小説を書くことの意味を問う『翡翠色の海へうたう』

文=高頭佐和子

 深沢潮『翡翠色の海へうたう』(KADOKAWA)は、存在を認められずに生きる人々について書かれた小説だ。小説を書くことの意味に、真摯に向き合った作品でもある。

 主人公の葉奈は三十代の女性だ。家族からも恋人からも軽んじられ、契約社員として働く職場でも認められず、冴えない日常を送っていた。葉奈の唯一の目標は小説家になることだ。文学賞の選考で平凡という評価を受け、インパクトのあるテーマを探していた。K−POPアイドルのSNSがきっかけとなり、沖縄戦と慰安婦の問題を知った葉奈は、これこそ書くべきテーマではないかと思い旅に出る。道具のように扱われた女性たちにシンパシーを抱き書く決意を固めるが、取材で知り合った女性から、気の毒という感情や小説家になりたいという目標のために、当事者でない人間が虚構として沖縄の戦争を書くことは傲慢だと言われてしまう。

 葉奈の物語と並行し、慰安婦として沖縄に連れてこられた一人の女性が描かれる。名前を奪われ、物のように扱われる日々は、読んでいて息が苦しくなるほど辛いが、彼女は一人の人間として生き抜こうとする。時代も立場も違うが、葉奈もいてもいなくてもいい存在のように扱われてきた。なぜ小説を書きたいのかを自問自答する中で、シェルターで暮らす少女に出会い、「哀れまれるより、何もなかったことにされる方がつらい」という言葉を聞く。それは名前を奪われた女性の声であり、葉奈の思いでもあり、尊厳を傷つけられてきた多くの人々の声でもあるのではないだろうか。

 沖縄で少女たちの支援に関わってきた上間陽子氏の著作『海をあげる』(筑摩書房)を思い出した。本の中で描かれていることは、他者の問題であると同時に自分の問題でもあるということを、心に刻みつけてくれた1冊だ。この小説の中で生きている人々の声も、読み終わった私の頭から離れない。

 芥川賞候補作の高瀬隼子『水たまりで息をする』(集英社)は、東京で暮らす夫婦の物語だ。夫が水がくさいという理由で入浴しなくなる。ペットボトルの水をかけても体臭は消えず、雨の日に全身を濡らすようになる。静かに日常を続けようとする妻だが、感情をぶつけてくる夫の母や、職場の男性たちの無神経ぶりに対する不快さ、大切なことを説明せず奇行をやめない夫への不安が、心の内側に溜まっていく。やがて夫は、妻の実家近くにある川沿いの家で暮らしたいといい、妻もそれを受け入れるが......。

 夫を風呂に入れようと躍起になるわけではなく、見放すわけでもないが全面的に受け入れるわけでもない妻の心理描写が興味深い。子供の頃、水たまりから救い出した小さな魚を、積極的に世話することなく何年も生かし続けたエピソードが絶妙だ。風呂に入らない。ただそれだけで社会は人を排除し、生活も人間関係も変化する。確かなものというのはどこにもないのかもしれない。静かに描かれる危うさが、私を怯えさせる。

 島口大樹『鳥がぼくらは祈り、』(講談社)は、群像新人文学賞の受賞作である。同じ高校に通う四人の少年たちの物語だ。血の気の多い池井と変な理屈をこねくり回す山吉はお笑い芸人をめざしている。「ぼく」は、彼らのネタをクールに批評する。映画を撮りたいという高島は、いつもカメラを回して仲間たちを撮影している。......と説明すると、愉快な四人組のさわやかな青春を期待したくなるが、これはそういう小説ではない。暴力と閉塞感は彼らの身近なところにあり、全員が家庭で大きな問題を抱えている。そんな互いの人生を中学生の頃から了解しあっている彼らだが、ひとりの父親が死に、そこを起点に日常が変化していく。

 今まで読んだことのない文体に驚いた。主人公は「ぼく」だが、単純な一人称ではない。他の少年たちの時間も「ぼく」の時間と同じように描かれていき、主人公と一緒に彼らの記憶を映像として見ているような感覚が生まれる。孤独や憎悪は切実に描写されていくが、生々しくないのも新鮮だ。今後新しい何かを生み出していきそうな若手作家の登場に、ゾクゾクしている。

 吉田修一『ブランド』(KADOKAWA)は、日産自動車、エルメス、ティファニーなどの企業から依頼を受け、広告のために書いた短編小説やエッセイをまとめた一冊である。吉田氏には『悪人』(朝日文庫他)や『犯罪小説集』(角川文庫)のように閉塞的な環境で罪を犯す人を描く印象が強く、『国宝』(朝日文庫)のように重厚な大作を期待する読者が多いのではないか。この本はどちらでもなく、洗練されたムードの漂う心地の良い作品集なのだが、読んでいるうちに自分の中にある吉田修一愛が炸裂した。

 主に描かれるのは、都会で生きる人々のささやかな幸福の瞬間である。心が和んだり、記憶が呼び起こされたりしながら、様々な情景が心の中を流れていく。企業の宣伝のために書かれたものだが、そこにははっきりした姿のある人間の日常が切り取られていて、だからこそブランドの魅力を伝える力もあるのだろう。泥臭さとスマートさ。重厚と軽妙。その両方を持ち、読者の期待を越え続ける作家・吉田修一氏。許されることならば歓声を上げて、愛と感謝を叫びたいくらいの気分である。

 東京にある様々なバーを巡る著者の思い出が綴られる「THE BAR」という章が好きだ。小池真理子氏が、どこで飲んでいても最後に一杯のドライマティーニを飲んで席を立つというエピソードにグッときた。小池氏と言えば、今年発売された長編小説『神よ憐れみたまえ』(新潮社)は、素晴らしい一冊だった。最後の一杯を飲む小池氏を想像していたら、あの小説を、早くも読み直したくなった。

(本の雑誌 2021年10月号掲載)

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●書評担当者● 高頭佐和子

神奈川県生まれ。都内在勤書店員。文芸書担当。

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