さまざまな思いがうねる『神よ憐れみたまえ』を堪能!

文=古山裕樹

  • 万事快調〈オール・グリーンズ〉
  • 『万事快調〈オール・グリーンズ〉』
    波木 銅
    文藝春秋
    1,540円(税込)
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 ミステリ......と呼べなくはないけれど、事件とその解決がメインディッシュというわけではない。それでも、読むものを圧倒し、最後まで引っ張っていく力に満ちた作品をいくつか紹介したい。

 まずは、小池真理子『神よ憐れみたまえ』(新潮社)。主人公の両親が殺され、彼女のその後の人生が大きく揺れ動いていく物語だ。

 昭和38年。国鉄で大きな事故が起きたその夜、百々子の両親が何者かに殺された。幸せな家庭で何不自由なく育ってきた彼女の人生に、過酷な波乱が押し寄せる。通いの家政婦の家に引き取られて、その家族と暮らす明るい日々も、決して長くは続かなかった。そんな中でも、強く生きていこうとする百々子だったが......

 殺人事件が起き、歳月が過ぎてその真相が明かされる。だが、物語の主眼はそこにはない。真相を覆い隠すためのさまざまな仕掛けを施しながらも、誰が犯人なのかを隠そうとしているようにはとても見えない。ミステリらしい趣向を脇に置いて、事件が変えた人々の運命を描くことに力を注いでいる。

 百々子のキャラクターも、決して「健気な悲劇のヒロイン」などではない。醜悪さも抱えていて、それゆえに魅惑に満ちた存在である。

 分かりやすさを拒絶し、典型の枠を蹴飛ばし、気軽な共感を拒みながら、さまざまな思いがうねる物語を一気に読ませる。この長さをじっくりと堪能したい作品だ。

 岩井圭也の『水よ踊れ』(新潮社)は、いま政治的な危機にある香港が舞台だ。ただし、物語の大半は90年代の末、イギリスから中国に回帰する前後の時期を描いている。

 少年時代を香港で過ごした和志は、交換留学生として再び香港に戻ってきた。かつて恋した梨欣は、和志の目の前で命を絶った。彼女はなぜ死を選んだのか? 彼が香港留学を選んだのは、恋した少女の死にまつわる謎を解くためでもあった......。

 この小説もまた、ストレートに少女の死の真相を追うだけの物語ではない。

 梨欣の秘密を追う過程で、和志はさまざまな人々に出会う。ベトナムから来た難民の少女。民主化運動の活動家。マフィアの一員となった梨欣の弟。北アイルランド生まれの留学生。中国共産党と結びついた建築家。そこから浮かび上がるのは、揺れ動く政治と、そのうねりに翻弄される人々の姿だ。

 探索を通じた和志の成長の物語として、あるいは政治の波に抗って生きる人々の物語として、力強い熱気に満ちた一冊だ。

 水になれ、というブルース・リーの言葉のもたらす解放感が胸に残る。

 波木銅『万事快調』(文藝春秋)は、第28回松本清張賞受賞作。大麻の栽培と密売を描いた犯罪小説と呼べるかもしれないが、これはかなり正確さに欠けた表現だ。

 茨城の東海村。底辺工業高校に通う3人の女子高生が主役だ。学校では目立たないように過ごしながら、外では毎晩ラップに励む朴が、ひどい災難に遭遇しながら手に入れたのは大麻だった。彼女は、同じクラスの女子2名とともに園芸同好会を設立し、校舎の屋上にあるビニールハウスで大麻を栽培する。大金を稼いで、この閉塞した毎日から脱出するのだ......。

 荒っぽい暴走が心地よい。前半をたっぷり使って、主人公3人のキャラクターを、彼女たちの置かれた環境を描き出す。大量の映画や書物や音楽に言及しつつ、主人公たちの退屈な日々を、大麻を植え始めてからのエキサイティングな日々を、ユーモアをまじえて語る。

 若さゆえの自意識過剰も、ひどい状況なのに妙に爽快な様子も、のっぴきならない状況での愉快なシーンも印象深い。荒削りな魅力に満ちた一冊だ。

 ここまで定型の枠に収まらない作品ばかり取り上げたけれど、今度は徹底してジャンルの枠組みを重視した作品を。

 相沢沙呼の『medium 霊媒探偵城塚翡翠』といえば、徹底した仕掛けで読者を驚嘆させた作品だが、まさかの続編が登場した。『invert 城塚翡翠倒叙集』(講談社)である。なお、本書の前に必ず前作を読んでおくこと。

 題名通り、犯人の視点から語られる3つの中編が収められている。緻密な計画で完全犯罪を狙った殺人者たち。事故や自殺として片付けられるはずが、霊能力を持つという奇妙な美女・城塚翡翠の登場によって事態は変わる。彼女はなぜか自分を犯人と見抜いて、追い詰めようとするのだ......。

 城塚翡翠という特異なキャラクターもさることながら、犯人と対決し、追い詰める過程のひりひりする緊張が忘れがたい。探偵と犯人の頭脳戦もさることながら、なぜ犯人が疑われるに至ったかの謎解きも、緻密な論理の快楽を堪能できる。

 犯人を追い詰めるロジックと仕掛けは、時に読者をも欺いてみせる。読み終わった途端に表紙に戻ってみたくなる一冊だ。

 樋口明雄の『還らざる聖域』(角川春樹事務所)は、屋久島を舞台にしたアクションもの。

 ある夜、北朝鮮の特殊部隊が屋久島に上陸する。警察署を爆破し、通信を遮断し、島を制圧した彼らは、日本政府にある要求をつきつける。警官で山岳救助隊員の夕季、山岳ガイドの哲也たちは山を駆け巡りながら、事態に立ち向かう......。

 島の住人、自衛隊、そして北朝鮮の特殊部隊。それぞれの動きが積み重なって、やがて全体の構図が浮かび上がる。大きな謀略が背景にあるものの、主役はあくまでも島の住人と、侵入した北朝鮮の軍人たちだ。屋久島の自然を背景に繰り広げられるスピーディなアクションで、一気に読ませる作品だ。

(本の雑誌 2021年9月号掲載)

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●書評担当者● 古山裕樹

1973年生まれ。会社勤めの合間に、ミステリを中心に書評など書いています。『ミステリマガジン』などに執筆。

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