『駅から徒歩138億年』にゆるりと引き込まれる!
文=内田剛
今月の1冊目はタイトルのインパクトが抜群の岡田悠『駅から徒歩138億年』(産業編集センター)だ。本書の軸は「多摩川を端から端まで、全部歩く。」こと。それも1日1時間程度、継ぎ足しで河口から源流へと遡っていく、何とも「かわ」った試みだ。数字の「138」とは多摩川の全長であり、宇宙の歴史「138億年」にもかかっている。単なる数字遊びのようでも哲学的なムードも感じられる。これがいい。
ゆるりとした道行きに引き込まれるが、はさみこまれた10編のエッセイがいい味を出している。知らなかった親戚、いつか訪れた街、古いカーナビの誘い、学生時代に住んでいた寮に泊まる。過去の自分との再会を果たし、10年後の宿を予約して未来までつなげてみせる。人生は果てなき旅であることを実感。ぼんやりとした思索が確かな一本の道筋に見えてきた。
『古代文字を解読していたら、研究に取り憑かれた話』(ポプラ社)は、決して「誇大」ではない「古代」の底なし沼のような魅力にハマった人々の物語である。エジプト考古学者の大城道則、古代地中海史研究者の青木真兵、言語学者の大山祐亮という3名の研究者たちによる、古代文字の話を綴ったものだ。それぞれの勉強道具にまつわるコラムも興味深い。
遺跡の土を掘り続け、天才すら読めない文字を解読しようとする執念。1日15時間、食事や風呂以外はすべて机に向かう情熱。社会とかけ離れた生活だ。「研究に取り憑かれた=就職が難しい」ともいえるのだが、学問を極めた者にしか見ることのできない絶景がある。言葉の世界は海よりも深く、理解する難易度は空よりも高い。好きになることも才能というが、突き抜けた個性は魅力たっぷり。これはもう憧れるしかない。
小学校時代を名古屋で過ごした僕は必然、城好きになった。ここにシャチあり。名古屋城は間違いなく街のシンボルであり、住民の心の拠りどころでもあった。戦災で焼失しなければ、世界遺産にもなっていただろう。大天守が炎に包まれている写真を見ながら子供心にも悔しい感情を募らせていた。矢野宏『城が燃えた 太平洋戦争 西日本大空襲』(西日本出版社)は、戦争によって大きな被害を受けた12の地方都市の城、その受難から復興を含めた数奇な運命を記録した貴重な一冊である。
名古屋城は予定外の炎上で「誤爆」だった、焼けなかった姫路城にも大型焼夷弾が命中していた、模擬原爆の実験台となった大垣城、瓦礫が被爆市民の住居や薪に使用された広島城など、もうひとつの歴史に立ち会える。しかし語られるのは城が受けた直接の悲劇だけではない。崩れ落ちる城を目の当たりにした人々の証言が胸に深々と突き刺さる。大きな犠牲を払った戦争の記憶を留め、平和のありがたさを噛みしめられる。後世に継ぐべき価値ある一冊だ。
『デンさんのプール 杉本傳~水泳ニッポンを作った男』(小学館)は知られざる偉人の生涯を再現。新聞広告で気になり、プールだけに「見ず」にはおれないと手に入れたのだが、これが実に面白い。プール遺構の発掘という導入部分から鳥肌ものだ。現代の大阪・茨木高校のグラウンドから現れたのは1916年に完成した日本初の近代プール。当時、茨木中学の生徒だった川端康成はもっこで土を運び、大宅壮一は水車を踏んだ、というから何という運命の巡りあわせなのだろう。
人と同じ道を歩まなかった主人公「デンさん」こと杉本傳の個性に魅了される。日本初の学校プールを作ったばかりか、本格的なクロール泳法を取り入れ、踏込台や水球を紹介。「優れたアスリートは優れた文化人でなくてはならない」の信念のもと、オリンピック競技で活躍する選手指導や、近代日本に不可欠な人材育成など教育者としても数多の功績を遺した。
なぜそんな凄い人物が埋もれてしまったのか。戦争に抵抗したために評価が変化したこと、そして売名にはまったく興味を示さない控えめな人柄にもあったのだろう。それは顕彰のために作られた自分の胸像を家に持ち帰ったというエピソードからもうかがえる。著者の大野裕之氏は茨木高校OBである脚本家だが、綿密な取材に裏づけされた並々ならぬ思い入れも全編から感じられる。
さて、昨年は昭和100年の節目ということもあり、冬でも「なつ」かしい「昭和」がブームとなった。その中で刊行された作品が『昭和界隈 写真でタイムトラベル』(朝日新聞フォトアーカイブ協力/朝日新聞出版)だ。大判でページも開きやすい製本の工夫がされていることもポイントが高い。
内容は朝日新聞の人気連載「朝日新聞写真館」を再構成したもので、「子どもたち」「はたらく」「家族、ご近所」「都市の遠景近景」「世相をたどる」のテーマ設定が分かりやすい。闇市、筑豊のボタ山、夕張炭鉱、軍艦島といった当時を象徴する場所から、集団就職、新婚旅行専用電車、金魚売り、映画のフィルムを運ぶ「カケモチ屋」などの人や職業にまつわる流行、そしてごく普通の街角まで。時代の空気や匂いまでが伝わってくる。個人的なオススメは建設途中の東京タワーの上空に虹がかかっている写真だ。じっと見ているとモノクロなのに鮮やかな色が浮かび上がってくる。
印象的なのは戦争前後の物資にも厳しかった時代の元気な子供たちの姿や、高度経済成長期の過酷な仕事をしている社会人たちの表情が明るいことだ。何はなくとも夢や希望があった。昭和の頃の人肌の温もりが心にしみるからこそ、アナログの魅力が再評価されているのだろう。本物の笑顔をもっと見たい。過去から現在、そして未来の心のあり方を考えさせられる。
(本の雑誌 2026年2月号)
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- ●書評担当者● 内田剛
ブックジャーナリスト、NPO法人本屋大賞実行委員会理事、ポプラ社「全国学校図書館POPコンテスト」アドバイザー。30年の書店勤務を経て、2020年よりフリーに。これまで書いたPOPは6,500枚以上。「小説幻冬」連載など、ブックレビューの執筆や講演活動、POP講習会を実施。著書に『POP王の本!』(新風舎)、『全国学校図書館POPコンテスト公式本 オススメ本の作り方(全2巻)』(ポプラ社)がある。無類のアルパカ好き。
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