRの奇怪な映像効果を「怪奇現象」に読み替えれば、懐かしい〈ゴシック・ロマンス〉そのものなのだ。だから主人公の謎の恋人が重要な役割を担い、二人の微妙な関係が、愛の物語として機能する。しかも謎解きミステリとしてのヒネりもあり、結末にちょっと驚いた。やや長いのが玉に瑕かな?
最後は今年最大の話題作。ジョン・ル・カレの名作スパイ小説〈ジョージ・スマイリー〉シリーズを、彼の実子で作家のニック・ハーカウェイが書き継いだ長篇『カーラの選択』である(加賀山卓朗訳/早川書房)。一九六三年。英国の諜報機関〈サーカス〉は、ロンドンに現れたソ連の暗殺者が関わる事件を探るため、長篇『寒い国から帰ってきたスパイ』の苦い結末を引きずり、隠遁状態のスマイリーを呼び戻す。どうやら事件の裏で、ソ連情報部の高官カーラが蠢いているらしい。
スマイリー復活! しかも『寒い国』と次の長篇『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』をつなぐエピソードだ。こうした戯作は期待外れが多いが、今回は杞憂だった。著者ハーカウェイは見事なストーリーテリングと文体模写で、ル・カレの世界観を精緻に踏襲(決して読みやすくないル・カレの筆致までそっくり)、巧みな謀略小説を作り上げている。全盛期のスマイリーや彼の仲間たちとの再会は夢のようだし、彼らが織りなす複雑で非情なゲームが、過去のル・カレ作品さながらに楽しめる。
スマイリーは後半、事件に巻きこまれた女性スザンナと行動をともにする。二人の立場の違いが、「必要悪な組織」と「個人の尊厳」の拮抗を描く、いかにもル・カレ風の劇的なドラマになっている点もすごい。そんなシリアスさの一方で、ソ連の暗殺者が英国の爆笑映画群〈イーリング・コメディー〉が好きだったりと、ニッチなギャグも冴えている。そんな幸せな読書体験をもっと語りたいが、あらら、誌面が尽きた(涙)。
(本の雑誌 2026年7月号)
- ●書評担当者● 小山正
1963年、東京都生まれ。ミステリ・映画・音楽に関するエッセイ・コラムを執筆。
著書に『ミステリ映画の大海の中で』 (アルファベータブックス)、編著に『バカミスの世界』(美術出版社)、『越境する本格ミステリ』(扶桑社)など。- 小山正 記事一覧 »






