『料理なんて愛なんて』にグサグサ心をエグられる!

文=高頭佐和子

 佐々木愛『料理なんて愛なんて』(文藝春秋)は、予想と違う展開に驚かされる一冊だ。デビュー作『プルースト効果の実験と結果』(文藝春秋)での繊細な心理描写もすばらしかったが、二作目となるこの作品で新たな魅力を見せてくれた。

 主人公・優花は、料理が嫌いな二十代の会社員。大好きな真島さんの好みのタイプの女性は「料理の上手な人」だ。やっと付き合えることになったのに「料理は愛情」が口癖の料理教室の先生・沙代里さんに、彼を奪われてしまう。恋を諦められない優花は、料理上手になろうと努力を始めるが......、というあらすじからゆるふわな恋愛小説を想像したのだが、心をグサグサとエグってくる小説だった。

 優花の性格はこじれている。バレンタインにチョコを作ろうと材料を買うまではするのだが、溶かして固めるだけでは手作りといえない...などと余計なことを考えてやらない。みりんの必要性に疑問を感じて買うことを躊躇う。ああ、めんどくさい。身近にこんな女子がいたら「理屈はいいからすぐみりんを買えっ! チョコ溶かせ!」と怒鳴ってしまいそうだ。そんなに嫌なら諦めれば良いのに、思いだけは強い。が、干物作りが趣味の男子と合コンして料理に対する理解を深めようとしたり、沙代里さんの腹黒さを食材を通じて真島さんに伝えようと策略を練ったりなど、その努力は意味不明かつ見当違いだ。そもそもこの真島という男のいったい何がいいのか? いいかげんで人に対する配慮がなく、勝手だ。親友からもやめとけと言われているのに、全肯定したくなるような好青年も現れるのに、ヤツが好きなのは他の女なのに......。優花よ、なぜあんな男にこだわる? バカバカバカッ!

 でも、心の中で説教したりイラつきながら読んでいくうちに、だんだん恥ずかしいような苦しいような気持ちになってくるのだ。優花のずれた努力と変なこだわりが、私自身の過去や現在と重なる。何かをすごく好きだったり、嫌いだったりすることって、自分が自分であることそのものだ。なぜ「料理は愛情」という言葉に抵抗を感じるのか。人を愛するってなんなのか。迷走しているようで重要なことを追求している優花の純粋さが、愛しくほろ苦く、心に刺さる。

 恩田陸『灰の劇場』(河出書房新社)は、読後も長く精神に影響を及ぼす危険な小説だ。主人公の「私」は小説家である。デビューしたばかりの頃に、新聞で読んだ小さな記事のことが「どこかに刺さったままになっている小さな棘」のように記憶に残っている。四十代の二人の女性が、橋から飛び降りて心中したという二十年以上前のその記事を、編集者が探し出してくる。大学の同級生だった二人は、なぜ同居し一緒に命を絶ったのだろうか。

 印象に残る小説を読んだり、気になる事件をニュースで見聞きした後に、一人の人物についてずっと考えてしまうことが私もある。全て自分の想像で、作者の意図や現実の事件とは違うとは分かっているのだけれど、その人物が心の中に侵入してくるような気がしてゾッとする。その時点で私は怖くなってやめるのだが、小説家である主人公は、そのずっと先の方に進んでしまうのだ。二人が出会い同居するようになるまでのこと、共同生活の様子、それぞれの生き方や苦悩を、主人公は深いところまで想像する。二人の女性の存在は「私」の日常を侵食していく。劇場で上演するという企画を通して、奇妙な質感すら伴ってくる。この小説の世界に、気がつくと読み手である自分も取り込まれているのだ。怖い、と思うのに読むのをやめられなかった。私にとっては、この小説がいつまでも抜けない「小さな棘」になるのだろうか。

 乗代雄介『旅する練習』(講談社)は、令和二年三月の数日間を描いた小説だ。小説家の主人公は、まもなく中学に進学するサッカー少女の姪・亜美から、鹿島で合宿した際に、宿泊施設から本を持ってきてしまったことを打ち明けられる。サッカー観戦のついでに返しに行こうと計画していたが、感染拡大で開催の有無が読めず......。二人は徒歩で目的地に向かうことにする。主人公は風景を描写し、姪はドリブルをしながら旅をする。

 旅のスタート地点である我孫子付近を、私も歩いたことがある。主人公たちと同じように白樺派ゆかりの地を訪ね、手賀沼を眺めた。その時の思い出と小説の中の情景が重なり、行ったことのないはずの場所も、未来への希望に溢れた亜美ののびやかな姿も、鮮やかに目の前に広がってくるように感じた。旅の途中で知り合う大学生・みどりさんとの交流、若い二人の心の成長が美しい。そして、土地に縁のある文学者や実在の人物の痕跡と言葉が印象的だ。人生には過酷な試練があったり、思ってもみない形で大切なものを失うこともある。でも、記憶の中にある美しいものがなくなってしまうことは決してない。そんな思いが心に残った。

 小川洋子さんと工場。どちらも好きな人には絶対に、どちらかに関心がある人にもぜひ読んでいただきたいのが、エッセイ『そこに工場があるかぎり』(集英社)である。多様な製品を作るさまざまな規模の工場に、著者は出かけていく。そこで働く人に、製品に対する思いや人生についての話を聞く。工業製品という言葉からは冷たい印象を受けるけれど、著者の描く工場と製品には温もりとそれぞれの物語がある。機械の健気さにも心を打たれる小川さんが素敵で、読んでいると笑顔になってしまう。グリコの工場の章を読んでいたらどうしても食べたくなって、チョコレートポッキーを買った。本を片手に、工場の様子を想像しながら、一本一本よく眺めつつ味わうポッキーは、格別においしかった。

(本の雑誌 2021年4月号掲載)

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●書評担当者● 高頭佐和子

神奈川県生まれ。都内在勤書店員。文芸書担当。

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