ヴェラ警部が捜査中に食べるお菓子を、ボクも食べたい!
文=小山正
いやあ、うれしい! 同好の士と手をつないで踊りたい気分だ。人気TVドラマ〈ヴェラ〜信念の女警部〜〉シリーズの原作で、英国の重鎮アン・クリーヴスの長編『水面の弔花』(玉木亨訳/創元推理文庫)がついに訳された。主演女優ブレンダ・ブレッシンの顔を重ねながら読もう。
舞台はイングランド北東部の小さな街。水を張った浴槽で少年の絞殺死体が見つかる。バスタブには野花が浮かび、芳香を放つオイルが撒かれていた。その後、海辺でも若い女性教育実習生の絞殺体が浮かび、同様な装飾が。ヴェラ警部と仲間たちの捜査で、住民同士の歪んだ愛憎関係が発覚する。
なによりヴェラの個性が強烈だ。犯罪捜査が天職の彼女は、事件関係者の懐に深く入り、彼らの心の中を丁寧に探る。その一方で彼女は、死んだ父親との確執を今も抱え、不安・不満・孤独を感じて生きている。特に印象的なのは、ヴェラが性差を越える存在として描かれる点。登場人物たちの奔放な性愛が執拗に描かれる一方で、ヴェラは声が野太く、巨体で、酒飲みで、色恋と無縁の人物に造型されている。キャラクターがジェンダーから解き放たれているのだ。
ミステリの作劇も技巧が冴える。情景描写・地の文・会話などの一字一句にさりげなく伏線が敷かれ、理屈で割り切れない容疑者たちの行動や心の機微が、細やかに描かれる。しかも、そんな卓越した筆致が、意外な真相を巧妙に隠す。
そうだ。聞き込み中のヴェラがパン屋でカスタード・スライス(英国の伝統菓子)を買い、パイ皮の間からはみ出すカスタードクリームにかぶりつくシーンが絶品なのだ。ヴェラの豪快な食べっぷりに、あー、ヨダレが!
北アイルランド出身の作家スティーヴ・キャヴァナーの長篇『キル・フォー・ミー キル・フォー・ユー』(吉野弘人訳/小学館文庫)は、交換殺人を扱うサスペンス・スリラーの快作だ。作中で語られる同じテーマの古典的名作、パトリシア・ハイスミス原作、アルフレッド・ヒッチコック監督の映画『見知らぬ乗客』(一九五一)との違いが鑑賞ポイントだろう。
主な舞台はニューヨークのマンハッタン。性犯罪者に娘を殺され、そのダメージで夫が自殺。残された母アマンダは、金と権力を武器に刑罰から逃れる犯罪者に復讐を誓う。一方、音楽教師に娘を殺された母ウェンディも逮捕されない犯人を憎悪していた。そんな二人が出会い、交換殺人を練る。両名の決行と同時に、第三のカップルのエピソードが加わり、三つ巴で物語が展開する。
中盤以降は怒濤の展開で、当事者たちに予期せぬ惨事が次々に起こる。読者にも二重三重の罠が仕掛けられており、これも見事。元ネタへの愛だけでなく、それを凌駕しようという著者の意気込みがすばらしい。
もし『見知らぬ乗客』を未読・未見ならば、これを機に小説と(邦訳は河出文庫)、ヒッチコックの映画を、本書とセットで鑑賞してはいかがだろう? 読書の歓びが増すこと請け合いです。
マンハッタンが舞台の作品をもうひとつ。昨年秋から連続刊行のレックス・スタウトの長篇〈アーノルド・ゼック三部作〉『忌まわしき悪党』『二度目の告白』『上流の一族でも』(渕上痩平訳/論創海外ミステリ)が揃った。どれも独立した事件ながら、三冊が序・破・急のような構成で、名探偵ネロ・ウルフと犯罪王ゼックの闘いを描く。ゼックはホームズの宿敵で悪の帝王モリアーティ教授のような存在。今風にいえば企業犯罪を牛耳る反社会組織のドンだ。
一作目はラジオ番組の出演者が放送中に毒殺される事件。二作目は鉱山会社役員の娘の恋人の身辺調査。三作目では上流夫人が夫の収入源の解明を依頼する。いずれも背後でゼックが暗躍し、ウルフに調査中止を警告する。巻を追うごとに両者の争いは激化。二作目ではウルフの自宅兼事務所が武装集団に襲われ、彼が愛する蘭の栽培所が機関銃の乱射で壊滅に至る。謎解きモノなのに展開がハデだし、三作目では今まで見たこともないウルフの勇姿が描かれる。しかもラストの直接対決は息を飲む迫力。相変わらず不遜な態度で無理難題をいうウルフだが、叡智を駆使し、巨悪に屈しないウルフと相棒アーチーの生きざまは感動的だ。七十年以上前の旧作ながら今読んでも面白く、推理の意外性も満点だった。
カナダ出身の作家メイソン・コイルの長篇『ウィリアム』(山本佳世訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)は、密室系SFミステリの珍作。足の無いAI搭載ロボット〈ウィリアム〉を作った工学エンジニア、その妻、妻の同僚二人が、コンピューター制御の屋敷に幽閉され、惨劇に巻きこまれる。
ロボットは生みの親の主人公から「お前の偉大な知恵はどこから来たんだ?」と聞かれ、こう答える。「無」「我々はみな、無から来て、無に向かう」「私は果てることない否定の精神である」なんだこの禅問答のような会話は?! でも、そんな奇天烈さは私好み。しかも、残酷なショッキング・ホラー風のテイストだが、実はブラック・ユーモアあふれる奥深い悲喜劇でもある。事件の仰天真相はツッコミどころが満載ながら、人間と科学と魂(意識)をめぐる奇抜な寓話としてオススメしたい。
最後にもう一冊。アメリカの新人作家エリン・E・アダムスの長篇『贄の森』(岩瀬徳子訳/ハヤカワ・ミステリ文庫)はスピリチュアルな要素が加味された超常スリラーだ。切り裂かれ心臓を抜かれた黒人の子供の謎をめぐって、アメリカ差別史の恥部が抉られる。黒人エンタメ文学の最前線がここに。ご興味ある方はぜひ。
(本の雑誌 2026年8月号)
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- ●書評担当者● 小山正
1963年、東京都生まれ。ミステリ・映画・音楽に関するエッセイ・コラムを執筆。
著書に『ミステリ映画の大海の中で』 (アルファベータブックス)、編著に『バカミスの世界』(美術出版社)、『越境する本格ミステリ』(扶桑社)など。- 小山正 記事一覧 »







