辛酸なめ子『電車のおじさん』に取り込まれる!

文=高頭佐和子

  • つまらない住宅地のすべての家
  • 『つまらない住宅地のすべての家』
    津村 記久子
    双葉社
    1,760円(税込)
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 辛酸なめ子『電車のおじさん』(小学館)は、不思議な小説だ。笑いながら読んでいるうちに、気がつくと主人公の世界観に取り込まれている。

 文具メーカーに勤める玉恵は、混雑する総武線で迷惑行為をするおじさんたちに日々辟易しながら通勤している。ある日、降りる時に激しく押してきたおじさん(推定七十代)がいた。毅然と文句を言ったところ「何を言っているんだ!!」と怒鳴られ腹を立てる玉恵だが、妙におじさんのことが気になってしまう。ある日、その姿を見かけた玉恵は後をつけ、その行動をもとに人物像を妄想し始める。

 思い込みの激しいOLが高齢男性にストーカー行為...という湿っぽい小説ではない。咳込んだ玉恵を見て飴をくれたおじさんに、サンプルのノートを御礼として渡したことがきっかけとなり、二人の間に交流が生まれる。リアルな恋愛よりプラトニックラブが趣味の玉恵だが、脳内恋愛の相手となるのは、あくまで知的っぽいメガネの先輩や仕事のできるイケメンだ。おじさんに対して抱いている感情は、強い好奇心というものに近いが、「推しおじさん」として観察したり妄想したりするうちに、玉恵の日常に変化が訪れる。

 玉恵の脳内世界が愉快だ。一度は好ましく思った相手を些細なことで勝手に気持ち悪く感じてきたり、電車の中の男性たちを着ているシャツの質感でプロファイルするあたりの表現は、マニアックなのに妙に共感できる。女性心理に興味のある方にもおすすめだ。私も身勝手で無神経なおじさんたちに嫌な目に遭わされたことがあるが、その都度見なかったことにして記憶を抹消するか、心の中で蔑み呪うという方法で気持ちを収めてきた。もちろん、世の中には感じの良いおじさんもいるし、嫌なおじさんにも色々事情はあるのだろう。時には、思い切って「推してみる」というのもありなのかも。忘却の前に想像。拒否よりもまずは理解。それって、私にとっても世の中にとっても、大切なことかもしれない。

 津村記久子『つまらない住宅地のすべての家』(双葉社)の舞台は、ごく普通の住宅地だ。住民たちは、家の外には関心がない。門灯を点けない家が多いことが、それを象徴している。そんな場所が事件に巻き込まれる。刑務所から逃走した女性横領犯が、こちらに向かっているというのだ。路地にある10軒の家に住む人々は、脱獄犯の侵入を防ぐために、交代で見張りをすることになる。

 冒頭には住宅地図が掲載されている。読みながらそれを見ると、住宅地のじめっとした雰囲気がよりリアルに感じられる。周囲に知られたくない事情。家族にも言えない秘密。鬱屈した欲望。煮詰まった関係。果てのない孤独。問題を抱えていてもそれを誰かに相談することはなく、何かに気がついても互いに踏み込むことのなかった住民たちだが、逃亡犯という非日常的存在によって交流が生まれ、事件にも大きく関わっていく。次々に登場する老若男女を書きわけ、スピード感のある展開の中でその背景や心情をくっきりと描写していく著者の力量が見事だ。どんなに自分を閉ざしていても、生きている限り人は誰かに影響を与え、予想もしない形で、救ったり救われたりする。そんなことを思った。

 蛭田亜紗子『共謀小説家』(双葉社)は、明治の文壇が舞台だ。フィクションではあるが、実在した小説家たちに着想を得たと思われる人物が次々に登場する。そういうのが好きな読者なら、ぞくぞくすること間違いなしの1冊だ。

 主人公・宮島冬子は、文壇の頂点にいる尾形柳後雄に心酔している士族の娘。弟子入りして小説を書きたいと願うが、女ゆえにそれは叶わず、女中として尾形家に入ることにする。ある時柳後雄から仕事を手伝ってほしいと言われ、有頂天に......。しかし求められたのは、執筆の手伝いではなく性の相手だった。

 冬子は嫌悪感を抱きつつも書斎に通い、柳後雄が執筆する様子を近くで見続ける。ある時、弟子の一人が自分たちの姿を覗き見ていることに気がつく。柳後雄の子を身籠り戸惑っている冬子に、「共謀しないか」という言葉で求婚してきたのは、その弟子・九鬼春明だった。共に小説を書く者である二人は夫婦となり、その運命は、その後予想しなかった方向に動いていく。小説家たちがぶつけ合う自意識、書くことに対する執念と業の深さが凄まじい。そして、「共謀」の意味が切なく心に残る。

 しまおまほ『家族って』(河出書房新社)は、家族の思い出を綴ったエッセイだ。文豪の孫であり、写真家の両親のもとで育ち、若くして才能を開花させた著者は、男の子の母となった今も変わらず、伸びやかで自由な感性の持ち主だ。思い出を共有しているような懐かしさがあるのは、父・島尾伸三氏の写真集『まほちゃん』(オシリス)を通して、小さな女の子だった時の姿を知っているからというのもあるけれど、何よりそのみずみずしい文章に、忘れかけていた私自身の記憶が刺激されるからなのだろう。

 エッセイには父方の祖父母が時々登場する。ジッタン(島尾敏雄氏)が、出先からしょっちゅう電話をしてきて自分がいる場所を報告することを、うっとりと話すマンマー(島尾ミホ氏)。いつもひょうきんなのに、マンマーの前ではダンマリになってしまう父。中学時代に『死の棘』を読み、このように人を愛しすぎてしまったらどうしようと怖くなった経験のある私としては、そんなエピソードを読むと胸がきゅっと痛くなる。だけどそれよりも、幼なじみや個性的な大人たちとの思い出や、何気ない日常の中で両親から受け継いだものが、温かくてまぶしい。著者が周囲の人々に向ける濁りのない視線が愛しく、何度も読み返したくなるのだ。

(本の雑誌 2021年6月号掲載)

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●書評担当者● 高頭佐和子

神奈川県生まれ。都内在勤書店員。文芸書担当。

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