本谷有希子の冷徹な描写に揺さぶられる!

文=高頭佐和子

 本谷有希子『あなたにオススメの』(講談社)には、二篇の小説が収められている。どちらも底意地が悪い。冷徹な人間描写で、読み手の心に容赦なく揺さぶりをかけてくる。

 最初の作品「推子のデフォルト」の舞台は近未来だ。24時間インターネットと繋がっている「オンライン状態」が普通で、それを拒めば「オフライン依存症」とみなされる。子どもたちは生まれた時から電子機器を与えられ、個性的であることは歓迎されない。主人公の推子は、スマホのやり過ぎは良くないという風潮の世の中で育った最後の世代であるが、新しい社会にすぐ順応した。積極的にマイクロチップを体に埋め込み、子どもを「等質性教育」で有名な競争率の高い保育園に通わせるために、夫と偽装離婚している。

 保育園には、そんな社会に批判的で、息子をオフラインにしておきたいと考えるこぴくんママがいる。ママ友たちからは距離をおかれているが、推子は親しくしている。あらゆるインターネットサービスを消費し続けた結果、人工的なものでは満足できなくなった推子にとって、世間とのずれに悩むママ友は、「生の魅力」に溢れたコンテンツなのである。推子は、個性ある子どもを肯定的に教育している学園の説明会にこぴくんママを誘う。生のコンテンツを楽しむためだったのだが、このことがきっかけとなり、こぴくんママに急激な変化が訪れる。

 他人の悩みをライブ配信のように扱うって、性格に問題があり過ぎだ。インターネットにどっぷりハマりすぎて、人の痛みがわからなくなってるのか。バチ当たってしまえ!......と思いたいのに、モヤモヤしてしまう。

 新しいものを受け入れることが得意でなく、スマホに熱中しすぎる人を冷たい目で見ていたはずの私も、気がつくとそれがないと生活できなくなっている。過剰なほど情報とエンタメを求めるようにもなっており、人生を侵食されているようだ。そんな私は推子であり、こぴくんママでもあるのだ。衝撃のラストは、ディストピアなのか、ユートピアなのか。わからなくなっていることに愕然とした。

 佐藤厚志『象の皮膚』(新潮社)の著者は現役書店員、舞台は仙台の書店だ。子どもの頃から重度のアトピー性皮膚炎を患う主人公・凜の人生は、理不尽の連続だ。学校では「カビ」「象女」と呼ばれて心が歪み、無理解な教師に苦しめられた。親兄弟も痛みに寄り添ってはくれず、凜をバイ菌のように扱ってくる。高校を卒業して書店に就職したが、半袖の制服を強要されるのが苦痛で退職し、非正規雇用の書店員として働いている。職場には、それぞれ何かクセや問題を抱えている同僚たち(うち一人は超クソ野郎)がいるが、適度な距離感を保ち頼りにもされており、趣味仲間もいる。仕事を好きだと感じる瞬間もあるが、給料は安く不況時には調整弁として扱われるであろう立場だ。先の見通しに明るさがない中で、ゲームアプリで造形された恋人だけが、心を温めてくれる。そんな日常に、大震災が襲いかかってくる。

 アレルギー持ちの書店員としては、他人事とは思えない小説だ。迷惑客、身勝手な要求、万引きの対応に追われる毎日の中で、凜は「私たちは自動販売機みたいだ」と思う。その言葉は、私の中から出てきたこともある叫びである。理不尽を全身で受け続け、押し潰されそうな状況の中、凜はエネルギーを放出させるように毅然とした態度を見せ、大胆な行動にも出る。その生きる覚悟のようなものが、勢いよく私の心に飛び込んできた。

 凜ちゃん、がんばれ。強く生きろ。本当は主人公にではなく、自分自身や周りの人たちにそう言いたいのかもしれない。

 窪美澄『朔が満ちる』(朝日新聞出版)の主人公・史也は、父親の暴力により重い十字架を背負ってしまった青年だ。中学に進学した年、母と妹を守るために父親を殺そうとし、重い障害を負わせてしまう。大人たちの画策により事故の扱いとなったが、その後父母には会うことはなく、今は東京でカメラマンのアシスタントをしている。過去を誰にも打ち明けずに生きてきた史也だが、陰のある看護師・梓との出会いがきっかけとなり、父母がいる故郷と向き合うことになる。

 父親の暴力は壮絶で、フィクションとわかっていても心が痛む。史也を静かに見守ってきた大人たちにも助けられ、似た傷を持つ二人が、戸惑いながら思いを寄せ合っていく様子を、祈るような気持ちで読んだ。どんな過去があっても、幸福になることを恐れなくて良いのだと素直に思える。希望のある物語だ。

 白石一文『我が産声を聞きに』(講談社)は、大人のための家族小説だ。主人公の名香子は英語講師で、エンジニアの夫と独り暮らしをしている大学生の娘がいる。肺に疾患があるため、コロナの影響で外出を控えている。そんな妻を気遣ってくれていた夫が肺がんの告知を受けるが、一年前に再会した元恋人と一緒に暮らしたいと言い、何もかも自宅に残したまま家を出てしまう。夫に何があったのか。過去に起きた小さな出来事の数々、夫と出会う前の恋愛、いなくなった猫、知らなかった夫の過去、コロナ禍がもたらしたもの。さまざまなことに思いをはせながら、名香子は自分の生き方を問い直していく。

 運命とは何か。白石一文氏の小説を読むたびに突きつけられる課題だ。人は生まれて死ぬまでの間に、幾度も他者と出会い、別れ、再会する。たくさんの選択を迫られて悩み、時に意に沿わない道を進むこともある。起こった出来事や選んだものの意味が、後からわかることもある。コロナ禍という出来事を通して、多くの人が何かの選択を迫られ、生き方を問われたであろう今、この小説が刊行されたことに大きな意味を感じている。

(本の雑誌 2021年9月号掲載)

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●書評担当者● 高頭佐和子

神奈川県生まれ。都内在勤書店員。文芸書担当。

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